57 / 82
袖振り合うも他生の縁
18:南凛太朗 1月13日13時35分 ②
しおりを挟む
「去年一年を総括して、ですか。そうですねぇ」
どうも年末年始に放送された特別番組の再放送らしい。お題に沿ってゲストがトークを展開する形式のバラエティー。
なにもこうもタイミング良く時東の番にならなくともいいだろうに。そんなことを思いながら、洗い物を続ける。水量を上げた悪あがきはほとんど意味を成していなかった。
「一番びっくりしたことは、意外な人と再会したこと、ですかね」
悩むような間を挟んで応じた時東に、「女の子?」、「初恋の人?」とお決まりの声が飛ぶ。
「女の子じゃないですよ、男です。男の人」
苦笑いの否定に、すかさず突っ込みが入って、また笑い声。
「嘘じゃないですってば。インディーズでやってた当時に、何度かサポートで来てくれたことのある人だったんですけど。まさか、また会えるとは思ってなかったので、すごくびっくりしましたね」
様式美なやりとりってやつだな、と。聞き流していた手の動きが止まる。
インディーズ。あの当時のことを時東の口から聞いたのは、はじめてだった。だって、あの子、いまだに引きずってるじゃん。いつだったか、呆れたように春風は言っていて、南も「そう」だと思っていた。
「本当に予想外のところで会ったので、気がついたのもしばらくしてからだったんですけど。そうですね、びっくりですけど、嬉しかったですね」
はにかむような声がすぐそばで聞こえた気がして、ぱっと顔を上げる。
――そうだ、ここには。
気まぐれに閉店後に現れては、南が作った料理に「おいしい」と心底うれしそうにはしゃいでみせる。にこにこととりとめもないことを喋り、テレビと違う気の抜けた顔で笑う、時東悠。
そんな幻影が見えたのは、ここによくいたからだろうか。仕事をする南の正面。その椅子に、あの子どもはいつも座っていた。
過去を振り切るように、店内を見渡す。この時間帯の常連客が二組。一席空けたテーブル席に座り、片や新聞を広げ、もう片方はテレビに熱心な視線を送っている。
いつもどおりの光景だった。南が求める、あたりまえで、だからこそ大切にしたいと願っている日常。
この場所に、キラキラとした男がいたことがおかしかったのだ。
「まぁ、とは言っても、お互い、昔話をしたわけでもないので。向こうが僕のことを覚えてるかどうかもわからないんですけどね」
「そりゃ、覚えてるでしょ、お相手は。天下の時東はるかですよ?」
「いや、どうなんでしょうね。僕が怖くて、聞けてないだけです。今の付かず離れずの距離感が心地よくて」
画面の中で、時東が微笑う。南の視線は、いつのまにか画面に吸いついていた。
「でも、いつか、話してみたいなって。これも最近になって、やっと思えるようになったことなんですけど」
ふっと懐かしそうな表情を、時東がした気がした。「どんな話?」という問いに、「そうですね」と時東が首を傾げる。
「餌付けされたこと、ですかね。ふつうの塩のおにぎりだったんですけど、すごいおいしかったんですよね」
そのころって、時東くん高校生くらいだったんじゃないの、渋いな。誰かが笑い、気を悪くしたふうでもなく、ですよね、と時東も愛想の良い顔で笑う。
そこでようやく、南は出しっぱなしになっていた水を止めた。
――ごめんなさい。それで、あの。
続くのは、同じ言葉の繰り返しだと思っていた。あるいは、単純にそれ以上を聞きたくなくて逃げたのかもしれない。
会話を断ち切った南に、「なんでそんなことを言うの」と詰め寄った時東の顔と、テレビの中で笑っている顔が交錯する。そうして――。
――思い出の味なんだよね、これ。
「おーい、凛ちゃん」
ガタンと席を立つ音と呼びかけに、慌てて顔を向ける。
幼いころから知る馴染みの客が「どうかしたか?」と軽く眉を寄せる。余計な心配をさせるわけにはいかない。いつもの調子を南は取り繕った。
「お粗末様でした。えー、と、お勘定でよかったですよね」
皺の刻まれた手にお釣りを渡し、背中を見送る。変わらず賑やかなテレビの声を聞きながら、中途半端になっていた洗い物を南は再開させた。
過去なんて忘れてしまえと思うのは、一種の呪いなのだろうか。わからない。でも。溜息を呑み込み、お喋りに興じている彼女たちをちらりと見やる。なんだか妙に日常が遠かった。
時東が思い出したくないのなら、なにも言う必要はない。
そう思っていたことも嘘ではないつもりだ。けれど、自分が言わなかった一番の理由は、時東のためなどという優しいものではない。すべて自分のためだった。
どうも年末年始に放送された特別番組の再放送らしい。お題に沿ってゲストがトークを展開する形式のバラエティー。
なにもこうもタイミング良く時東の番にならなくともいいだろうに。そんなことを思いながら、洗い物を続ける。水量を上げた悪あがきはほとんど意味を成していなかった。
「一番びっくりしたことは、意外な人と再会したこと、ですかね」
悩むような間を挟んで応じた時東に、「女の子?」、「初恋の人?」とお決まりの声が飛ぶ。
「女の子じゃないですよ、男です。男の人」
苦笑いの否定に、すかさず突っ込みが入って、また笑い声。
「嘘じゃないですってば。インディーズでやってた当時に、何度かサポートで来てくれたことのある人だったんですけど。まさか、また会えるとは思ってなかったので、すごくびっくりしましたね」
様式美なやりとりってやつだな、と。聞き流していた手の動きが止まる。
インディーズ。あの当時のことを時東の口から聞いたのは、はじめてだった。だって、あの子、いまだに引きずってるじゃん。いつだったか、呆れたように春風は言っていて、南も「そう」だと思っていた。
「本当に予想外のところで会ったので、気がついたのもしばらくしてからだったんですけど。そうですね、びっくりですけど、嬉しかったですね」
はにかむような声がすぐそばで聞こえた気がして、ぱっと顔を上げる。
――そうだ、ここには。
気まぐれに閉店後に現れては、南が作った料理に「おいしい」と心底うれしそうにはしゃいでみせる。にこにこととりとめもないことを喋り、テレビと違う気の抜けた顔で笑う、時東悠。
そんな幻影が見えたのは、ここによくいたからだろうか。仕事をする南の正面。その椅子に、あの子どもはいつも座っていた。
過去を振り切るように、店内を見渡す。この時間帯の常連客が二組。一席空けたテーブル席に座り、片や新聞を広げ、もう片方はテレビに熱心な視線を送っている。
いつもどおりの光景だった。南が求める、あたりまえで、だからこそ大切にしたいと願っている日常。
この場所に、キラキラとした男がいたことがおかしかったのだ。
「まぁ、とは言っても、お互い、昔話をしたわけでもないので。向こうが僕のことを覚えてるかどうかもわからないんですけどね」
「そりゃ、覚えてるでしょ、お相手は。天下の時東はるかですよ?」
「いや、どうなんでしょうね。僕が怖くて、聞けてないだけです。今の付かず離れずの距離感が心地よくて」
画面の中で、時東が微笑う。南の視線は、いつのまにか画面に吸いついていた。
「でも、いつか、話してみたいなって。これも最近になって、やっと思えるようになったことなんですけど」
ふっと懐かしそうな表情を、時東がした気がした。「どんな話?」という問いに、「そうですね」と時東が首を傾げる。
「餌付けされたこと、ですかね。ふつうの塩のおにぎりだったんですけど、すごいおいしかったんですよね」
そのころって、時東くん高校生くらいだったんじゃないの、渋いな。誰かが笑い、気を悪くしたふうでもなく、ですよね、と時東も愛想の良い顔で笑う。
そこでようやく、南は出しっぱなしになっていた水を止めた。
――ごめんなさい。それで、あの。
続くのは、同じ言葉の繰り返しだと思っていた。あるいは、単純にそれ以上を聞きたくなくて逃げたのかもしれない。
会話を断ち切った南に、「なんでそんなことを言うの」と詰め寄った時東の顔と、テレビの中で笑っている顔が交錯する。そうして――。
――思い出の味なんだよね、これ。
「おーい、凛ちゃん」
ガタンと席を立つ音と呼びかけに、慌てて顔を向ける。
幼いころから知る馴染みの客が「どうかしたか?」と軽く眉を寄せる。余計な心配をさせるわけにはいかない。いつもの調子を南は取り繕った。
「お粗末様でした。えー、と、お勘定でよかったですよね」
皺の刻まれた手にお釣りを渡し、背中を見送る。変わらず賑やかなテレビの声を聞きながら、中途半端になっていた洗い物を南は再開させた。
過去なんて忘れてしまえと思うのは、一種の呪いなのだろうか。わからない。でも。溜息を呑み込み、お喋りに興じている彼女たちをちらりと見やる。なんだか妙に日常が遠かった。
時東が思い出したくないのなら、なにも言う必要はない。
そう思っていたことも嘘ではないつもりだ。けれど、自分が言わなかった一番の理由は、時東のためなどという優しいものではない。すべて自分のためだった。
21
お気に入りに追加
47
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
YouTuber犬『みたらし』の日常
雪月風花
児童書・童話
オレの名前は『みたらし』。
二歳の柴犬だ。
飼い主のパパさんは、YouTubeで一発当てることを夢見て、先月仕事を辞めた。
まぁいい。
オレには関係ない。
エサさえ貰えればそれでいい。
これは、そんなオレの話だ。
本作は、他小説投稿サイト『小説家になろう』『カクヨム』さんでも投稿している、いわゆる多重投稿作品となっております。
無断転載作品ではありませんので、ご注意ください。
【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?
歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。
それから数十年が経ち、気づけば38歳。
のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。
しかしーー
「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」
突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。
これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。
※書籍化のため更新をストップします。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
タイムカプセル
森羅秋
ライト文芸
今年二十歳になった牧田北斗は、週末にのんびりテレビを見ていたのだが、幼馴染の富士谷凛が持ってきた、昔の自分達が書いたという地図を元にタイムカプセルを探すことになって…?
子供の頃の自分たちの思い出を探す日の話。
完結しました。
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
【完結】新人機動隊員と弁当屋のお姉さん。あるいは失われた五年間の話
古都まとい
ライト文芸
【第6回ライト文芸大賞 奨励賞受賞作】
食べることは生きること。食べるために生きているといっても過言ではない新人機動隊員、加藤将太巡査は寮の共用キッチンを使えないことから夕食難民となる。
コンビニ弁当やスーパーの惣菜で飢えをしのいでいたある日、空きビルの一階に弁当屋がオープンしているのを発見する。そこは若い女店主が一人で切り盛りする、こぢんまりとした温かな店だった。
将太は弁当屋へ通いつめるうちに女店主へ惹かれはじめ、女店主も将太を常連以上の存在として意識しはじめる。
しかし暑い夏の盛り、警察本部長の妻子が殺害されたことから日常は一変する。彼女にはなにか、秘密があるようで――。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる