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袖振り合うも他生の縁
18:南凛太朗 1月13日13時35分 ①
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『お世話になりました。少し仕事が立て込んでいるので、しばらく東京に帰ります。落ち着いたころに顔を出しますので、ご心配なく』
「なにがご心配なく、だ。好きにしろって言っただろ」
店から戻ってきて見つけた書き置きに、南は顔をしかめた。
時東が使っていた部屋に入り、電気をつける。軽い掃除を行ったらしい気配は見て取れたものの、荷物は残されたままだ。もちろん、肝心のギターも。
「戻ってくるかどうかの心配なんて、誰がするかよ」
吐き捨てるように呟いて、窓を開けた。入り込んだ冷たい夜風が、残された気配を消し去っていく。暗い空を見つめたまま、南はひとつ溜息を吐いた。
[18:南凛太朗 1月13日13時35分]
南食堂が一番の賑わいを見せるのは、言わずと知れた昼食時だ。
この時間帯に提供するメニューは日替わり定食二種類と割り切っているので、どうにか自分ひとりでも回すことができている。
ただ、メニューを増やそうと考えると難しい。アルバイトをひとり雇っても採算は取れなくないのだが、もろもろの億劫さと天秤にかけた結果、長らく保留になっていた。
春風が手伝うと言ってくれることもあるのだが、さすがにそれは甘えすぎというやつだ。
――まぁ、これで生活できるしな。
生活をしていくだけの最低限プラス少しの確保はできているし、無理をして店を大きくしたいという思いはない。
両親がやっていたころと変わらず足を運んでくれる常連客が喜ぶ場所であったらいいと思っている。こういう言い方もなんだが、支えてもらった恩返しのようなものだ。
十三時を三十分も過ぎると、慌ただしさも落ち着きを見せる。店内に残っているのは、世間話が主目的の常連客の二組のみ。
おばさま方もじいさまも、南が子どものころからよく知る顔馴染みだ。おしゃべりをBGMに水仕事をしていると、「あら」とひと際大きな声が飛び込んできた。
その声があまりにうれしそうだったので、つられて視線を上げた瞬間。テレビに映っていた顔に、無意識に南の手が動いた。
「ちょっと、凛ちゃん! なんで急にテレビ消すのよ、見てたのに!」
「あ、いや……」
「そう言ってやんなよ、カナちゃん。凛ちゃんも複雑なのよ。その子のファンってヤツに押しかけられて、困ってただろう」
「そういえば、そんなこともあったわねぇ。でもあたしは好きよ、はるかちゃん。かわいいんだもん」
だがしかし、このおばさまが「はるかちゃん」をミュージシャンではなくバラドルとして認知していることを、南は知っている。時東が知れば、また微妙な顔をしそうだ。
そんなどうでもいいことを、あえて考えてみる。そうして、ごめん、と苦笑いをひとつ。
リモコンのスイッチを押せば、小さなブラウン管に再び時東はるかの笑顔が映る。完璧な芸能人の顔。
――もう、リモコンは自分の手の届かないところに置いておこう。
そう決めて、南は水量を上げた。
「なにがご心配なく、だ。好きにしろって言っただろ」
店から戻ってきて見つけた書き置きに、南は顔をしかめた。
時東が使っていた部屋に入り、電気をつける。軽い掃除を行ったらしい気配は見て取れたものの、荷物は残されたままだ。もちろん、肝心のギターも。
「戻ってくるかどうかの心配なんて、誰がするかよ」
吐き捨てるように呟いて、窓を開けた。入り込んだ冷たい夜風が、残された気配を消し去っていく。暗い空を見つめたまま、南はひとつ溜息を吐いた。
[18:南凛太朗 1月13日13時35分]
南食堂が一番の賑わいを見せるのは、言わずと知れた昼食時だ。
この時間帯に提供するメニューは日替わり定食二種類と割り切っているので、どうにか自分ひとりでも回すことができている。
ただ、メニューを増やそうと考えると難しい。アルバイトをひとり雇っても採算は取れなくないのだが、もろもろの億劫さと天秤にかけた結果、長らく保留になっていた。
春風が手伝うと言ってくれることもあるのだが、さすがにそれは甘えすぎというやつだ。
――まぁ、これで生活できるしな。
生活をしていくだけの最低限プラス少しの確保はできているし、無理をして店を大きくしたいという思いはない。
両親がやっていたころと変わらず足を運んでくれる常連客が喜ぶ場所であったらいいと思っている。こういう言い方もなんだが、支えてもらった恩返しのようなものだ。
十三時を三十分も過ぎると、慌ただしさも落ち着きを見せる。店内に残っているのは、世間話が主目的の常連客の二組のみ。
おばさま方もじいさまも、南が子どものころからよく知る顔馴染みだ。おしゃべりをBGMに水仕事をしていると、「あら」とひと際大きな声が飛び込んできた。
その声があまりにうれしそうだったので、つられて視線を上げた瞬間。テレビに映っていた顔に、無意識に南の手が動いた。
「ちょっと、凛ちゃん! なんで急にテレビ消すのよ、見てたのに!」
「あ、いや……」
「そう言ってやんなよ、カナちゃん。凛ちゃんも複雑なのよ。その子のファンってヤツに押しかけられて、困ってただろう」
「そういえば、そんなこともあったわねぇ。でもあたしは好きよ、はるかちゃん。かわいいんだもん」
だがしかし、このおばさまが「はるかちゃん」をミュージシャンではなくバラドルとして認知していることを、南は知っている。時東が知れば、また微妙な顔をしそうだ。
そんなどうでもいいことを、あえて考えてみる。そうして、ごめん、と苦笑いをひとつ。
リモコンのスイッチを押せば、小さなブラウン管に再び時東はるかの笑顔が映る。完璧な芸能人の顔。
――もう、リモコンは自分の手の届かないところに置いておこう。
そう決めて、南は水量を上げた。
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