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袖振り合うも他生の縁
11:南凛太朗 12月22日8時3分 ④
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「ごめんなさい」
つむじから足元の砂利へ視線を落とし、そっと溜息を呑み込む。言わせたくなかったから適当に流していたというのに、結局、謝られてしまった。
だが、しかし。謝られてしまったものはしかたがない。言い諭す調子で南は声をかけた。
「一応言っておくけど。おまえが謝る必要はいっさいないからな」
謝罪をしたいがために、とんぼ返りを決めたというのであれば、馬鹿すぎる。それで事故にでも遭われてみろ。こちらの後味が悪すぎるだろう。
「南さんならそう言うと思ったんだけど、でも、ごめんなさい。俺の整理の問題です」
「なら、いい。許す」
「ありがとう」
ぞんざいに請け負うと、ようやく顔が上がった。安心したように笑う表情は、テレビで見るものとは随分と印象が違う。
警戒心バリバリだった大型犬を手懐けた感慨に耽っていると、「そうだ」とわたわたと時東がポケットに手を突っ込んだ。
「あれ、どこやったかな。ちょっと待ってね」
おにぎりを持っているから探しにくいのでは、と。思ったものの、手離す気はないらしい。こちらは急いでいるわけでもないので、べつに構わないのだが。「いいけど」と応じて待っていると、時東が探し当てたらしい紙片を差し出してきた。
「えっと、俺の連絡先。いまさらになってごめんなさいなんだけど、なにかあったら教えてください。お願いします」
「あのな、時東」
わざわざ紙で渡してくるところが、どうにも時東らしい。なくさないよう紙片を仕舞い込み、南はわずかに時東を見上げた。
「俺はおまえを迷惑だと思ったことは、そんなにないからな」
「そんなにって、やっぱりあるんだ!」
「そら、あるよ。おまえのことなんて、ほとんど知らなかったし」
なにを考えて二時間もかけてやってくるのかと呆れていたくらいである。
ついでに言えば、食べ物の味がわからないとの告白を聞いたときは、馬鹿だろうと思った。そんなふうになるまでストレスを溜め込むな、ということでもあったし、もっと早く言えよ、ということでもあった。
そうすれば、もう少し気にかけてやれたのに。
気づいてやることのできなかった自分への情けなさもあったのかもしれない。年上の矜持のようなもので、食堂の店主としての意地のようなもの。
「でも、今はそうじゃないだろ。それに、迷惑だったら、自分の家に入れたりしないから」
面倒くさい、と南は言い捨てた。時東がどう思っているかは知らないが、自分はそこまでお人好しにできていない。
時東という人間を気に入ったから、「お願い」を叶えてやった。それだけのことだった。
「南さん」
黙って耳を傾けていた時東が、そこでようやく口を開いた。なぜかまた妙に真面目な顔つきに戻っている。そういう顔をしていると、美形ではある。「なに?」と問い返す。
「好きだなぁと思って」
「あ、そう」
また、それか。なにを言われることやらと構えていた力を抜くと、時東が軽く唇を尖らせた。
「ちょっと、南さん」
「だからなんだよ。好きなんだろ」
「いや、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
意味がわからない上にまどろっこしい。だからなんだよ、と繰り返した南に、訴えるように時東も繰り返した。
「だから、好きなの」
結婚して、と馬鹿みたいなことを言ったときと同じように、おにぎりを握りしめたまま。
馬鹿にされていると思うことができないのは、やたらと真面目な顔をしているからなのか。それともこの数ヶ月で、そういったからかいをする性格ではないと知ったからなのか。
――まぁ、どっちにしろ、味覚が戻ったら、来なくなるだろうけどな。
あたりまえのことで、喜ばしいことだ。一抹の寂しさは、それは、まぁ、あるけれど。覚えた感慨を打ち消すように、南は頭を振った。
「はいはい、好きな。わかった……」
適当に流そうとしたところで、あれ、と思考が停止した。とんでもない疑惑が芽生えたからである。そんな馬鹿な。真面目腐った表情を崩さない時東の前で、南は軽く固まった。いつかの幼馴染みの台詞が、脳裏を過っていく。
凛はさぁ、そうやって、捨て犬拾ったみたいな感じで時東くんの世話焼いてるけどさ。いつか、絶対噛まれるよ。それで、まぁ、凜は泣きはしないだろうけど、びっくりすることになると思うよ。
時東くんはポンと違って人間なんだし。凛の言葉だけを鵜呑みにして、生きていけるわけでもないんだから、と。
いやいや、そんな馬鹿な。
固まったままの南の背後では、新調したばかりの食堂ののれんがひらひらとはためいていた。
つむじから足元の砂利へ視線を落とし、そっと溜息を呑み込む。言わせたくなかったから適当に流していたというのに、結局、謝られてしまった。
だが、しかし。謝られてしまったものはしかたがない。言い諭す調子で南は声をかけた。
「一応言っておくけど。おまえが謝る必要はいっさいないからな」
謝罪をしたいがために、とんぼ返りを決めたというのであれば、馬鹿すぎる。それで事故にでも遭われてみろ。こちらの後味が悪すぎるだろう。
「南さんならそう言うと思ったんだけど、でも、ごめんなさい。俺の整理の問題です」
「なら、いい。許す」
「ありがとう」
ぞんざいに請け負うと、ようやく顔が上がった。安心したように笑う表情は、テレビで見るものとは随分と印象が違う。
警戒心バリバリだった大型犬を手懐けた感慨に耽っていると、「そうだ」とわたわたと時東がポケットに手を突っ込んだ。
「あれ、どこやったかな。ちょっと待ってね」
おにぎりを持っているから探しにくいのでは、と。思ったものの、手離す気はないらしい。こちらは急いでいるわけでもないので、べつに構わないのだが。「いいけど」と応じて待っていると、時東が探し当てたらしい紙片を差し出してきた。
「えっと、俺の連絡先。いまさらになってごめんなさいなんだけど、なにかあったら教えてください。お願いします」
「あのな、時東」
わざわざ紙で渡してくるところが、どうにも時東らしい。なくさないよう紙片を仕舞い込み、南はわずかに時東を見上げた。
「俺はおまえを迷惑だと思ったことは、そんなにないからな」
「そんなにって、やっぱりあるんだ!」
「そら、あるよ。おまえのことなんて、ほとんど知らなかったし」
なにを考えて二時間もかけてやってくるのかと呆れていたくらいである。
ついでに言えば、食べ物の味がわからないとの告白を聞いたときは、馬鹿だろうと思った。そんなふうになるまでストレスを溜め込むな、ということでもあったし、もっと早く言えよ、ということでもあった。
そうすれば、もう少し気にかけてやれたのに。
気づいてやることのできなかった自分への情けなさもあったのかもしれない。年上の矜持のようなもので、食堂の店主としての意地のようなもの。
「でも、今はそうじゃないだろ。それに、迷惑だったら、自分の家に入れたりしないから」
面倒くさい、と南は言い捨てた。時東がどう思っているかは知らないが、自分はそこまでお人好しにできていない。
時東という人間を気に入ったから、「お願い」を叶えてやった。それだけのことだった。
「南さん」
黙って耳を傾けていた時東が、そこでようやく口を開いた。なぜかまた妙に真面目な顔つきに戻っている。そういう顔をしていると、美形ではある。「なに?」と問い返す。
「好きだなぁと思って」
「あ、そう」
また、それか。なにを言われることやらと構えていた力を抜くと、時東が軽く唇を尖らせた。
「ちょっと、南さん」
「だからなんだよ。好きなんだろ」
「いや、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
意味がわからない上にまどろっこしい。だからなんだよ、と繰り返した南に、訴えるように時東も繰り返した。
「だから、好きなの」
結婚して、と馬鹿みたいなことを言ったときと同じように、おにぎりを握りしめたまま。
馬鹿にされていると思うことができないのは、やたらと真面目な顔をしているからなのか。それともこの数ヶ月で、そういったからかいをする性格ではないと知ったからなのか。
――まぁ、どっちにしろ、味覚が戻ったら、来なくなるだろうけどな。
あたりまえのことで、喜ばしいことだ。一抹の寂しさは、それは、まぁ、あるけれど。覚えた感慨を打ち消すように、南は頭を振った。
「はいはい、好きな。わかった……」
適当に流そうとしたところで、あれ、と思考が停止した。とんでもない疑惑が芽生えたからである。そんな馬鹿な。真面目腐った表情を崩さない時東の前で、南は軽く固まった。いつかの幼馴染みの台詞が、脳裏を過っていく。
凛はさぁ、そうやって、捨て犬拾ったみたいな感じで時東くんの世話焼いてるけどさ。いつか、絶対噛まれるよ。それで、まぁ、凜は泣きはしないだろうけど、びっくりすることになると思うよ。
時東くんはポンと違って人間なんだし。凛の言葉だけを鵜呑みにして、生きていけるわけでもないんだから、と。
いやいや、そんな馬鹿な。
固まったままの南の背後では、新調したばかりの食堂ののれんがひらひらとはためいていた。
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