18 / 82
縁とは異なもの味なもの
6:時東はるか 11月30日14時52分 ②
しおりを挟む
あいつの最大ヒットって、デビュー曲だよな。
いいよな、顔が良いやつは。たいして歌がうまくなくてもデビューできて。
っていうか、最近、バラエティでしか見なくない? 曲出してんの?
自分を評する世間の声を、時東はよくよく知っている。はいはい、そうですよ。どうせ俺はめちゃくちゃ歌がうまいわけでもなければ、神がかった曲を生み出せるわけでもないですよ。強いて言うなら、顔が良くて、それなりに歌がうまかったところがポイント高かったんじゃないですかね。そうして、それを見初めてもらうことのできた運の強さ。どうだ、羨ましいか、この野郎。
そう思うことで、批判も羨望も嫉妬もすべて受け流し走り続けてきた。この世界を、ずっと、ずっと。
けれど、ふと足元があやしくなった瞬間。なにもかもが見えなくなった。前も後ろもわからない真っ暗闇。踏み出そうとした足は、ずっと宙に浮いたままだ。
その状態が、もう何ヶ月も続いている。
「だからって、これはよくない現象だよなぁ」
あえて言葉にしなくとも、こちらも重々承知していることだった。現実から逃げる場として、自分はここを選んでいる。ここ。南食堂。性懲りもなく訪れた店の前で、時東は小さく息を吐いた。
のれんは店内にひっこめられ、「閉店」の札がかかっている。だが、まだ明かりはついている。「入ってよし」の基準はすべてクリアしているのだが。
……いや、ここで立ち尽くしてるほうが不審者だよな。
南が引き上げているということであればともかく、中にいるのだ。入らないのであれば、本当になにをしにきたという話になってしまう。
よし、と心の中で呟いて、取っ手に手をかける。やはり鍵はかかっていなかった。不用心だなぁと思う一方で、自分のために開けてくれているのではないかと穿ってしまう。真実はわからないけれど、想像することは自由だ。
店に足を踏み入れると、あたたかい空気が時東を包んだ。なにかがじんわりと緩むのを感じながら、笑いかける。
「こんばんは、南さん」
呼びかけに、カウンターの中にいた南の顔が上がった。あいかわらずのそっけない表情。
それなのに、不思議と受け入れてもらっている気分になるのだ。なんでなのだろう。
「珍しいな。仕事、明日休みなのか」
「ううん。明日も昼から仕事なんだけど」
仕事が終わった途端に、バイクに乗ってやって来てしまった。元より決めている曜日でも、なんでもないのに。
真相を隠し、へらりと笑う。南の顔がよく見えるいつもの特等席に腰かけて、コートを脱ぐ。
「余りものでよかったら食うか」
「いいの?」
「じゃなかったら、なんで来たんだ?」
さも当然と問われ、時東は内心で首を傾げた。ごはんを食べたい。ここに来るときは、いつもそう思っていた。
味のあるもの。一緒にいてくれる誰か。気負わない場所。自然体でいることのできるところ。
「南さんの顔が見たかった、かな」
ぽろりとこぼれたそれに、南の動きがかすかに止まった。
「おまえな」
あれ、と思っているうちに、呆れたような声が耳に響く。
「そういう台詞は、好きな女にでも言えよ」
実践してしまったのかもしれない。ほんの少し疑いながら、「それもそうだね」と時東は笑った。そうするべきなのだろう、本来であれば。
なにか温め直してくれているのか、優しい出汁の匂いがした。時東がいようがいまいが、おそらくはなにも変わらない、淡々とした動作。けれど、時東のために用意されているものなのだ。
――落ち着くなぁ、やっぱり。
この場所は、どうしようもなく落ち着く。否定することは、もうできなかった。いつのまにか、そういう場所になってしまっている。誰にも邪魔をされたくない、なによりも大切な場所。
目の前の優しい光景を、ただじっと時東は見つめていた。
いいよな、顔が良いやつは。たいして歌がうまくなくてもデビューできて。
っていうか、最近、バラエティでしか見なくない? 曲出してんの?
自分を評する世間の声を、時東はよくよく知っている。はいはい、そうですよ。どうせ俺はめちゃくちゃ歌がうまいわけでもなければ、神がかった曲を生み出せるわけでもないですよ。強いて言うなら、顔が良くて、それなりに歌がうまかったところがポイント高かったんじゃないですかね。そうして、それを見初めてもらうことのできた運の強さ。どうだ、羨ましいか、この野郎。
そう思うことで、批判も羨望も嫉妬もすべて受け流し走り続けてきた。この世界を、ずっと、ずっと。
けれど、ふと足元があやしくなった瞬間。なにもかもが見えなくなった。前も後ろもわからない真っ暗闇。踏み出そうとした足は、ずっと宙に浮いたままだ。
その状態が、もう何ヶ月も続いている。
「だからって、これはよくない現象だよなぁ」
あえて言葉にしなくとも、こちらも重々承知していることだった。現実から逃げる場として、自分はここを選んでいる。ここ。南食堂。性懲りもなく訪れた店の前で、時東は小さく息を吐いた。
のれんは店内にひっこめられ、「閉店」の札がかかっている。だが、まだ明かりはついている。「入ってよし」の基準はすべてクリアしているのだが。
……いや、ここで立ち尽くしてるほうが不審者だよな。
南が引き上げているということであればともかく、中にいるのだ。入らないのであれば、本当になにをしにきたという話になってしまう。
よし、と心の中で呟いて、取っ手に手をかける。やはり鍵はかかっていなかった。不用心だなぁと思う一方で、自分のために開けてくれているのではないかと穿ってしまう。真実はわからないけれど、想像することは自由だ。
店に足を踏み入れると、あたたかい空気が時東を包んだ。なにかがじんわりと緩むのを感じながら、笑いかける。
「こんばんは、南さん」
呼びかけに、カウンターの中にいた南の顔が上がった。あいかわらずのそっけない表情。
それなのに、不思議と受け入れてもらっている気分になるのだ。なんでなのだろう。
「珍しいな。仕事、明日休みなのか」
「ううん。明日も昼から仕事なんだけど」
仕事が終わった途端に、バイクに乗ってやって来てしまった。元より決めている曜日でも、なんでもないのに。
真相を隠し、へらりと笑う。南の顔がよく見えるいつもの特等席に腰かけて、コートを脱ぐ。
「余りものでよかったら食うか」
「いいの?」
「じゃなかったら、なんで来たんだ?」
さも当然と問われ、時東は内心で首を傾げた。ごはんを食べたい。ここに来るときは、いつもそう思っていた。
味のあるもの。一緒にいてくれる誰か。気負わない場所。自然体でいることのできるところ。
「南さんの顔が見たかった、かな」
ぽろりとこぼれたそれに、南の動きがかすかに止まった。
「おまえな」
あれ、と思っているうちに、呆れたような声が耳に響く。
「そういう台詞は、好きな女にでも言えよ」
実践してしまったのかもしれない。ほんの少し疑いながら、「それもそうだね」と時東は笑った。そうするべきなのだろう、本来であれば。
なにか温め直してくれているのか、優しい出汁の匂いがした。時東がいようがいまいが、おそらくはなにも変わらない、淡々とした動作。けれど、時東のために用意されているものなのだ。
――落ち着くなぁ、やっぱり。
この場所は、どうしようもなく落ち着く。否定することは、もうできなかった。いつのまにか、そういう場所になってしまっている。誰にも邪魔をされたくない、なによりも大切な場所。
目の前の優しい光景を、ただじっと時東は見つめていた。
41
お気に入りに追加
51
あなたにおすすめの小説
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
すこやか食堂のゆかいな人々
山いい奈
ライト文芸
貧血体質で悩まされている、常盤みのり。
母親が栄養学の本を読みながらごはんを作ってくれているのを見て、みのりも興味を持った。
心を癒し、食べるもので健康になれる様な食堂を開きたい。それがみのりの目標になっていた。
短大で栄養学を学び、専門学校でお料理を学び、体調を見ながら日本料理店でのアルバイトに励み、お料理教室で技を鍛えて来た。
そしてみのりは、両親や幼なじみ、お料理教室の先生、テナントビルのオーナーの力を借りて、すこやか食堂をオープンする。
一癖も二癖もある周りの人々やお客さまに囲まれて、みのりは奮闘する。
やがて、それはみのりの家族の問題に繋がっていく。
じんわりと、だがほっこりと心暖まる物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
素材採取家の異世界旅行記
木乃子増緒
ファンタジー
28歳会社員、ある日突然死にました。謎の青年にとある惑星へと転生させられ、溢れんばかりの能力を便利に使って地味に旅をするお話です。主人公最強だけど最強だと気づいていない。
可愛い女子がやたら出てくるお話ではありません。ハーレムしません。恋愛要素一切ありません。
個性的な仲間と共に素材採取をしながら旅を続ける青年の異世界暮らし。たまーに戦っています。
このお話はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
裏話やネタバレはついったーにて。たまにぼやいております。
この度アルファポリスより書籍化致しました。
書籍化部分はレンタルしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる