2 / 82
プロローグ
0:南食堂 11月4日22時24分 ②
しおりを挟む
溜息を呑み込み、おでんの仕込みを再開する。
あんな依頼受けなきゃよかったと悔やんだところで後の祭りでしかないし、一度できた縁は、そう簡単に切れないようになっているのだ、たぶん。
二度目の溜息も呑み込んで、南は食堂をそっと見渡した。亡き両親から受け継いだ南食堂は、カウンター席が五席、四人がけの客席がひとつに、ふたりがけの客席が四つの小さな店である。
店の名を売るつもりもない以上、バラエティ番組の出演など面倒ごとでしかなかったのだが、町役場勤めの同級生に泣きつかれ断ることができなくなったのだ。田舎暮らしの悲しい性としか言いようがない。
「俺、南さんのごはん食べると幸せな気分になれるんだよね、マジで」
山盛り追加してやった白米を、白菜の浅漬けをおかずに、時東は子どものような顔でもりもりと食べている。言葉どおり幸せそうではある。ただの白米なのに。
若い女の子を中心にブレイク中の若手アーティストらしいが、そんなに食に逼迫しているのだろうか。ほぼ隔週、片道二時間もかけて、こんな田舎にやってくる人間の気が知れない。ブレイク中と言いつつ、さして仕事がないのかもしれない。
南が抱き始めた疑惑など露知らない顔で、「おでんもおいしいよねぇ、冬だなぁ」と時東は頬を緩ませている。
「おまえが今食べる分はないからな」
「いいもん、また来るから。できればたっぷり売れ残ってる日にお邪魔したい。ねぇ、南さん。いつなら売れ残りそう?」
「おいこら、時東」
縁起でもないことを言う男を、目つきが悪いと揶揄される原因の三白眼で軽く睨む。それなのに、なぜか身体をくねらされてしまった。
「わー、南さんに二週間ぶりに名前呼んでもらえた」
前に呼んだときは、果たしてどういったタイミングだったのか。
問いかけてしまえば最後、一から十まで細かく説明されそうだったので、黙殺することにした。
「冗談はさておいて。ごちそうさまでした。南さん。おいしかったです」
行儀良く手を合わせて、時東が頭を下げる。面倒だと感じていても、来訪をきっぱり断ることのできない要因はこれなのかもしれない。
下ゆで用の鍋に大根を放り込んで、やかんに手を伸ばす。
「茶、いるか」
「んー、すごく嬉しいけど、ますます帰りづらくなるので自重します」
顔を隠すようにぐるぐるとマフラーを巻いて、時東が立ち上がる。テレビと同じく南が子どもだったころから設置されている壁時計は、二十三時を指そうとしていた。この男が家に着くのは、早くて一時。前に、時東自身が言っていたことだ。
「南さん、お勘定」
「だから、おまえは客じゃねぇ」
「それって」
「斜め上の意訳はいらねぇからな」
大仰に目を煌かせた時東を切り捨てて、再び包丁を手に取る。これも父が使っていたものだ。使い始めて二年が経ち、ようやく少し南の手に馴染むようになった。
のれんの上がっている時間帯には来るな、営業妨害だ、と初っ端に告げたのは南で、時東は言いつけを順守している。それだけのことなので、妙な解釈はしないでいただきたい。
「まぁ、俺としては、のんびりさせてもらえて大満足だけど」
がら、と鈍い音を立てて時東が戸を引く。南の手元にも霜月の冷たい夜風が吹き込んできた。田舎の夜は暗い。外はきっと真っ暗だ。
「時東」
声をかけると、華やいだ顔が振り返った。洒落た店のひとつもない田舎の、築数十年になる食堂の軒先。そんな変哲のない場所がテレビのワンシーンのようになるのだから、芸能人とやらのオーラは凄まじい。
「気をつけろよ」
若手人気歌手、事故死、なんてニュースは見たくない。
ほほえんだ時東がひらりと手を振った。やはりどうにも華がある。だからだろうな、と思う。だから、いなくなると寂しい感じがするのだ。
――ま、どんな人間でも、帰るってなったら寂しいは寂しいだろ。
それが騒がしい人間であれば、なおのこと。
店の外で、バイクのエンジンが唸る音がした。ロケのあと、はじめて来訪した折に、あまりにも派手な車で来たものだから、目立つ車に乗ってくるな、と苦い顔をしてしまったのだ。それ以降、時東の移動手段はバイクになった。
そういった素直なところが、なんともかわいい。さほど年も変わらない、図体ばかりでかい男だが。
おそらくはまた隔週、十八日の金曜日。
そのときは、少しだけ多めに仕込んでおいてやるとするか。バイクの音が次第に小さくなっていく。鍋が茹だるぐつぐつという音が、ひっそりと店内に響いていた。
あんな依頼受けなきゃよかったと悔やんだところで後の祭りでしかないし、一度できた縁は、そう簡単に切れないようになっているのだ、たぶん。
二度目の溜息も呑み込んで、南は食堂をそっと見渡した。亡き両親から受け継いだ南食堂は、カウンター席が五席、四人がけの客席がひとつに、ふたりがけの客席が四つの小さな店である。
店の名を売るつもりもない以上、バラエティ番組の出演など面倒ごとでしかなかったのだが、町役場勤めの同級生に泣きつかれ断ることができなくなったのだ。田舎暮らしの悲しい性としか言いようがない。
「俺、南さんのごはん食べると幸せな気分になれるんだよね、マジで」
山盛り追加してやった白米を、白菜の浅漬けをおかずに、時東は子どものような顔でもりもりと食べている。言葉どおり幸せそうではある。ただの白米なのに。
若い女の子を中心にブレイク中の若手アーティストらしいが、そんなに食に逼迫しているのだろうか。ほぼ隔週、片道二時間もかけて、こんな田舎にやってくる人間の気が知れない。ブレイク中と言いつつ、さして仕事がないのかもしれない。
南が抱き始めた疑惑など露知らない顔で、「おでんもおいしいよねぇ、冬だなぁ」と時東は頬を緩ませている。
「おまえが今食べる分はないからな」
「いいもん、また来るから。できればたっぷり売れ残ってる日にお邪魔したい。ねぇ、南さん。いつなら売れ残りそう?」
「おいこら、時東」
縁起でもないことを言う男を、目つきが悪いと揶揄される原因の三白眼で軽く睨む。それなのに、なぜか身体をくねらされてしまった。
「わー、南さんに二週間ぶりに名前呼んでもらえた」
前に呼んだときは、果たしてどういったタイミングだったのか。
問いかけてしまえば最後、一から十まで細かく説明されそうだったので、黙殺することにした。
「冗談はさておいて。ごちそうさまでした。南さん。おいしかったです」
行儀良く手を合わせて、時東が頭を下げる。面倒だと感じていても、来訪をきっぱり断ることのできない要因はこれなのかもしれない。
下ゆで用の鍋に大根を放り込んで、やかんに手を伸ばす。
「茶、いるか」
「んー、すごく嬉しいけど、ますます帰りづらくなるので自重します」
顔を隠すようにぐるぐるとマフラーを巻いて、時東が立ち上がる。テレビと同じく南が子どもだったころから設置されている壁時計は、二十三時を指そうとしていた。この男が家に着くのは、早くて一時。前に、時東自身が言っていたことだ。
「南さん、お勘定」
「だから、おまえは客じゃねぇ」
「それって」
「斜め上の意訳はいらねぇからな」
大仰に目を煌かせた時東を切り捨てて、再び包丁を手に取る。これも父が使っていたものだ。使い始めて二年が経ち、ようやく少し南の手に馴染むようになった。
のれんの上がっている時間帯には来るな、営業妨害だ、と初っ端に告げたのは南で、時東は言いつけを順守している。それだけのことなので、妙な解釈はしないでいただきたい。
「まぁ、俺としては、のんびりさせてもらえて大満足だけど」
がら、と鈍い音を立てて時東が戸を引く。南の手元にも霜月の冷たい夜風が吹き込んできた。田舎の夜は暗い。外はきっと真っ暗だ。
「時東」
声をかけると、華やいだ顔が振り返った。洒落た店のひとつもない田舎の、築数十年になる食堂の軒先。そんな変哲のない場所がテレビのワンシーンのようになるのだから、芸能人とやらのオーラは凄まじい。
「気をつけろよ」
若手人気歌手、事故死、なんてニュースは見たくない。
ほほえんだ時東がひらりと手を振った。やはりどうにも華がある。だからだろうな、と思う。だから、いなくなると寂しい感じがするのだ。
――ま、どんな人間でも、帰るってなったら寂しいは寂しいだろ。
それが騒がしい人間であれば、なおのこと。
店の外で、バイクのエンジンが唸る音がした。ロケのあと、はじめて来訪した折に、あまりにも派手な車で来たものだから、目立つ車に乗ってくるな、と苦い顔をしてしまったのだ。それ以降、時東の移動手段はバイクになった。
そういった素直なところが、なんともかわいい。さほど年も変わらない、図体ばかりでかい男だが。
おそらくはまた隔週、十八日の金曜日。
そのときは、少しだけ多めに仕込んでおいてやるとするか。バイクの音が次第に小さくなっていく。鍋が茹だるぐつぐつという音が、ひっそりと店内に響いていた。
53
お気に入りに追加
47
あなたにおすすめの小説
異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~
戸森鈴子 tomori rinco
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。
そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。
そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。
あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。
自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。
エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。
お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!?
無自覚両片思いのほっこりBL。
前半~当て馬女の出現
後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話
予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。
サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。
アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。
完結保証!
このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。
※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
公爵家長男はゴミスキルだったので廃嫡後冒険者になる(美味しいモノが狩れるなら文句はない)
音爽(ネソウ)
ファンタジー
記憶持ち転生者は元定食屋の息子。
魔法ありファンタジー異世界に転生した。彼は将軍を父に持つエリートの公爵家の嫡男に生まれかわる。
だが授かった職業スキルが「パンツもぐもぐ」という謎ゴミスキルだった。そんな彼に聖騎士の弟以外家族は冷たい。
見習い騎士にさえなれそうもない長男レオニードは廃嫡後は冒険者として生き抜く決意をする。
「ゴミスキルでも美味しい物を狩れれば満足だ」そんな彼は前世の料理で敵味方の胃袋を掴んで魅了しまくるグルメギャグ。
あなたは異世界に行ったら何をします?~良いことしてポイント稼いで気ままに生きていこう~
深楽朱夜
ファンタジー
13人の神がいる異世界《アタラクシア》にこの世界を治癒する為の魔術、異界人召喚によって呼ばれた主人公
じゃ、この世界を治せばいいの?そうじゃない、この魔法そのものが治療なので後は好きに生きていって下さい
…この世界でも生きていける術は用意している
責任はとります、《アタラクシア》に来てくれてありがとう
という訳で異世界暮らし始めちゃいます?
※誤字 脱字 矛盾 作者承知の上です 寛容な心で読んで頂けると幸いです
※表紙イラストはAIイラスト自動作成で作っています
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
【完結】実はチートの転生者、無能と言われるのに飽きて実力を解放する
エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング1位獲得作品!!】
最強スキル『適応』を与えられた転生者ジャック・ストロングは16歳。
戦士になり、王国に潜む悪を倒すためのユピテル英才学園に入学して3ヶ月がたっていた。
目立たないために実力を隠していたジャックだが、学園長から次のテストで成績がよくないと退学だと脅され、ついに実力を解放していく。
ジャックのライバルとなる個性豊かな生徒たち、実力ある先生たちにも注目!!
彼らのハチャメチャ学園生活から目が離せない!!
※小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる