隣のチャラ男くん

木原あざみ

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お隣さんの懸念②

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 とは言え、あれだけ眠い眠いと連呼していたのだ。シャワーを浴び終えたころには眠っているんじゃないだろうか。
 そんな淡い期待を抱いていた慎吾は、十分前と変わらずもぞもぞと動いている毛布の塊を前に、またひとつ諦めざるをえなかった。

「しろって、俺に対して警戒心ってものはないの」

 まぁいいと言えばいいんだけどね。何度目になるのかわからないことをおのれに言い聞かせながら、慎吾は布団を半分はぎ取った。
 真白と違って、今日は自分が眠れない夜になりそうだ。幼馴染みの体温で布団の中はあたたかい。

「なんで?」
「なんでって、えーと、……うん」

 背中越しに響いた声に、自分で聞いたくせに、慎吾は言葉に詰まってしまった。なにが、「うん」だ。

「だって」

 できるだけ、なんでもない調子で続ける。

「いや、まぁ、このあいだのは冗談だったにしてもさ、俺、男も恋愛対象だもん。それで、しろも知ってると思うけど、身持ちも軽いし」
「まぁ、なぁ。おまえ、マジで軽いよなぁ」
「そこなの、しろの同意ポイントは。というか、だから、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて、なんだよ」

 早く言わないと、マジで寝るからなと続いた台詞に、「だろうな」と慎吾は思った。心の底から同意する。幼馴染みの寝つきは、抜群にいいのだ。それはもう昔から。だからこそ、俺がいないと眠れないという発言の真意が謎すぎる。
 むずがるように寝返りを打った真白の髪が、頬をくすぐった。自然と指が伸びて、あやすように黒髪を一度、二度、と梳く。指の隙間からこぼれていく毛先を見つめたまま、慎吾は小さく息を吐いた。

「だから、こう、なんていうのかな。うっかり自分に手ぇ出されたらどうしよう、とか」

 冗談だと言ったことを棚上げにして、そう告げる。瞬間、空気がかすかにこわばった気がした。気のせいかもしれないけれど。それでも真白が応えるまでに少し間があった。

「ないだろ」

 だよねぇと苦笑する。つい先ほどした自問でも同じ答えは出ていたのだ。わかっていた。そのままでいいとも思っていた。それなのに、真白の口から直接聞くと、重たいものを呑み込んだ感覚があった。

 ――俺は、そういう対象として、ずっと見てるんだけどな。

 言えるわけがなくて、「うん」とだけ慎吾は呟いた。

「おやすみ」

 誤魔化すようにそう伝えて、撫でていた頭から手を離す。

「しろ?」

 その手を掴まれて、慎吾は「ん?」と問い返した。子ども体温のぬくもりが指先から伝播してくる。眠いのだろうか。また少し間が生まれた。

「おまえのそれが、どこまでのことを言ってるのかは知らねぇけど」
「うん」
「おまえはしないだろ」

 淡々と言い切られて、慎吾は苦く笑った。
 おまえのその信頼はどこからきてるの。というか、このあいだ、おまえ、すごいびっくりした顔してたじゃん。びっくりしたっていうか、怖がってるみたいな。
 俺がどれだけビビったと思ってるの。
 うんとはもう言えなくて、慎吾は黙り込んだ。自分がなにを言わなくても、あと数分もすれば真白は寝るだろう。だからべつに大丈夫だ。
 そう言い聞かせる。朝になったら、いつもの自分に戻れる。へらりと笑って一緒にごはんを食べて、なんでもないことを話すだけの日々。
 真白が望んでいる、日常。

「――な?」

 ぼんやりとそんなことを考えていたせいで、真白の問いかけを聞き逃してしまった。

「ごめん、しろ。もう一回言ってくれる?」

 視線を落とすと、なぜか握り合った状態になっている手の甲が見えた。真白の黒い毛先が、シーツの上に散っている。

「もう一回だけ聞くけど、あれ、やっぱり冗談じゃなかったよな」
「……」
「冗談でいいのか?」

 冗談でいいと決めたはずだった。だって、関係が変わることを真白はきっと望んでいない。黙り込んだ慎吾に、しびれを切らしたように真白が目を閉じた。

「いいなら、それでいいけど」

 その代わりに、この話はもう二度としない。そう宣言されているみたいで、慎吾は「真白」とその名前を呼んだ。このままうやむやにしたら、きっと一生後悔する。そんな予感に背を押された。
 いつからかはわからない。けれど、その名前を呼ぶだけで、いつのまにか、たまらなくなりそうになっていた。だから、愛称で呼ぶようになった。
 そうやって、なんとか踏ん張ろうとしていた。真白が望む関係を続けようと思っていた。そのはずだった。それなのに。
 肩をゆすると、真白が目を開けた。まるで抱き込むような体勢になっている。そのことにも気がついていたけれど、慎吾はそのまま問いかけた。

「真白は、そこで俺が『本気だった』って、そう言ったら、どうするの?」

 質問返しで逃げていることはわかっていたけれど、聞かずにはいられなかった。

「本気って、なにが、本気? 俺にでもできるから、警戒しろって――」
「真白が好き」

 台詞を遮って、慎吾は言い切った。驚いたように丸い瞳が瞬く。けれど、そこに畏怖や嫌悪はひとつもなかった。それでも早かったかもしれないと言ったそばから後悔が湧き始めていた。でも、真白がこんなふうに聞いてきたのは、はじめてだったのだ。

「どうする? もし本気だっていうのが、そういうことだったら」

 逃げ道を与えてやりたくてそう言ったつもりだった。けれど、逃げ道を欲していたのは、自分のほうだったかもしれない。まだ冗談にもできると、そう。でも、真白は選ばなかった。

「その好きっていうのは、なんなの?」

 いつもと変わらないあっさりとした声。慎吾は少しだけ考えて答えた。

「誰よりも一番特別に、好き」

 ここまで来て、自分だけ逃げられるわけがない。伝えのは本音だった。ばくばくと信じられないくらい心臓が鳴っていた。ずっと言うつもりのなかったこと。でも、言いたかったこと。矛盾ばかりで、でもひとつだけはっきりとしている。好きだった。ほかの誰とも比べようがないくらいに。
 じっと慎吾を見つめていた黒い瞳が、ゆっくりと瞬く。

「べつに、いいよ」

 触れていた真白の手が、慎吾の指先をきゅっと強く握った。

「おまえの特別だって言うんなら、べつにいいよって、俺は言うと思う」

 その意味を理解するのに、少し時間がかかった。はたして、それは、真白にとって恋愛なのだろうか。家族愛の、友情の延長戦なのだろうか。

「俺がキスしたいって言っても、真白はそれを受け入れられるの」

 真白は少し考え込むように視線を落として、それから首を伸ばした。唇に真白のそれがかすかに当たる。
「大丈夫」真白が小さく声を落とした。「おまえ、今ためしたの」とからかう余裕はもうなかった。

「おまえがいないと、眠れない」

 いつかの夜と同じように、真白が頭を胸元に摺り寄せてくる。
 たまらなく愛おしいと思った。
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