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お隣さんの懸念①
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さて、どうしよう。
ひさしぶりに上がり込んだ幼馴染みの部屋で、慎吾は悩んでいた。空気をこれ以上悪くしたくはないので、やけくそで笑顔を張り付けてはいるが、だがしかし。
「慎吾ー、腹減った」
のんきすぎる催促に、とりあえず慎吾はへらりとした声を出した。台所に立っているので顔は見えていないはずだ。大丈夫、誤魔化せる。
「あー、うん。うどん茹でてるだけだから。ちょっと待って」
前回補充した冷凍うどんは、手付かずの状態で冷凍庫に眠っていた。その他の食材もしかりである。こいつ、この一週間、なに食って生きてたんだ。
浮かんだ疑念は、ごみ箱からのぞく割り箸やらなんやらで判明した。インスタントばっかりじゃねぇか。
「早くしないと、俺、マジで寝るかも。めちゃくちゃ眠い」
その台詞を最後に、ぼすっとベッドに倒れ込んだらしい音がした。なんでだ。本気でよくわからなくなってきて、慎吾は首を捻った。
なんで、こんなに真白はけろりとしてるんだろう。
【お隣さんの懸念】
いや、だからと言って、ぎこちなくなりたかったわけでもないのだが。
――しろからしたら、俺が勝手にひとりで拗ねてだけなのかな、これ。
この数日、こっちは生きた心地がしなかったというのに。秘めていた自分の気持ちを知ったはずの幼馴染みは、悩んでいたそぶりすら見せない。完全に通常運転だ。
よくわかんねぇなぁと思いながら、慎吾はテーブルにうどんを置いた。
冷凍うどんに、これまた冷凍していた油揚げを甘辛く煮ただけのお手軽きつねうどんだ。
「はい、どうぞ」
食欲が勝ったのか、真白がのっそりとベッドから這い出てきた。うどんを前に、ほわと頬をゆるめる。
「あったかそう」
「うん。あったまると思うよ」
外は寒かったしねと思いながら、もそもそと小動物のように咀嚼している幼馴染みに問いかける。真白が自分をつくったものを食べているところを見るのが、昔から慎吾は好きだ。優しくしている気分になれる。
「おいしい?」
「今度、なべ食いたい」
「好きだね、しろ」
そう言うと、箸の動きが止まった。あれ、なにか間違ったかな。一抹の不安を抱いたのだが、真白はなにも言わなかった。そしてなにごともなかったかのように、あげをかじり始める。
こいつの一口ってちっさいんだよなぁ。だから小動物っぽいのかな。なんてことを考えながら、慎吾は呼びかけた。
「ねぇ、しろ」
「なんだよ」
怪訝そうに顔を上げた真白は、まったくもっていつもどおりだった。いつもどおり。
ちょっと前までの情緒不安定さはどこに捨ててきたんだと思わなくもないが、見慣れた態度に安堵していることも事実だった。結局、自分は真白に変わらないでいてほしいのかもしれない。
その顔をまっすぐに見つめたまま、言う。
「ごめんね」
自分が謝るべきだという自覚はあったのだ。返事を待っていると、幼馴染みが箸を置いた。
「なにが?」
「いや、あの、なにがというか」
「なにがっていうか、どれ? 今日のことだったら、いいかげん適当に遊ぶのやめよ。俺というか、あっちが気の毒だよ、さすがに」
「そこ?」
予想と違う反応に、知らず声のトーンが上がる。面倒なことに巻き込むなと罵倒される覚悟はしていたのだが、そっちは予想外だった。その慎吾の反応にだろう、嫌そうに真白が目を眇めた。
「おまえが遊びでも、あっちは違ったんだろ。だったら駄目だろ」
「いや」
お互い遊びのつもりだったんだよと言い繕うとした言葉を、寸前で呑み込む。いつからなのかは定かではないが、そうじゃなくなっていたことに気づいてはいたのだ。
応える気はなかったから、うやむやに終わらせて、なかったことにしようとしていただけで。
「わかってんだろ」
「うん、ごめん」
「謝る相手は俺じゃないと思うけど」
「いや、でも。……その、しろにも迷惑かけたから」
言い募ると、渋々といったふうに真白が頷いた。
「わかった」
その言葉にほっとしたのもつかのまで、「このあいだのはだけど」と真白が切り出す。変わらない淡々とした声だったが、背筋が伸びる。
「おまえ、ごめんって言ったけどさ」
「……うん」
「ごめんでいいのか?」
「え?」
意図が掴み切れなくて、慎吾は問い返した。
「いいのかって、なにが?」
「だから、おまえ本気だっただろ。その、……よくわかんねぇけど、本気で俺とそういうことしたかったわけ? さっきのやつとしてたみたいに」
「えー……と」
あぁ、なんだ、と脱力してしまった。本気って、そういう本気に取ったの。じっとこちらを見つめてくる瞳の圧に屈したかたちで、視線がずり下がっていく。どんぶりに描かれた模様を三つ数えてから、慎吾は顔を上げた。
「冗談です、ごめんなさい」
「冗談で、本当にいいのか?」
うん、と笑って頷く。
まさか、そんなふうに取られているとは思ってもいなかった。けれど、つまり、真白にとって「慎吾が自分を恋愛的な意味で好き」という事実は、とんでもなくありえないものなのだろう。
だったら、冗談でいい。この数日で思い知ったのだ。離れるくらいなら、自分の気持ちを隠してずっとそばにいるほうがいいと、そう。
「おまえがいいなら、いいけど」
まじまじとこちらを凝視してから、真白は箸をとった。話は終わり、ということらしい。
再びうどんをすすり始めた童顔には、すっきりしたと書いてある。これで正解だよな、と慎吾は頬杖をついたまま考えていた。
自分が好きだと言っても真白は断らない。同じ好きではないかもしれないけれど、自分が離れていくほうが嫌だから。そう思っていたけれど、思い上がりだったのかもしれない。その可能性に気がついてしまったら、どうする気も起きなくなった。
へたれだと笑ってもらって、大いに結構。怖がられるより、よっぽどマシだ。諦めと安堵が入り混じった感情に蓋をして、慎吾はごちそうさまと手を合わせる幼馴染みに笑顔を向けた。
「眠い」
「ちっちゃい子じゃないんだから」
目をこすり始められて、苦笑ひとつできれいに空いた器を手に立ち上がる。
「寝るなら、歯みがきしておいで」
でも、たしかに真白にしては随分と遅い時間だ。自分も洗い物を済ませたら家に帰ろう。そう決めて冷たい水で鍋を洗っていると、もごもごと真白が話しかけてきた。
「だって、眠い。っつか、最近、寝れてなかったから」
「しろが?」
寝れてないときたか。嘘だろと内心で思っていると、ぺたぺたとした足音が近づいてくる。
「俺だって、眠れないときくらいあるし」
「へぇ。じゃあ、眠くなってよかったじゃん。というか、垂らさないでね」
歯ブラシを咥えたまま喋り続ける幼馴染みに一瞥をくれたところで、慎吾はぎょっとした。思っていた以上に近くにいたからである。
いつも洗面所でみがいてなかったっけ。洗面所というか風呂場というかトイレというか、まぁそのなんだ、すべてが一体化してる水回りで。
もしかしてこの一週間で足の踏み場もないほど汚くなってるんじゃ。
「なぁ」
「なに? というか、しろ。怒らないから教えてほしいんだけど。お風呂場ちゃんと掃除してる?」
「おまえは俺の母ちゃんか。してるし。そこそこ。俺が汚くないと思うレベルで」
「あ、そう」
なら、いいか。納得はしたが見ないようにしようと慎吾は思った。きっとケチをつけたくなる。
「いや、そうじゃなくて。おまえさ」
どことなく言いにくそうに真白が続ける。
「帰るの?」
「その、つもりだけど?」
いつもそうだよねの意を込めて首を傾げると、真白が不服そうに眉間に皺を寄せた。
「べつにいいじゃん、ここで寝たら。どうせ明日の朝も来るくせに」
それが理にかなっているといわんばかりだ。鉄壁の愛想笑いがぴきりと固まる。真白になんの他意もないことはわかる。わかっているけれども、だ。
「え、狭いでしょ」
「寝れるだろ、べつに」
シングルベッドだ。どちらも平均から大幅に超過しているわけではないが、それでも成人手前の男ふたりだ。寝苦しいだろ。
「でも、寝苦しいんじゃないかなー」
「寝れるだろ」
ふたりねを回避すべく出した懸案を同じ台詞で一蹴するなり、真白は洗面所に戻っていく。
洗い物が終わり次第自分が引き上げるとわかって、引き留めに来たのだろうか。声にならない溜息を落として、慎吾は洗い物の残りに手をつけた。いったい、なんの試練なのか。
あっというまに終わってしまった洗い物の前で、途方に暮れる。明日締め切りのレポートがあることにでもしてしまおうか。布巾で器を拭いながら新たな言い訳を考えていると、歯みがきを終えたらしい真白が舞い戻ってきた。
「帰るの?」
わざわざ隣に立って問われたそれに、もう一度溜息を呑み込む。こいつは、俺に対する警戒心を持とうとは思わないのだろうか。いや、思わないんだろうな。
「いや、まぁ、ここで寝てもいいんだけど。でも、今までそんなこと言わなかったじゃん。どうしたの、急に」
「べつに、なんとなく。だって面倒くさくねぇの、いちいち帰るの」
「うーん、そうでもないけど」
曖昧に笑い返すと、真白がじっと見上げてきた。あいかわらずの子どもみたいな瞳。黒目が大きくて、白い部分も生まれたての赤ちゃんみたいに透き通っている。
――なんか、逆らえないんだよなぁ。
だから、もう半分諦めている。それでもうんと言えずにいると、真白がぽそりと呟いた。
「おまえがいないと、なんか眠れない」
「え?」
「だから、責任とれよ、ばか」
言い捨てるなり、もぞもぞとベッドに潜り込んでいく。できあがった毛布の塊を無視して自分の部屋に帰れたら、こんなに困ることはなかったんだろうな。
自身に苦笑して、慎吾は「ちょっと待っててね」と声をかけた。
甘やかしているというよりも、「惚れたほうの負け」というやつなのかもしれないと思いながら。
ひさしぶりに上がり込んだ幼馴染みの部屋で、慎吾は悩んでいた。空気をこれ以上悪くしたくはないので、やけくそで笑顔を張り付けてはいるが、だがしかし。
「慎吾ー、腹減った」
のんきすぎる催促に、とりあえず慎吾はへらりとした声を出した。台所に立っているので顔は見えていないはずだ。大丈夫、誤魔化せる。
「あー、うん。うどん茹でてるだけだから。ちょっと待って」
前回補充した冷凍うどんは、手付かずの状態で冷凍庫に眠っていた。その他の食材もしかりである。こいつ、この一週間、なに食って生きてたんだ。
浮かんだ疑念は、ごみ箱からのぞく割り箸やらなんやらで判明した。インスタントばっかりじゃねぇか。
「早くしないと、俺、マジで寝るかも。めちゃくちゃ眠い」
その台詞を最後に、ぼすっとベッドに倒れ込んだらしい音がした。なんでだ。本気でよくわからなくなってきて、慎吾は首を捻った。
なんで、こんなに真白はけろりとしてるんだろう。
【お隣さんの懸念】
いや、だからと言って、ぎこちなくなりたかったわけでもないのだが。
――しろからしたら、俺が勝手にひとりで拗ねてだけなのかな、これ。
この数日、こっちは生きた心地がしなかったというのに。秘めていた自分の気持ちを知ったはずの幼馴染みは、悩んでいたそぶりすら見せない。完全に通常運転だ。
よくわかんねぇなぁと思いながら、慎吾はテーブルにうどんを置いた。
冷凍うどんに、これまた冷凍していた油揚げを甘辛く煮ただけのお手軽きつねうどんだ。
「はい、どうぞ」
食欲が勝ったのか、真白がのっそりとベッドから這い出てきた。うどんを前に、ほわと頬をゆるめる。
「あったかそう」
「うん。あったまると思うよ」
外は寒かったしねと思いながら、もそもそと小動物のように咀嚼している幼馴染みに問いかける。真白が自分をつくったものを食べているところを見るのが、昔から慎吾は好きだ。優しくしている気分になれる。
「おいしい?」
「今度、なべ食いたい」
「好きだね、しろ」
そう言うと、箸の動きが止まった。あれ、なにか間違ったかな。一抹の不安を抱いたのだが、真白はなにも言わなかった。そしてなにごともなかったかのように、あげをかじり始める。
こいつの一口ってちっさいんだよなぁ。だから小動物っぽいのかな。なんてことを考えながら、慎吾は呼びかけた。
「ねぇ、しろ」
「なんだよ」
怪訝そうに顔を上げた真白は、まったくもっていつもどおりだった。いつもどおり。
ちょっと前までの情緒不安定さはどこに捨ててきたんだと思わなくもないが、見慣れた態度に安堵していることも事実だった。結局、自分は真白に変わらないでいてほしいのかもしれない。
その顔をまっすぐに見つめたまま、言う。
「ごめんね」
自分が謝るべきだという自覚はあったのだ。返事を待っていると、幼馴染みが箸を置いた。
「なにが?」
「いや、あの、なにがというか」
「なにがっていうか、どれ? 今日のことだったら、いいかげん適当に遊ぶのやめよ。俺というか、あっちが気の毒だよ、さすがに」
「そこ?」
予想と違う反応に、知らず声のトーンが上がる。面倒なことに巻き込むなと罵倒される覚悟はしていたのだが、そっちは予想外だった。その慎吾の反応にだろう、嫌そうに真白が目を眇めた。
「おまえが遊びでも、あっちは違ったんだろ。だったら駄目だろ」
「いや」
お互い遊びのつもりだったんだよと言い繕うとした言葉を、寸前で呑み込む。いつからなのかは定かではないが、そうじゃなくなっていたことに気づいてはいたのだ。
応える気はなかったから、うやむやに終わらせて、なかったことにしようとしていただけで。
「わかってんだろ」
「うん、ごめん」
「謝る相手は俺じゃないと思うけど」
「いや、でも。……その、しろにも迷惑かけたから」
言い募ると、渋々といったふうに真白が頷いた。
「わかった」
その言葉にほっとしたのもつかのまで、「このあいだのはだけど」と真白が切り出す。変わらない淡々とした声だったが、背筋が伸びる。
「おまえ、ごめんって言ったけどさ」
「……うん」
「ごめんでいいのか?」
「え?」
意図が掴み切れなくて、慎吾は問い返した。
「いいのかって、なにが?」
「だから、おまえ本気だっただろ。その、……よくわかんねぇけど、本気で俺とそういうことしたかったわけ? さっきのやつとしてたみたいに」
「えー……と」
あぁ、なんだ、と脱力してしまった。本気って、そういう本気に取ったの。じっとこちらを見つめてくる瞳の圧に屈したかたちで、視線がずり下がっていく。どんぶりに描かれた模様を三つ数えてから、慎吾は顔を上げた。
「冗談です、ごめんなさい」
「冗談で、本当にいいのか?」
うん、と笑って頷く。
まさか、そんなふうに取られているとは思ってもいなかった。けれど、つまり、真白にとって「慎吾が自分を恋愛的な意味で好き」という事実は、とんでもなくありえないものなのだろう。
だったら、冗談でいい。この数日で思い知ったのだ。離れるくらいなら、自分の気持ちを隠してずっとそばにいるほうがいいと、そう。
「おまえがいいなら、いいけど」
まじまじとこちらを凝視してから、真白は箸をとった。話は終わり、ということらしい。
再びうどんをすすり始めた童顔には、すっきりしたと書いてある。これで正解だよな、と慎吾は頬杖をついたまま考えていた。
自分が好きだと言っても真白は断らない。同じ好きではないかもしれないけれど、自分が離れていくほうが嫌だから。そう思っていたけれど、思い上がりだったのかもしれない。その可能性に気がついてしまったら、どうする気も起きなくなった。
へたれだと笑ってもらって、大いに結構。怖がられるより、よっぽどマシだ。諦めと安堵が入り混じった感情に蓋をして、慎吾はごちそうさまと手を合わせる幼馴染みに笑顔を向けた。
「眠い」
「ちっちゃい子じゃないんだから」
目をこすり始められて、苦笑ひとつできれいに空いた器を手に立ち上がる。
「寝るなら、歯みがきしておいで」
でも、たしかに真白にしては随分と遅い時間だ。自分も洗い物を済ませたら家に帰ろう。そう決めて冷たい水で鍋を洗っていると、もごもごと真白が話しかけてきた。
「だって、眠い。っつか、最近、寝れてなかったから」
「しろが?」
寝れてないときたか。嘘だろと内心で思っていると、ぺたぺたとした足音が近づいてくる。
「俺だって、眠れないときくらいあるし」
「へぇ。じゃあ、眠くなってよかったじゃん。というか、垂らさないでね」
歯ブラシを咥えたまま喋り続ける幼馴染みに一瞥をくれたところで、慎吾はぎょっとした。思っていた以上に近くにいたからである。
いつも洗面所でみがいてなかったっけ。洗面所というか風呂場というかトイレというか、まぁそのなんだ、すべてが一体化してる水回りで。
もしかしてこの一週間で足の踏み場もないほど汚くなってるんじゃ。
「なぁ」
「なに? というか、しろ。怒らないから教えてほしいんだけど。お風呂場ちゃんと掃除してる?」
「おまえは俺の母ちゃんか。してるし。そこそこ。俺が汚くないと思うレベルで」
「あ、そう」
なら、いいか。納得はしたが見ないようにしようと慎吾は思った。きっとケチをつけたくなる。
「いや、そうじゃなくて。おまえさ」
どことなく言いにくそうに真白が続ける。
「帰るの?」
「その、つもりだけど?」
いつもそうだよねの意を込めて首を傾げると、真白が不服そうに眉間に皺を寄せた。
「べつにいいじゃん、ここで寝たら。どうせ明日の朝も来るくせに」
それが理にかなっているといわんばかりだ。鉄壁の愛想笑いがぴきりと固まる。真白になんの他意もないことはわかる。わかっているけれども、だ。
「え、狭いでしょ」
「寝れるだろ、べつに」
シングルベッドだ。どちらも平均から大幅に超過しているわけではないが、それでも成人手前の男ふたりだ。寝苦しいだろ。
「でも、寝苦しいんじゃないかなー」
「寝れるだろ」
ふたりねを回避すべく出した懸案を同じ台詞で一蹴するなり、真白は洗面所に戻っていく。
洗い物が終わり次第自分が引き上げるとわかって、引き留めに来たのだろうか。声にならない溜息を落として、慎吾は洗い物の残りに手をつけた。いったい、なんの試練なのか。
あっというまに終わってしまった洗い物の前で、途方に暮れる。明日締め切りのレポートがあることにでもしてしまおうか。布巾で器を拭いながら新たな言い訳を考えていると、歯みがきを終えたらしい真白が舞い戻ってきた。
「帰るの?」
わざわざ隣に立って問われたそれに、もう一度溜息を呑み込む。こいつは、俺に対する警戒心を持とうとは思わないのだろうか。いや、思わないんだろうな。
「いや、まぁ、ここで寝てもいいんだけど。でも、今までそんなこと言わなかったじゃん。どうしたの、急に」
「べつに、なんとなく。だって面倒くさくねぇの、いちいち帰るの」
「うーん、そうでもないけど」
曖昧に笑い返すと、真白がじっと見上げてきた。あいかわらずの子どもみたいな瞳。黒目が大きくて、白い部分も生まれたての赤ちゃんみたいに透き通っている。
――なんか、逆らえないんだよなぁ。
だから、もう半分諦めている。それでもうんと言えずにいると、真白がぽそりと呟いた。
「おまえがいないと、なんか眠れない」
「え?」
「だから、責任とれよ、ばか」
言い捨てるなり、もぞもぞとベッドに潜り込んでいく。できあがった毛布の塊を無視して自分の部屋に帰れたら、こんなに困ることはなかったんだろうな。
自身に苦笑して、慎吾は「ちょっと待っててね」と声をかけた。
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