隣のチャラ男くん

木原あざみ

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隣も大騒動②

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 あ、やっぱり、怒ってる。
 真白が確信したのは、「ごちそうさま、練習行ってくるねー」と、上機嫌で野々村が出て行ってからだった。

「なぁ」
「んー、なに。洗い物しちゃうからさ、机の上の持ってきて」

 会話になっていないと思いながらも、真白はすみやかに立ち上がった。
 台所に立つ背中からは、機嫌が悪いオーラがにじんでいる。というか真白にはそう見える。

「あの、おまえさ」
「だから、なにってば。立ってるんだったら、ついでにそれ拭いといて」

 はい、と手元に視線を落としたままの慎吾に濡れた皿を渡されて、真白は再認した。間違いなく怒っている。
 怒っているときや、なにか腹に一物を抱えているとき。そういった平静でいることが難しいようなとき、慎吾は絶対に真白の目を見ないのだ。
 感情の揺らぎがわかったところで、原因は不明であるわけだけど。
 手渡された小皿を布巾で拭きながら、幼馴染みの横顔をそっと盗み見る。同学年のはずなのに、昔からずっと見上げているな、とふと思った。プラス十センチ。それがふたりのあいだの距離だった。十センチ背が高いだけなのに、慎吾はまるで保護者のように面倒を見てくれていた。
 けれど、いつまでも甘えていていいのだろうか。

「なぁ、慎吾」
「だからなんですかってば。ほら、これも」

 新たに手渡された器を受け取りながら、真白はそのままを問いかけた。「おまえさ、こういうの、迷惑?」
 流れるようだった慎吾の指先の動きが、わずかに鈍った。

「こういうのって、うーん、そうだね。いきなりはやめてほしいかもね」

 俺にも一応予定ってものがあるからね。口元だけで笑って、慎吾が洗剤をスポンジに足した。あとは鍋で最後だ。
 それは、なんの予定なのだろう。誰のためのものなのだろう。そんなふうに考えてしまった自分が意外で、あぁ駄目だなと真白は悟った。
 慎吾に、自分の面倒をあたりまえの顔で見てくれる幼馴染みの存在に、依存しすぎている。
 思考を遮断するように、真白は一度小さく瞬いた。

「べつに、いいよ」
「……え? なにが?」

 きゅっとノズルの閉まる音がして、流水が止まる。隣を見上げると、ひさしぶりに目がしっかり合った気がした。

「だから、べつにいいって。おまえが面倒なんだったら。俺だって、ひとりでもできるし」

 もう一度そう繰り返すと、困惑した顔で慎吾が笑った。

「ごめん、しろ。それ、なんの話? ちゃんと主語言って?」
「だから、べつにいいんだって。おまえにも予定があるんだったら、それを優先したらいいし。むりやり俺に構ってくれなくて」

 だって、それがふつうなのだろうということは、さすがに真白でもわかる。
 それぞれで独立していて、それぞれの生活があって、だから、毎日のように一緒に過ごしたりなんてしない。いい年をした幼馴染みふたりが、毎朝一緒にごはんを食べることも、ふつうではない。そう判じることもできる。それが、自分たち以外だったらば。
 慎吾がなにか言いたそうに眉根を寄せて、小さく溜息を吐いた。そうしてから、「あのね」と言い聞かせる調子で口火を切った。うつむきかけていた視線が上がる。

「俺が、今まで一回でも、しろより誰かを優先したことってあった?」
「でも」
「でもじゃないでしょ。なかったでしょ、そんなこと。真白の相手するのが嫌だったら、もっと前に言ってる。それに、いくら俺の面倒見が良くてもね、いやいやだったら、こんなこと半年以上も続けれない」

 慎吾が本音を語ってくれていることは、真白にはあたりまえにわかる。でも、それが、いつまで持続するのかまでは知らない。
 恋人と幼馴染み。どちらを優先するのかと問われたら、それは恋人なのだと思う。それもわかっている。
 今は、今までは、その存在がなかったから、俺を最優先にしてくれていただけで。

「ちなみに、確認なんだけど。俺がさっき言ってたのは、野々村さんの話だからね」
「うん」

 でも、今、こうして隣にいてくれるのなら、いいのかもしれない。結論を先延ばしにしたいがための妥協だとわかっていても、今の真白にその先を考えることは難しかった。

「うん」

 だから、もう一度、慎吾の目を見てしっかりと頷く。ほっとしたように慎吾が表情をゆるめる。柔らかい、いつもの顔。自分にだけ見せる、つくりものじゃない笑顔。
 なんでもしてくれる器用な手がノズルを回す。その手が土鍋を洗い始めるところを、真白はなんとなくじっと見ていた。こちらに来てすぐにふたりで買ったものだ。ひとりだったら、使いようがない大きさのもの。いつか、埃を被る日がくるのだろうか。 

「ねぇ、しろはさ」

 なんでもないことのように慎吾が言った。

「俺がこんなふうに入り浸ってんの、嫌だったりしないの?」

 なにをいまさら、と真白は内心で呆れた。土鍋に視線を注いだまま、「そんなわけないだろ」と言い放つ。本当にいまさらすぎるとしか思えなかった。
 だって、真白にとって、慎吾は、もはや空気みたいな存在なのだから。
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