隣のチャラ男くん

木原あざみ

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隣も大騒動①

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「お、ちび」

 そろそろ講義に出席しないと、必修単位の取得がマジでヤバい。そんなわけで、真白は三日ぶりに大学に顔を出していたのだ。
 そうしてやっと夢見荘に戻ってきたと思ったら、これである。

「ちびじゃねぇし」

 階段の最後の一段を上り切ったところで、真白は憮然と言い返した。慎吾やおまえが無駄にでかいだけだ。たぶん。

「おー、じゃあ、えーと、……なんだっけ?」
「城崎」
「あ、それ、それ。どっかの温泉地と同じだってとこまではわかってたのに」

 いや惜しかった、と悪気のない顔で笑った隣人を、真白は黙殺した。
 覚えてねぇのは、おまえが人の顔を見るたびに「ちび」としか言わないからだろうが。



   【隣も大騒動】



 さて、角部屋ではない真白には、慎吾のほかにもうひとり隣人が存在していた。慎吾があれな分、反対側は静かだったらいいのにと思わなくはないのだが、そうは問屋が卸さない。
 ギシアンよりは幾分マシだが、こちらはこちらでギターの音がなかなかにひどいのだ。おまけに、なんの因果なのか、同じ大学の一学年先輩で、真白とは学部まで同じときている。オレンジ頭のバンドマン。悪人ではないが、いい隣人だとは口が裂けても言いたくない。
 その野々村が、なぜか真白の部屋の前で立ち止まっている。
 早く家に入ればいいのに。無言の圧をかけても、野々村はめげない。へらりとした笑みを張り付けて、じっとこちらを見返してくる。ろくでもないことを考えている顔だ。
 うぜぇと思ったが、無視したままドアノブは回せなかった。諦めの境地で問いかける。

「なんか用?」
「いや、用っていうか、どっちかっていうとお願いなんだけど」
「聞きたくないから終わりでいい?」

 寒いし疲れたから、俺は早く部屋に入りたい。そして寝たい。無表情で言い切った真白に、「待って、待って」と野々村が盛大に縋りつく。

「いいじゃん、ちょっとくらい隣人のお願い聞いてくれても! どうせ城崎ちゃんは今日も慎吾飯なんでしょ? 俺は金欠なの!」
「いや、知らないし」
「金欠なの。金欠。来月学食で奢ってあげるから、今日まぜてほしいんだけど」
「あんたにそれ言われて、奢ってもらった記憶ないんだけど」

 たしか夏にも同じようなことを言われた記憶はあるが、それだけだ。

「いやいやいや。それは、おまえが大学にいないからじゃん。だって俺、慎吾には二回くらい奢ったもん」
「あ、そう」

 まぁ、実際につくっているのは慎吾なので、いいと言えばいいのだが。

 ――でもなぁ。

 ちらりと真白は大型犬を窺いみた。問題はその慎吾なのだ。
 急に三人分となると面倒だったのか、その場は人当たり良く笑っていたくせに、散会後の機嫌が悪かった。
 本人にも自覚はなかったかもしれないが、悪いものは悪かった。

「あ、そう。じゃなくてさぁ、城崎ちゃーん」
「慎吾に言えよ。俺じゃなくて」
「だって、慎吾つかまんねぇし。それに城崎ちゃんのお願いだったら慎吾は聞くでしょ」
「いや」

 そんなにあいつ、俺に甘くないぞ、と言おうと思ったが、傍から見るとそうなのかもしれない。
 だがしかし。機嫌が悪い慎吾は嫌だ。
 基本的に沸点が高い幼馴染みは、めったなことでは怒らない。だからこそ、真白は機嫌が低空飛行しているときの慎吾が苦手だった。なんというか、隣にいても落ち着かない。

「じゃあ、またな」
「城崎ちゃん。教育言論のレポート、俺の去年のデータあげよっか?」

 悪魔のささやきに、真白はドアノブを回そうとしていた手を止めた。

「あの先生けっこう厳しいでしょ。出席日数重視だし。どうせ城崎ちゃんさぼってるんじゃないの? 小テストも何回か受け損ねてない?」
「……損ねてる」

 そろそろかもしれないとあたりをつけたからこそ重い腰を上げたのに、小テストは前回に行われていたらしい。行った意味がなかった。

「だろ? ってことはレポートの評価悪かったら終わりじゃん。俺、去年、Aプラスだったけど」

 Aプラス。機嫌の悪い慎吾と、必修単位。
 真白の振り子は、葛藤のあとで単位習得に傾いた。だって、来年も同じ講義とか絶対に受けたくないし。
 まぁ、たぶん、大丈夫だろ。早目に連絡さえ入れておけば。きっとふたり分の材料しかないのに、急遽三人とかになるのが駄目なんだ、たぶん。
 そう思い切って、真白は自宅のドアを開放した。すべては単位のためである。

「いい隣人がいてよかったねぇ、お互いに」

 ほくそ笑む野々宮に無言で頷き返してから、真白はスマホをポケットから取り出した。
 できることならご機嫌だといいんだけどなぁ、と念じながらかけた電話はものの二コールで繋がった。あいかわらず早い。さすが真白の母親に「真白に連絡するより、慎吾くんに連絡するほうがよっぽど早い」と評されているだけはある。なにからなにまでマメなのだ。

「どうしたの? しろが俺に電話とか珍しいね」

 よかった、機嫌は悪くない。混ざる雑音から察するに、やつはスーパーにいるはずだ。間に合った。内心でガッツポーズを決めてから、本題に入る。

「なぁ、今日の飯って、決めてた?」
「いや、まだ決めてないけど。なにか食べたいものあるの?」
「なんでもいいんだけど。野々村が食いたいって」

 瞬間、それまで軽快だった応答が、ぴたりと止んだ。通話先からは、にぎやかな店内放送が鳴り響いている。

「慎吾?」
「あー……ごめん、うるさくて聞こえなかった。で、なに? 野々村さん、来てるの?」

 もしかすると、ちょっと声のトーンが下がったかもしれない。気がついてはいたが、背に変えられる腹がなかったので、真白はうんと頷いた。けっこう本気で必修単位がヤバいのだ。

「了解。なべでいい? って、言っといて」

 溜息とともに告げられた直後、なんの余韻もなく通話が切れた。珍しい。やっぱり怒っているのかもしれない。なんでなのかは、ちょっとわからないが。

「城崎ちゃーん、慎吾なんだってー?」
「え、あぁ、……なべ」
「あぁ、いいねー。おなべ。寒いもんねー」

 というかあの子はマメだね、本当に。感心した顔の野々村に、「だな」と適当に相槌を打って、そのまま正面に腰を下ろす。

 ――まぁ、いいか。考えてもわかんねぇし。

 集中してひとつのことを考えることができないのは、昔からだ。すぐに「まぁいいか」で済ましたくなってしまう。
 駄目なんだろうなと思うことはあるのだが、一番近くにいる幼馴染みがなんだかんだで許すので、やっぱりじゃあ「まぁいいか」となって直らない。堂々巡りだ。
 つまり半分は慎吾のせいだ。駄目すぎる責任転嫁を図って、真白は背を丸めて座卓に頬を押し付けた。

「城崎ちゃんと慎吾ってさ、毎晩こうやって一緒にめし食ってんの?」
「さすがに毎晩ではないけど」
「けど? じゃあ週三くらいか?」

 問われて、真白はうーんと唸った。「週四か、五」

「マジか」

 自分で聞いたくせに、野々宮がドン引いた顔をした。

「え? もっと外で飲んだり遊んだりしないの? いや、城崎ちゃんはしないか。でも、慎吾は? するだろ?」
「べつに」

 なんか外で飲むと気疲れするとか言っていた気もするし。
 否定すると、野々宮は「マジか」ともう一度呟いた。マジだ。気を使いすぎるから気疲れするのだろうと思う。そういうやつなのだ。

「じゃあ、彼女は? って、おまえに聞くのは愚問か。愚問だったな。悪い」
「確信系で聞くな。いないけど」
「でも、慎吾はいるだろ?」

 問い重ねられて、真白はしかたなく机から顔を上げた。無言のまま首を横に振る。

「マジで?」
「うん。わりと昔から」

 人当たりが良くてついでに顔もいい幼馴染みは、昔からあたりまえのようにモテていた。けれど、真白の記憶にある限り、特定の彼女がいたことはなかったはずだ。セフレはカウントされないだろうと思う。

「あぁ、でも、そう言われると、そうか。そうだよな」
「なにが?」
「だって、彼女いたら、おまえの面倒こんなに見ねぇだろ。いや、逆か。おまえの面倒見てるからいないのか」

 言われた内容を咀嚼して、首を傾げる。ふと気づいてしまったからだ。もしかして、それで機嫌が悪いのだろうか。
 いいかげん面倒になってきた、とか。あるいは、彼氏か彼女かは知らないけれど、特定の相手をつくりたくなってきた、とか。でも、無駄に責任感があるから、いまさら俺の親との約束を反故にもできず困っている、とか。

 ……つくりたいのか。

 特定の、特別な誰かを。それで、俺の今がなくなるのか。ただの想像なのに、なんだかすごく嫌な感じがした。

「お? どうした、ちび。もしかして気にした?」

 おもねる調子に、そっけなく「べつに」と真白は応じた。なにがどう嫌なのか、説明できる気もしなかった。

「ならいいけど。なんか神妙な顔してたから。普段あれだけぼーっとしてんのに」

 それはそれで、大変失礼なことを言われているような。遅ればせながらむっとした瞬間、玄関のドアが開いた。吹き込む風が冷たい。

「ただいま、しろ。野々村さんもこんにちは」
「慎吾」

 振り返ると、慎吾がにこと目元を笑ませた。電話で感じた「怒ってる」は気のせいだったのだろうかと思いそうになる、いつもどおりの笑顔。
 いや、だが、しかし。粗探しよろしく凝視していると、困ったように眉を下げられてしまった。

「なに、どうしたの、しろ」
「いや、だからどうもしないって」

 口走った直後に八つ当たりみたいになったと悟ったが、後の祭りである。

「でも……」

 気づかわしそうな問いかけを遮って、真白は立ち上がった。なんで、こいつは、一目見ただけで俺の変化に気づくんだ。自分でも説明できないようなレベルの「あれ?」だったのに。
 らしくない積極的な行動に、慎吾がぎょっとした顔になる。こいつも大概失礼だなと思いながら、エコバッグを奪い取って、流し台の上に置く。

「あの、しろ?」
「なになべ?」

 バックの中身を覗き込みながら、そう尋ねる。隣にやってきた慎吾が、ふっと笑ったのがわかった。

「闇鍋にもトマト鍋にもしないから、どうぞご安心を」
「ふつうが一番おいしいと思う、マジで」
「そっか? 俺、変わり種も好き」
「じゃあおまえがひとりでつくって食ったらいいだろ」
「城崎ちゃん、独り身の俺になかなかひどいこと言うよね。そりゃ、まぁ、おまえらは、ふたりだからなべも食いやすいんだろうけど」

 座ったまま文句を垂れる野々村に、なるほどそうかと真白は思った。あたりまえの話なのにわかっていなかった。
 ふつうのひとり暮らしだったら、なべをつつく機会なんて、そうないんだな。

「今日はコンロの場所、覚えてるの?」
「左側」

 即答すると、「よろしい」と慎吾が笑って頷いた。
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