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お隣さんの眠れない夜①
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「はぁ? 意味わかんないんだけど」
「だから、そろそろ終わりにしよって、そう言ってんの」
別れ話の場として選定した大学近くの大手コーヒーチェーンで、慎吾はへらりとした笑みを浮かべた。人目の多い場所――それも、知り合いに見つかる確率が高い――で、ごねたい人間はそういまい。
童顔を険しくさせている相手に向かって、柔らかい調子で繰り返す。
「それに、ほら。もともと、お互い後腐れなく、気が向いたときにって話だったでしょ?」
そう、たしか三ヶ月ほど前に、そんな取り決めを交わしたはずなのだ。じっとこちらを見つめていた相手が、今度は拗ねた顔になる。
「……慎吾はもう気が向かないって?」
「どうしたの、そんな顔して。べつに俺じゃなくても、南ちゃんなら、いくらでもいい相手見つけられるでしょ」
エベレスト級のプライドをくすぐって、駄目押しでほほえむ。
「だから、今日で終わりにしよ?」
さぁ、どう出る。頼むからきれいに終わらせてくれ。面倒くさいから。なんなら一発くらい殴ってくれてもいいから。でも泣き落としは勘弁してほしい。
薄情なことを考えながらも、笑顔はキープで反応を待つ。少しの間のあとで、南がいつもの笑顔を取り繕った。
勝利を確信して、慎吾も笑みを深める。「そうだね」と意味深長に呟きながら、南がコーヒーに手を伸ばした。
「次は趣味の悪くない男を選ぼうかな」
「なに、それ。それじゃ俺が趣味悪いみたいじゃん」
「悪いでしょ」
カチンとくるものがあったらしい。苛立ちをにじませたまま、南が吐き捨てる。
「だいたい、大学生にもなって、二言目には幼馴染み幼馴染みって、どう考えてもおかしくない? おかしいよね。あの子もさ、俺の周りちょろちょろして本当うざかったんだけど」
「うーん」
うろちょろしてたのは南ちゃんのほうじゃないのかなぁ、という疑念は湧いたが、慎吾は笑って受け流した。
「そうかなぁ」
「そうなんだってば。なんか勘違いしてんじゃないの、あいつ。俺に勝てるわけがないのに」
「勝てる?」
「そ。誰がどう見たって、俺のほうが上じゃん。だって、相手はあれだよ。あの、なに考えてるのかわかんないぼーっとした顔の」
「ねぇ、南ちゃんさ」
たしかに、なにを考えているのかわかりづらい顔ではあるかもしれない。そう認めつつも、慎吾は話を遮った。まぁ、どんな顔でも、俺にはわかるんだけど、とも思いながら。
「それとこれ、今、関係のある話だった?」
黙り込んだ南に、言い含めるように続ける。もちろん、優しく言ったつもりだ。
「俺と南ちゃんふたりの話でしょ」
「……そうだね」
はっとしたように南が笑みを浮かべた。もしかして俺の笑顔が怖かったんだろうか。いや、ないない。そんなこと。
「そうだね、俺と慎吾の話だもんね」
それももう終わったけどね、と告げる代わりに慎吾も笑った。
たぶん世間一般的に見たら、南はかわいいのだろうと思う。でも。
――俺にはしろのほうがかわいく見えるんだもんな。
南いわくの「なにを考えているのかわからない童顔」が連想されると、早く帰りたくなってしまった。
どうでもいい話にうんうんと相槌を打ちながら、早く終わんねぇかなぁ、と誠意のないことをチャラ男は考える。
夢見荘に帰れば、すぐそばに真白の気配がある。
慎吾にとってそれは、なによりも抗いがたい誘惑なのだった。
【お隣さんの眠れない夜】
夢見荘の半分以上の窓から明かりは消えていた。もう深夜一時に近い時間だ。当然のごとく早寝の幼馴染みの部屋はまっくらである。
変わり映えのない日常を確認して、忍び足で階段を上る。最大限に足音を殺す方法は、経験則で身に付けた。
――もう、一年だからなぁ。
この場所で、真白と暮らし始めて、それだけの時間が流れている。
改めて意識すると、ちょっと妙な感じだな。内心でそう苦笑しながら、自室のドアを開ける。生まれたときから続く腐れ縁は、二十年近く経って環境が変わった今も、途切れていないのだから。
今日の夜はべつべつに済ませたが、明日の朝はなにをつくってやろう。そんなことを考えながら、シャワーを浴びてベッドに入る。アラームをセットして枕元にスマホを置いたところで、慎吾は「ん?」と壁に目をやった。物音が聞こえた気がしたのだ。
めったなことでは起きないはずなのに、どうしたのだろう。あの幼馴染みは、基本が寝汚いのだ。ついでに眠りも深い。震度四程度の揺れでは、びくともせずに眠り続けることも、慎吾はよくよく知っている。
ガチャリという音がして、玄関のドアが開く。あら、これは本格的に珍しい。けれど慎吾は身は起こさずに視線だけを音のほうに向けた。
遮るドアも壁もない六畳一間である。起き上がらなくても、十分にその姿は確認できた。外廊下の蛍光灯の薄明かりに、寒そうな素足が照らされている。早く入ってきたらいいのにと思うのに、影は、なぜかその場から動こうとしなかった。ためらうようにじっと立ちすくんでいる。
しかたないなぁと慎吾は「しろ」と呼びかけた。その声に、ぎこちなく影が一歩を踏み出した。畳の軋む音が、すぐそばで止まる。
「だから、そろそろ終わりにしよって、そう言ってんの」
別れ話の場として選定した大学近くの大手コーヒーチェーンで、慎吾はへらりとした笑みを浮かべた。人目の多い場所――それも、知り合いに見つかる確率が高い――で、ごねたい人間はそういまい。
童顔を険しくさせている相手に向かって、柔らかい調子で繰り返す。
「それに、ほら。もともと、お互い後腐れなく、気が向いたときにって話だったでしょ?」
そう、たしか三ヶ月ほど前に、そんな取り決めを交わしたはずなのだ。じっとこちらを見つめていた相手が、今度は拗ねた顔になる。
「……慎吾はもう気が向かないって?」
「どうしたの、そんな顔して。べつに俺じゃなくても、南ちゃんなら、いくらでもいい相手見つけられるでしょ」
エベレスト級のプライドをくすぐって、駄目押しでほほえむ。
「だから、今日で終わりにしよ?」
さぁ、どう出る。頼むからきれいに終わらせてくれ。面倒くさいから。なんなら一発くらい殴ってくれてもいいから。でも泣き落としは勘弁してほしい。
薄情なことを考えながらも、笑顔はキープで反応を待つ。少しの間のあとで、南がいつもの笑顔を取り繕った。
勝利を確信して、慎吾も笑みを深める。「そうだね」と意味深長に呟きながら、南がコーヒーに手を伸ばした。
「次は趣味の悪くない男を選ぼうかな」
「なに、それ。それじゃ俺が趣味悪いみたいじゃん」
「悪いでしょ」
カチンとくるものがあったらしい。苛立ちをにじませたまま、南が吐き捨てる。
「だいたい、大学生にもなって、二言目には幼馴染み幼馴染みって、どう考えてもおかしくない? おかしいよね。あの子もさ、俺の周りちょろちょろして本当うざかったんだけど」
「うーん」
うろちょろしてたのは南ちゃんのほうじゃないのかなぁ、という疑念は湧いたが、慎吾は笑って受け流した。
「そうかなぁ」
「そうなんだってば。なんか勘違いしてんじゃないの、あいつ。俺に勝てるわけがないのに」
「勝てる?」
「そ。誰がどう見たって、俺のほうが上じゃん。だって、相手はあれだよ。あの、なに考えてるのかわかんないぼーっとした顔の」
「ねぇ、南ちゃんさ」
たしかに、なにを考えているのかわかりづらい顔ではあるかもしれない。そう認めつつも、慎吾は話を遮った。まぁ、どんな顔でも、俺にはわかるんだけど、とも思いながら。
「それとこれ、今、関係のある話だった?」
黙り込んだ南に、言い含めるように続ける。もちろん、優しく言ったつもりだ。
「俺と南ちゃんふたりの話でしょ」
「……そうだね」
はっとしたように南が笑みを浮かべた。もしかして俺の笑顔が怖かったんだろうか。いや、ないない。そんなこと。
「そうだね、俺と慎吾の話だもんね」
それももう終わったけどね、と告げる代わりに慎吾も笑った。
たぶん世間一般的に見たら、南はかわいいのだろうと思う。でも。
――俺にはしろのほうがかわいく見えるんだもんな。
南いわくの「なにを考えているのかわからない童顔」が連想されると、早く帰りたくなってしまった。
どうでもいい話にうんうんと相槌を打ちながら、早く終わんねぇかなぁ、と誠意のないことをチャラ男は考える。
夢見荘に帰れば、すぐそばに真白の気配がある。
慎吾にとってそれは、なによりも抗いがたい誘惑なのだった。
【お隣さんの眠れない夜】
夢見荘の半分以上の窓から明かりは消えていた。もう深夜一時に近い時間だ。当然のごとく早寝の幼馴染みの部屋はまっくらである。
変わり映えのない日常を確認して、忍び足で階段を上る。最大限に足音を殺す方法は、経験則で身に付けた。
――もう、一年だからなぁ。
この場所で、真白と暮らし始めて、それだけの時間が流れている。
改めて意識すると、ちょっと妙な感じだな。内心でそう苦笑しながら、自室のドアを開ける。生まれたときから続く腐れ縁は、二十年近く経って環境が変わった今も、途切れていないのだから。
今日の夜はべつべつに済ませたが、明日の朝はなにをつくってやろう。そんなことを考えながら、シャワーを浴びてベッドに入る。アラームをセットして枕元にスマホを置いたところで、慎吾は「ん?」と壁に目をやった。物音が聞こえた気がしたのだ。
めったなことでは起きないはずなのに、どうしたのだろう。あの幼馴染みは、基本が寝汚いのだ。ついでに眠りも深い。震度四程度の揺れでは、びくともせずに眠り続けることも、慎吾はよくよく知っている。
ガチャリという音がして、玄関のドアが開く。あら、これは本格的に珍しい。けれど慎吾は身は起こさずに視線だけを音のほうに向けた。
遮るドアも壁もない六畳一間である。起き上がらなくても、十分にその姿は確認できた。外廊下の蛍光灯の薄明かりに、寒そうな素足が照らされている。早く入ってきたらいいのにと思うのに、影は、なぜかその場から動こうとしなかった。ためらうようにじっと立ちすくんでいる。
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