隣のチャラ男くん

木原あざみ

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隣の駄目人間①

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 ところで、城崎真白はけっこうな駄目人間だ。
 そう言い切っても、あいつの生態を知る人間は否定できないに違いない。なにせ、極度の面倒くさがりなのだ。放っておいたら飯も食わない、外にも出ない。おまけに大学も行きやがらない。
 届いたメッセージを一読して、慎吾は無言で頭を振った。「あいつ、今日も講義出てないけど、大丈夫?」なにひとつ大丈夫ではなかったが、「大丈夫」とスタンプを返す。
 明日は引きずってでも向かわせようと心に決めて、スマホをしまう。佳代子さんの心配がものの見事に的中していて笑えない。

 ――どうしたもんかな、本当。

 誰も面倒を見なかったら死ぬんじゃねぇの、と疑うレベルの面倒くさがりは、死んでも治らない気がする。
 いや、俺がこうやって面倒を見るから、あいつはいつまで経ってもなにもしないのか。
 直視したくない真実から目を逸らして、慎吾は、夢見荘まであと数分の角を曲がった。手にしたエコバッグが、ずしりと重い。
 築云十年の二階建てアパートの鉄製階段を上って、目の前の自室を素通り。隣室の二〇二号室の鍵を開ける。合鍵はお互いに交換済みだ。
 お互いひとり暮らしなんだし。一緒にごはん食べたほうが経済的だし。佳代子さんに頼まれてるし。
 ……という言い訳のもと、慎吾は真白の家でごはんをつくり続けていた。もはやひとり暮らしではなくふたり暮らしである。幼稚園、小学校、中学校に高校ときて、まさかの大学まで一緒。なかなかの腐れ縁だよなぁと思いながら、慎吾は「ただいま」と真白の家のドアを開けた。
  


  【隣の駄目人間】



「ただいま」

 案の定、部屋は薄暗いままである。電気くらいつけろよと呆れたものの、言って聞いたためしはない。そんなわけで、今日も慎吾が電気紐を引っ張った。
 やっと部屋が明るくなる。もしかして朝からずっとベッドにいたのだろうか。それはちょっと想像したくない。
 ベッドの上で毛布の塊がもぞもぞとうごめくのを、ちらりと一瞥。
 なにを言っているのかは謎だが、かすかに声が聞こえてきた。おそらく「おかえり」、あるいは「腹減った」だ。
 どこの小学生だ。苦笑ひとつで、慎吾は毛布の塊に背を向けた。エコバッグの中身を冷蔵庫に片付けて、台所に立つ。背後に気配を感じたのは、野菜を切り始めてからだった。振り返ると、寝起きのぽやぽやした顔と目が合う。

「ごはん、なに?」

 だからどこの小学生だ。童顔も相まってものすごく幼い。なまぬるい笑みを浮かべたまま、慎吾は応じた。

「今日はなべ。昨日食べたいって言ってたでしょ」
「なべ」

 幸せそうに繰り返す幼馴染みは、完全に寝ぼけている。
 普段もこれくらいぽやっとしてたらかわいいのに。そこまで思ってしまってから、いやいやいやと脳内で慎吾は盛大に否定した。
 傍若無人じゃない真白とか、無理。気持ち悪い。いや、べつにエムとかそういうあれじゃないけど。

「というわけだから、カセットコンロ準備してくれる?」

 誤魔化すように指示を出せば、目が覚めてきたらしい真白が嫌そうな顔で明後日のほうを向いた。いや、それくらいしろよ、おまえ。
 慎吾の非難が通じたのかどうかは謎だが、真白がぺたぺたと歩き出した。押し入れをがさごそとあさっている音に安堵した瞬間、甘えくさった声が飛んでくる。

「なぁ、慎吾。ないー」
「ないわけないでしょ、ないわけ。このあいだ、おまえがしまったよね?」
「でも、ねぇもん。ないもんはない」

 小学生でもできるだろうお手伝いを、小学生以下の台詞で諦めた幼馴染みが、そのままベッドにダイブする。ぼすっというまぬけな音に、慎吾は無言で白菜をぶった切った。
 この駄目人間。だから佳代子さんは、おまえにひとり暮らしは無理って断言したんだろうが。

 ――いや、まぁ、だからって、いやいや面倒見てるわけじゃないけどさぁ。

 でもやっぱり、俺が甘やかしすぎているのかもしれない。内省しながら慎吾は押し入れの襖を引いた。右。左。

「え。めっちゃふつうにあるんですけど」

 あっというまに見つかった探し物に、おのずと声のトーンが下がった。真白の探す気がなさすぎる。

「えー、どこに?」
「おまえ、どうせ右側しか開けてないんでしょ。ちょっと左も開けたらあったよ、目の前に」
「えー、マジで。ごめん。悪い」
「まったく謝ってるように聞こえないんだけど。……あ、ごめん。電話だ。しろ、コンロ準備しといて」

 戻ってきたときにできてなかったら、ちょっと怒る。
 言外に匂わせたものに気づいているのかいないのか。毛布の塊は、もぞもぞと奇妙な動きを見せている。出る気はあるらしい。

 ……ま、大丈夫だろ。

 大丈夫でなければ、雷を落とすだけである。そう判断した慎吾は、塊の横をすり抜けて外に出た。
 錆びた手すりに背を預けて通話ボタンをタップした瞬間に、かなみの明るい声が耳元で弾けた。真白ご自慢の妹である。

「慎吾くん? もしもーし、今、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だよ。でも、どうしたの。珍しいじゃん。かなちゃんが俺に電話してくるの」

 隣家の城崎兄妹はブラコンにシスコンだ。そんなわけなので、兄経由で連絡がくることのほうが圧倒的に多いのだ。

「いや、それがさぁ。このあいだ、お兄ちゃんから変なラインがきてさ。まぁ、お兄ちゃんは変なのが通常運転と言えばそうなんだけど」
「まぁ、そうだねぇ」
「でしょ? ところで、それはそうとして、慎吾くん。とうとうお兄ちゃんに手ぇ出したの?」

 不覚にも返答に詰まってしまった。

「もしもーし? 慎吾くん?」
「えっと、かなちゃん。なんでまた」

 我に返った慎吾の猫なで声に、「だって」とかなみが含み笑いになる。

「お兄ちゃんが、あいつは見境なく手を出すホモの変態だ、気をつけろとか言うから。勢い余ってヤッちゃったのかと思ったよぉ」
「……かなちゃん」

 知りたくもなかったことを楽しげに報告されて、こめかみを押さえて唸った。というか、勢い余ってってなんだ。勢いって。

「してないから。本当になにもしてないから」
「うん。だとは思ったんだけど。慎吾くん、へたれだもんね。でも、万が一ってこともあるかもと思って。ちょっとだけ心配しちゃったぁ」

 それが、散々男関係の面倒を見てきてやった俺への評価なのか。そう思わなくもなかったが、「そうだねぇ」と笑って受け流すことを慎吾は選んだ。
 なにが「そう」なのかは、自分でもちょっとよくわからない。

「まぁ、とにかく、変わりがないんなら、べつにいいや。じゃあ、慎吾くん。お兄ちゃんによろしくねー」
「……うん。大丈夫。任せて」
「本当に慎吾くん、健気だよねぇ」

 ドンマイと言わんばかりの笑い声を最後に、通話が切れる。なんだか疲れた。どっと疲れた。この無敵のマイペースさ加減は、兄に通じるところがあるかもしれない。お互い認めなさそうだけど。
 溜息を呑み込んで、慎吾はドアノブを回した。どうせ俺がへたれだよ。何年もあほみたいなおままごとやってるよ。挙句の果てに、かなちゃんのこと好きなんじゃないかって疑われてるよ。

「ただい……ま」

 浮かべかけた愛想笑いが中途半端に固まる。座卓の上にセットされたガスコンロと、どうだとばかりの幼馴染みのドヤ顔。

 ……なんで、こんなあほな小学生みたいなやつじゃないと駄目なんだろ。

「わー、すごいね。しろ。ちゃんとできたねー」

 自問しながらも、慎吾はとりあえず成果を褒めた。とんだ棒読みだったが、言われた当人はドヤ顔のままだった。どこのひとりでできるもんだ。

「まぁな、さすがにこれくらいはな」
「そうだねぇ。できれば最初から、それくらいはしてほしかったけどねぇ」

 準備を終えていた土鍋をガスコンロの上に置いて点火する。嫌味を完全にスルーした真白は、器用に瞳だけをきらめかせて鍋を見つめていた。
 こいつ、好きだよなぁ、なべとかおでんとか。ついでに言うと、妙に凝ったのとかおしゃれなのとかじゃなくて、ふつうのが好きなんだよなぁ。
 わかっていたのに、たまには毛色の違うものを出したくて、先週末にトマトなべにチャレンジしたのである。その結果、なんとも言えない顔で「うまいけど、ふつうの水炊きが食いたくなった」と言われてしまったのだけれど。
 そういったわけで、今日はなべリベンジなのだった。真白の好みに合わせた、ものすごくシンプルな水炊き。

 ――これも「甘やかしてる」に入んのかなぁ。

 でも、おいしいもん食わせてやりたいし、どうせなら、喜ばせたいし。しみついた甘やかし思考をぐるぐるとさせながら、鍋掴みを装着する。

 ……ま、佳代子さんに食費プラスアルファもらってるしな。

 うちのあほがご迷惑おかけします、というていでいただいてしまっているので、リクエストを聞く義務はあるだろう。そう言い聞かせて、煮立ってきた鍋の蓋を取る。
 食欲をそそるにおいがふわりと、部屋全体に広がった。
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