隣のチャラ男くん

木原あざみ

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隣のチャラ男くん①

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 眠れない。どうにもこうにも眠れない。
 半ば意地で目を閉じてはいるものの、眠りに落ちれる気がしない。夢見荘の薄い壁を飛び越えて響く声は、止むどころか激しさを増すばかりだ。

「あっ、やっ……慎悟、もうダメッ……!」

 ……あの、あほ慎吾。

 隣人のへらへらとした顔が思い浮かんで、真白はせんべい布団を頭からひっかぶった。
 なんで、俺がこんな目に遭ってるんだ。
 もう、思うところはそれしかない。なんで、俺がこんな目に。
 遡ること半年と少し前。夢見荘に越してきたとき、大家は言っていたはずだ。

 ――ここの壁、薄いから。連れ込まないでね、女の子。とくにきみ。チャラそうだけど、ちゃんと分別ある行動をね。お願いね。

 チャラそうと名指しされた隣人も、人当たりのいい笑みを浮かべて請け負っていたはずだ。

 ――やだなぁ。僕、女の子なんて絶対に連れ込まないですよ。だから安心してください。

 いやいやいやいや、ふざけんな。真白は盛大に記憶の中の笑顔につっこんだ。
 だからと言って男を連れ込んでいいなんて、絶対に大家は言っていなかった。

「もうっ……無理、死んじゃうっ」

 いっそ死ね。内心で毒づきながら、真白は後ろ足で壁を蹴りつけた。薄い壁が揺れる。

「そのくらいで死ぬか、ぼけ」

 男とセックスなんてしたことないから、知らないけども。
 訪れた静寂は一瞬で、またギシギシあんあんは再開された。ふざけんな。

 ……俺のベッドがあいつの部屋の壁に接してるから駄目なのか。

 いや、でも、ここ以外に置くとこないし。悶々と真白は考える。なにせ六畳一間の学生様向け賃貸である。反対側は押し入れだ。その前にベッドを置くとか馬鹿すぎる。
 混迷し始めた思考の中で、枕元に置いていたスマホに手を伸ばす。
 午前三時。
 ありえない。俺は日付が変わる前に寝たい派だ。げんなりと枕に顔を擦りつける。五分経っても訪れない眠気に、真白は深々と溜息を吐いた。眠れない。
 隣からはまだなにやらいちゃつく気配が漏れ続けている。真白は布団に潜り込んで、壁に背を向けた。もうマジでふざけんな。
 そんなわけで、今日も今日とて城崎真白は眠れぬ夜を過ごしてしまったのだった。



  【隣のチャラ男くん】



 トントンと小気味よく響く包丁の音と味噌汁のにおい。そして、窓から差し込んでくる明るい日差し。
 そのすべてに早く起きろと促されているようで、布団にくるまったまま真白は身もだえた。

「しろー?」

 目覚めていることがバレたのか、台所から聞き慣れた声がかかる。まだ起きたくないと葛藤すること約五分。真白は諦めて身を起こした。
 暖房が稼働しているおかげか、覚悟していたほど寒くはなかった。

「あ、やっと起きた。おはよう、しろ。朝ごはんできてるよ」

 鍋を片手に振り向いた二十年来の隣人が、へらりと笑う。睡眠不足の原因とは思えない爽やかさである。

「なぁに、その不貞腐れた顔は。もう九時なんですけど。何時に寝たの? 駄目だよ、夜更かしは」
「誰のせいだ」

 心の底から訴えたい。誰のせいだ。毎朝やってくる通い妻ならぬ押しかけ隣人は、心外そうに目を見開いた。

「えっ、俺のせいなの。まさか。というか、やだな、しろ。いくら隣だからって、聞き耳立てないでよ」
「だから、それが誰のせいだと」
「耳からばっかり変な情報仕入れてると、童貞こじらせちゃうよ?」

 言い返す気力が失せて、真白は無言で立ち上がった。

「ほら。起きたらその勢いで、ちゃっちゃっとベッド片付ける。それから座卓もきれいにしてね。朝ごはん食べるんだから」
「おまえは俺の母ちゃんか」
「いーえ、幼馴染みです。あっ、でも、ひとりだとろくな生活をしない引きこもりの面倒を、佳代子さんに頼まれちゃってるから。そういう意味では正解かな」
「うざい。首傾げんな」

 絶対に自分よりも睡眠時間は少ないはずなのに。なんで、こいつは朝からこんなに元気なのか。そんなにアレはすっきり楽しいものなのか。
 うっかり幼馴染みのあれそれを想像しそうになって、真白はベッドに布団を叩きつけた。

「ちょっと、しろ。狭いんだから、あんまり埃たてないでよ」
「それより、俺の毛布どこにあるの? もふもふのやつ」
「それよりじゃないし。っていうか、あるとしたら押し入れに決まってるじゃん。ほかに収納場所ないんだから」
「だって、しまったの、おまえじゃん」
「しろがいつまで経ってもしまわないから、俺がしかたなく片付けたんだけど?」
「だって、寒かったし」
「百歩譲って四月は許したけど。ゴールデンウイーク過ぎたら、アウトでしょ。いつまで使う気だったの、おまえ。しかも俺が洗わなかったら、一回も洗わないままだったろ。あれだけ愛用してんだから、ちょっとは大事に使えって」
「オカンか」
「しろが手がかかるから、こうなってるんじゃないの。よくそれでひとり暮らしできるって豪語できたよね、本当に」

 お玉片手に嫌味な薄笑いを浮かべられて、真白はうっと言葉に詰まった。
 大学進学を機に上京する少し前。真白の母が心配していたのは、息子のぐうたらぶりだった。
 ひとり暮らしをさせたら最後、引きこもりになるに違いない。そう懸念した母親が相談した相手が悪かった。同じマンションの隣室に住んでいた、慎吾の母親である。
 にこにこと鉄板の愛想の良さでもって茶飲み話に参加していた慎吾が、「心配なら俺が一緒に住もうか? 隣同士の部屋を借りるとかでもいいし。面倒見てあげるよ、俺。学部違うけど、大学一緒なんだし」と提案。
 無気力極まりない自分の息子より、隣家の息子を信頼している母親は大喜びで即、賛同。頼みの綱であった慎吾の母親も反対はしてくれず、かくして真白の「ひとりでできるもん」は多数決で却下されたのだ。そうして、今に至るわけである。
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