夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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番外編2

嘘と建前(6)

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「あー……、やっぱ爪切っときゃよかったな」
「っ、おまえな……」

 抗議するように、軽く膝で蹴られる。本当に、いくつになっても足癖が悪い。その膝をゆっくりと押し広げた。
 なにをどう言われようとも、「しつこいくらい丁寧に」という自分のスタンスを変えるつもりは、いっさいない。

 ――先輩のためっていうのも、もちろんあるけど。純粋にけっこう好きなんだよな。

 触るのも、ほぐすのも。まぁ、そのあたりもバレてるから、しつこいって言われるんだろうけど。ローションをまとわせた指を入れれば、小さく中が波打って締めつけてくる。
 でも、やっぱりきついんだよな。はじめてのときほどまでとは言わないにしても、帰ってきて最初にするときは、いつもそうだ。それを面倒だと感じたことはないけれど。
 むしろ、丁寧に解きほぐして快感の拾い方を思い出させていく過程も、回数が増えるにつれ、柔らかく待ち望むようになっていく変化も、ぜんぶ好きだ。
 言うつもりはないけれど、だんだんと自分に染まっていくみたいで。誇示するつもりはないはずの、独占欲だとかそういったものが刺激されてしまう。

「はいはい、すみません」
「……ほんっと、かわいくなくなったな、おまえ」

 聞き飽きるくらいに聞いた台詞に、すみませんとかたちだけの謝罪を繰り返す。
 余計なことを考えるなと言わんばかりの、自分にだけ集中していろ、という態度は、贔屓目抜きにしてもかわいいとは思うけれど。
 何年か前、こういうかたちでの付き合いをはじめたばかりのころ、「べつに、最後まで絶対しないといけないってわけじゃないんですよ」と言ったことがある。
 そう言えば、首を横に振るだろうと思って煽ったわけでもなんでもなく、本心だった。好きの延長線上で触りたいと思うし、キスもしたいし身体だって繋げたいとは思う。でも、セックスを好きの絶対のイコールだと思うほど若くはないし、我慢強くできている自負もある。
 けれど、だからこそ、この人の意志で選んで受け入れてもらっている事実が、ただ素直にうれしくて愛おしかった。

 ――それを「大事にする」で返してるのは、あたりまえのつもりなんだけどな。

 まぁ、そんなきれいごとを言ったところで、好きにしたいって思うときも、ないとは言わないけど。

「いれたいっつってたの、どこのどいつだよ……」
「いや」

 だって、なんか、いちいち反応が妙にツボに入るんだよなぁ、と思いつつもそう否定する。そこまで焦れた顔してるなら、素直に言ってくれてもいいのになぁ、とも、まぁ、ちょっと思ってるけど。

「性癖まともにできてるんですよね、俺。痛そうにされるとふつうに萎えるっていうか」
「こっちは、ふつうに腹立――っ、ん……っ、本当に、腹立つな」
「なにがですか、ちょっと」

 さっきから本当に人聞きが悪いと笑ったら、お気に召さなかったらしく、思いきりよく睨まれてしまった。その勢いのまま飛んできたゴムのパッケージが腹に当たる。

「そういうとこに決まってんだろうが」
「ゴム投げつけながら言われてもな」

 パッケージを破いてから投げてくれただけ、良しとしないといけないのだろうか、これは。

「おまえが破きにくい破きにくいっていうから、破ってやってんだろうが」
「いや、だって、本当、破きにくいし」
「おまえ、変なとこで不器用だよな」
「しかたないでしょ、指先ぬるぬるしてるんだから」

 そうかと言って、歯で破くのは抵抗があるので、勘弁していただきたい。
 それにしても、と思わず小さな笑みがこぼれた。

「色気もなんもない会話ばっかりですね、本当」
「……悪かったな」
「悪くないですよ」

 それは、本当に。あいかわらずだなぁ、と思ってはいるものの、先輩としている感じがあってほっともするし、なによりも、基本的に冷静で、こういったことにも淡白な人が、応えてくれて、求めてくれて、俺しか知らない顔を見せてくれる。うれしくないわけがない。

「それに、そうじゃないところも、ちゃんと知ってますから」

 時間をかけて、慣れなかった感覚を、気持ちいいものと思うようになってくれたことも、ぜんぶ。丁寧にしたつもりでも、殺し切れていない呼吸が苦しそうで、どうしても少し申し訳なくなる。

 ――まぁ、そんなこと思ったところで、結局、やめる気なんてないんだけど。

 建前というより、偽善だな、これは。そんなどうでもいい自己分析で気を紛らわせながら、浅い出し入れを繰り返して、少しずつ進めていく。

「っ、は……、きっつ…」
「あ、たりまえ、だろ……っ、ぅ」
「そりゃ、そうだ。あたりまえですね」

 らしい言いようを笑って、ぐっと腰を掴む手に力を込めた。そういうことを言っているうちは大丈夫だろうとそのまま挿入を続ける。

「――っ、…は、……」

 苦しそうな声が混ざったものの、ここを呑み込んでしまえばどうにかなると知っている。けれど、さすがに、すぐに動かすのはまずいだろうと、すべて埋めたところで、一度動きを止めた。
 浅くなっていた呼吸が整うのを待っていると、ぎゅっと目蓋が震える。見上げてくる水分の膜の張った瞳に、興奮で喉が鳴った。
 泣かせたいわけでもないし、生理的なものだとわかっていても、くるものがある。こういうときにしか見ることのない表情だからかもしれない。
 ほかの誰も見ることのない、自分にだけ晒される、自分だけが知っていればいいもの。

「大、丈夫」
「や、でも、もうちょっと……」

 ひさしぶりなわけだし、もう少し馴染んでからにしたほうがいいだろう。もろもろを抑え込んでそう告げたのに、ふいと視線を逸らされてしまった。こぼれる吐息が熱っぽい。

「先輩?」
「……おまえ、基本、ねちっこい」
「ちょっと」

 こっちがどれだけコントロールして我慢してると思ってるんだ。わかるだろ、同じ男なら。この状況のきつさ。それをしつこい、ねちっこいって、本当になんなんだ、この人は。

「一応、常に気を使ってるつもりなんですけど?」
「だ、から」

 おまけに、イラっときたのはこちらのつもりだったのに、妙にイラっとした声を返されてしまった。そういうところだよなぁ、と思っているうちに、視線が動いて、目が合う。

「好きに動いていいって、俺が、言ってんだよ」

 不本意そうな声が、まず言わないだろうなぁと思っていたことを言ったので、またつい凝視してしまった。だから「おまえ、見すぎ」って嫌そうな顔されるんだろうな、たぶん。でも、それにしても。

「俺が言ったことならするって言ったの、おまえだろ」
「……そうですね」

 はは、と誤魔化すような笑みがこぼれる。

「そうでした」

 たしかに、たまには素直に言ってほしい、とは言った。けれど、もう少しくらい時と場所を考慮してくれてもいいだろう。本当に好きにしてしまいたくなる。
 瞼の裏側が眩むような衝動を抑えたくて、ぐちゃぐちゃになったシーツに視線をずらして、そっと息を吐いた。本当に、いろいろと限界だし、やせ我慢ばかりがうまくなっている。

 ――まぁ、でも、それも、ぜんぶ、したくてやってるだけなんだけど。

 そう言い聞かせて、意識を戻そうとしたタイミングだった。

「こら」

 呆れたような声と同時に伸びてきた指が頬に触れて、そのままさわりと髪を撫でていく。

「あんま、余計なことばっかり考えんな」
「余計なことって」

 先輩のことしか考えてないんですけど、と思ったは思った。余裕なんてないなりに、あんたのこと気遣ってるだけなんですけどって。それなのに。からかうような笑みが見下ろす瞳に浮かんだ。

「おまえのその顔、けっこう好き」
「え……」
「そういう、俺に必死になってる顔」

 頭に触れていた手のひらが動いて、ぽんと背中を叩く。これは、もう、駄目押しというより、ただのゴーサインだ。どうしようもする気のなくなった気分で、笑う。

「必死ですよ、いつも」

 むしろ、必死じゃなかったときなんて、ないのではないかというくらい。
 べつに、自分だけのものにしたい、とか。自分のことだけをずっと考えていてほしい、とか。そんなことまでは思っていないつもりだ。でも、それもぜんぶつもりでしかないのかもしれない。

 ――だって、好きなんだよな、結局。余裕ないとこ、見るの。

 無理をさせたいわけではないと思っているのは本当で、大事にしたいと思っていることも本当で。ただ、それはそれとして、確実に俺のことを見てくれている時間が、自分でもちょっと引きそうになる程度には好きだったりする。
 俺がそう思ってることを知った上で、こうやって甘やかそうとしてくれることも含めて。


「っ、ん、…ふ、」

 好きだな、と何度目になるのかわからないことを思う。ぶれることのないまっすぐな瞳も好きだけど、じわりと溶け始めた目も好きだった。
 だって、二割増しで素直だし。といっても、それも、余裕がないところを見ることが好き、に結局、帰着するだけなんだろうけど。

「ね、気持ちいいですよね」

 汗に濡れた邪魔な髪を払って問いかけると、熱に染まった瞳が縦に振れる。ほら、やっぱり素直だな、なんて。口にしたら拗ねられそうなことを考えながら、腰を動かした。そのたびにこぼれる声に、自然と熱が上っていく。

「俺も気持ちいい」

 無理をするつもりはないし、いつものセックスでも十分に満たされてはいるけれど、こういうセックスもあたりまえに好きだ。
 信用されて、甘やかされているという実感がより強くなって、抑えているつもりの馬鹿みたいなほんの少し独占欲が満たされる。
 ぜんぶみっともない程度には裏腹で、でもぜんぶ本当だった。もっと深く繋がりたくて、片足を掬い上げて、奥を揺さぶる。逃げようとする身体を押さえて擦りつけると、水分の溜まった瞳に睨まれてしまった。あ、やばい。悪趣味だとは思うけど、その顔もけっこうくるな。そんなことを考えながらも、声だけは宥める調子のものをかけた。
 前戯でもなんでもそうだけど、時間をかけようとすると、この手の反応をよく返されるから慣れているし、行為が嫌だというよりは、理性が緩み切ることが嫌なのだと知っている。本当にそういうところまでプライドが高くて、難しい。まぁ、好きだけど。

「大丈夫、大丈夫。いけますから」
「なにが大丈……っ、ちょ、―――っ、ぅあ」

 人の身体に勝手にオッケーをだすな、くらいのことは、やっぱり、また、思われているんだろうなぁ、と。わかっていたものの、それもいまさらと開き直って弱いところを狙って動かせば、浮かんでいた非難が揺らぐ。かわいい。それはそうとしても、この場合に限って言えば、俺のほうが身体のことはわかってるんじゃないかな、とは思う。この人、そういうところの自覚、鈍いし。それに。

「大丈夫になるように、ねちっこくしてるんで」
「っ、~~ん、や、…ぁ、あっ」

 持ち上げた足そのままに角度を変えて突き上げると、いっそう結合が深くなった。律動に合わせて、抑え切れなくなったらしい声があふれていく。

「いいじゃないですか、べつに」

 受け入れてくれることと、甘やかしてくれること。このふたつと羞恥心とプライドがうまく相入れてくれないことも知っているけど。浅く開いた唇を舐めて、とろりとした瞳に言い聞かせる調子でもう一度囁いた。

「ね?」
「ん……っ」

 こくりと頷かれて、ふっと笑みがこぼれる。

「素直」

 いつも、なんで、そう、意地張るかなぁと思うくらい声を殺す唇が解けて、背中に触れる指の力が強くなってくると、とろんできたんだなぁとわかるから、煽られた快感でぞくりとする。
 どちらも普段はあまりしてくれないことで、だから、まずいんだろうな。自覚したところで、ここまでくるとやめる気にもなれないので、意味はないのだろうけど。

 ――でも、まぁ、いいって言ったの、先輩だし。

 免罪符にしすぎることもどうかと思ったものの、なんだかんだと言っても体力のある人だし、たまにだから許されているということにした。

「ふ、あっ、――ん、う」
「は…っ、すご……」

 締まる、と無意識の感嘆が落ちて、その自分の声の余裕のなさに笑いそうになる。けれど、やはりもう取り繕うことはできなくて、焦点のぼやけた瞳のすぐそばに唇を寄せて、腰を打ち付けた。
 どちらのものかわからない体液とローションでシーツはすでにぐしゃぐしゃで、たぶん、その下もひどいことになっているのだろうけれど、それも本当にいまさらだ。
 あとで怒られようと諦めて、前立腺を抉る。抜き差しを繰り返し、中を掻き回すたびに、ローションが湿った音を響かせていて、なんでもないはずのことにも馬鹿みたいに煽られる。
 紛らわすようにキスをすると、妙にたどたどしく舌が入ってきたので、その舌先に吸いついた。くぐもった声が口の中に生じて、ぎゅっと内側が収縮する。なんで、本当、変なところでかわいいんだろうな。

「あー……、やば」

 持っていかれそうな締め付けに、歯を食いしばった。いくらたまにだったらと思ったところで、さすがに二度、三度とするつもりはない。その代わりだけ長くしたいなとは、まぁ、思ってるけど。
 伝った汗が落ちて、目が合う。瞬間、その瞳が柔らかくとろけて、背中に回っていた指先にぐっと力がこもった。そのまま抱き寄せられて、体勢が傾ぐ。

「っ、ちょ、…っ、と、先、輩」

 こちらもこちらで衝撃はあったが、向こうだってあったに違いない。思わず非難がましくなった声にも切れ切れの呼吸しか返ってこないことがいい証拠だ。

「なんなんすか、もう……」

 はぁ、と深く息を吐く。これでいっていたら、前言撤回で二回目をお願いしないとおさまらないところだった。
 落ち着いてきたのか、耳の近くでふはっと笑う気配。ぐしゃりと後ろ頭を掻き混ぜられて、軽く目を瞠る。
 先輩が昔からよくする、いい子と言わんばかりのそれ。けれど、続いた台詞は昔とは違った。注ぎ込まれた「好き」という掠れた声の破壊力に息が詰まった。

 ……このタイミングでそれは、ちょっと反則だろう。

 一生分とは言いたくないけど、今年一年分くらいの素直はもらってしまった気分だ。うれしいような、もったいないような。
 もう一度、気を静めるように、はぁっと長く息を吐き出す。

「くっそ、ずる……」

 もう、本当に、なんというか。めちゃくちゃずるいとしか言いようがない。シーツに肩を押し付け返して、ぐっと額を押し当てた。汗ばんだ肌の匂いを吸って、顔を上げる。

「責任取って、相手してくださいよ、ちゃんと」

 そう言ってみたところで、どこか満足そうな空気しか返ってこない。もう金輪際、余計なことはしないでおこう。勝てる要素がまったくと言っていいほどなさすぎる。最後にもう一度長嘆息を吐いてから、両手で腰を掴んだ。
 
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