夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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番外編2

嘘と建前(5)

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「開くな、そんなもん」
「それはそれでくるものがあるな、ちょっと」
「…………なに、ほんと、おまえ」
「先輩の代わりに、俺がなんでも素直に言ってる」

 こちらを向いた訝しげな瞳ににこりと笑いかけたら、無言のまま右脚が飛んできた。軽くだとは思うけど、ふつうに足癖が悪い。

「ちょっと、足」

 しかたがないので、脇腹に当たったところでその足首を掴む。自分が余計な力を入れることなく、俺の手を離させたかったのなら、的確な方法だったのかもしれないが、悪すぎる。手が出なかったら足が出るって、いい年してどうなんだ。

「おまえが悪い」

 ……いや、べつにいいけど。べつにいいというか、蹴られるくらいは本当にぜんぜんいいんだけど。そもそも、あんたが素直に言わないのが問題って話じゃなかったでしたっけ、これ。

 諸々の発端もぜんぶ含めて。
 俺も言わなかったかもしれないけど、それに輪をかけて言わないのはあなたですよねって。おまけに、俺は一応そちらのことをいろいろと考慮した上で呑み込んでるつもりなんですけど、先輩の場合、基本的に言わないのは、そのお高いプライドのせいですよねという。言いたい。ものすごく言いたい。だがしかし。

「……」

 しかたないなで治めたはずの悶々が復活してきた気がして、俺はちょっと無になった。頭の半分が完全に萎えたと言っているのに、もう半分がここ最近の屈託をぶつけたらすっきりするぞと唆してくる。
 この思考は、よろしくない。はぁと吐きそうになった溜息を呑み込む。先輩ではないので、そのくらいのマナーはあるのだ。デリカシーというほうが正確かもしれないが、それはそれだ。それに、始める前にも言ったとおりでギスギスした気分でやりたくはないし、そういうものであるべきだと思っているので。
 どうにか思い直して、意識を戻した瞬間。まったくなにも思っていなさそうな先輩と目が合った。

「なに?」

 いや、なに、じゃないだろ、なにじゃ。

「……いーえ、なんでも」

 前々から思ってたけど、本当に、俺の理性と思いやりにもうちょっとくらい感謝してくれてもいいと思う。
 いや、いいんだけど。あたりまえの話だし。セックスってそういうもんだし。

「似非くさすぎるんだけど。というか、足」

 いつまで掴んでんだと言われたところで、あんたが蹴ったからだろうとしか言いようがない。
 まぁ、どうせ俺が悪いらしいので、「はいはい、すみません」と適当に謝って流そうと思ってはいた。いたのだが。

「ねぇ、先輩。ちょっと足舐めていい?」
「なんで、おまえはそう――っ」

 返答を確認する前に、口元まで引き寄せる。べつにいいだろ、このくらい、という気になったというだけではあったものの、先輩の足は好きだ。どこも好きだけど、その中でもかなり上位にくるレベルで。踵を唇で食んで、なぞりながら指の付け根まで辿る。そのまま指を舐めれば、手の中でびくっと足が跳ねた。
 この人、本当けっこういろんなとこ敏感にできてるよなー、と思う。嫌がるから、あんまりやらないようにしてるけど。

「……誰がいいって言った?」
「駄目だとも言われなかったから。――あ、さすがに顔は蹴らないでくださいよ、顔は」

 半分以上冗談だったのに、ぐっと足に力が入ったことが伝わってきて、苦笑いになる。気を抜いたら蹴りかねないのか、もしかして。

「怖いな、ちょっと」

 伸びてこないだけで、手が握り込まれているのが見えるだけに、余計に。口に含んで音を立てて吸って舐めると、息を呑む気配がした。目線を上げれば、羞恥と戸惑いの滲んだ瞳と目が合う。

「っな、にが、なんでも、だ」

 完全に拗ねてるだろうが、と恨みごとを吐くみたいな調子で言われてしまったので、「ない、ない」と笑って否定する。
 俺が拗ねていたとしても、先輩の側に問題があるんじゃないだろうか、とは思うけど。

「いまさら、このくらいで拗ねませんって。ただ、まぁ、ほら。どうせ犬なんで舐めるの好きなんですよ」
「開き直んな」
「いや、言ったの、先輩だし」

 そもそもとして、ここまで仕切り直しが続くとさすがに若干面倒というか。

 ――おまけに、結局なにも言ってくれないし、この人。

 遊び半分だったので、べつにめちゃくちゃ期待していたというわけでもないのだが、積もり積もってしまったというか。律儀に付き合ってくれたの、本当に最初だけだったな、というか。まぁ、いいんだけど。

「おまえなっ……」
「じゃあ、純粋に、先輩の足好きなんですよ、俺」

 これに関しては、一片の偽りもなく嘘ではない。嫌がるだろうなと知っていたので、軽い意趣返しだったことも事実ではあるが、それはそれだ。

「……っ、そう、いうことばっかり」

 言い方だけは非難がましかったものの、これは絶対反応に困ってるだけだな。そういうところは、何年経っても妙にかわいげがある。蹴られる気しかしないから、言わないけど。

「でも、本当だし」
「ん、だから、ちょっ……」
「素直に言ってるんですよ、言わないと伝わらないから」

 まぁ、多少、怒られない程度に選んではいるけど、それもそれだ。笑って、踝のとがりにキスを落とす。そのまま脚の腱を上に辿ろうとしたところで、「邪魔だな」と苦笑がもれた。

「邪魔って」
「いや、これ。まぁ脱ぎましょうか」

 これ、とスウェットの裾をひっぱると、なんだかものすごく嫌そうな顔をされてしまった。先輩の情緒はたまにちょっとよくわからない。

「脱ぐけど、あのな」

 おまけに、そう言ったわりには、ウエストのところ手で抑えてるし。

「ちょっと先輩、腰上げて」
「……なんだかんだ言ってただけで、人の言うこと聞く気ないだろ、おまえ」
「やだな、人聞きの悪い」

 というか、少し前までなんて、聞く気しかなかったくらいだ。べつに今も聞く気がないわけではないけど。ただ、なんというか。

「聞き分けに自信があるだけですって」
「……聞き分け」
「そう、聞き分け。でも、これね、うまくなったの、先輩のおかげなんですよ。先輩が素直に言ってくれないから」

 うまくならざるを得なかったんですよね、と続けたら、微妙に気まずそうな沈黙が返ってきた。なるほど、さすがに多少は悪いと思っていると。
 だったら、もうちょっとくらい態度で表してくれてもいいのに。願望半分でそんなことを考えたまま、にこりとほほえむ。

「あ、これは、けっこう本気で駄目だって言ってるなー、とか。これは羞恥心の問題だなー、とか。そういうこと」
「……」
「その前提で、べつにいいんじゃないかなと思ったんですけど、どうでした?」

 違ってたら言ってくださいね、と駄目押すと、ふいと視線が泳いだ。そうして小さな溜息。

「……最悪すぎる」
「そうかな。むしろめちゃくちゃ健気だと思うんですけど。そう思いません?」

 これはもう、違うって言わないあたりをかわいげだと思うしかないな。小さな苦笑ひとつで、もう一度足の先に口づけた。
 軽い意趣返しだったということも嘘ではないものの、基本的に先輩に触れることが好きだし、だから、前戯自体も好きだ。
 しつこいと言われることはあっても、さすがにこのタイミングで「なんでそう触りたがるの」とは言われないし。
 ちょっと軽く言ってみたら、根に持ちすぎだ、みたいなことを言われたわけだが、それも絶対、先輩サイドに問題があると思う。

「っだ、から、やめろって、そこばっか」
「こんなとこ、誰も見ないでしょ」

 太腿の内側とか、ほかの誰かに見られていい場所じゃないし。基本的に素直に言うこと聞いているんだから、このくらいのわがままいいんじゃないかな、ということにした。それに、甘やかしてやるって言ったの、この人だし。
 痕を残したばかりのところにもう一度軽く吸いつくと、またぴくりと太腿が震える。

「じゃ、なくて……」
「なくて?」
「……俺が、見える」

 言葉の意味を呑み込み損ねて、思わずまじまじと見下ろしてしまった。その視線に耐えかねたみたいにして、先輩が顔をそむける。あらわになった耳朶が赤い。

「えーと……、思い出すから、とか、そういう?」

 予想外すぎて一瞬意味がわからなかったものの、まちがいなくそうだった。

「思い出すから、駄目?」
「……っ」
「ねぇ、先輩」

 わかっていても言葉にされたいものって、結構ある。この人が、俺のお願いに弱いことをよくよく知った上で、甘えているだけではあるのだけど。

「教えて」
「…………ってる」
「先輩?」
「っ、だから!」

 自棄になったような声と同時に、ようやく目が合った。

「そうだって、言ってる」 
「やば……」

 変なスイッチが入った気がして、知らず苦笑がもれる。言い方も言い方だし、下手しなくても睨まれた気しかしないのに、かわいく感じるのだから、どうしようもない。それに――。

 ――なんか、たまにめちゃくちゃかわいいこと言うんだよな、この人。本当に、たまにだけど。

 おかげで、三年経ってもぜんぜん慣れる気がしない。
 腹の奥に溜まる熱を誤魔化すように、「好き」と囁く。事実だ。だから、本人がなにをどう言おうと、大事にしたいと思っている。

「いれたい」

 腹部に手のひらを置くと、ぴくりと揺れた感覚があった。次いで、広げた指の先から心臓の音が響く。大事にしたいと思っているのと同じところで、自分のものになればいいのにと思うことがある。
 意思のある個人をものと評すること自体がおかしいとわかっているのに、思いやりたい気持ちと欲望と衝動が混じり合う。恋愛ってそういうものかもしれないけど。それで、セックスってその最たるものだ。
 どんな顔を自分がしていたのかはわからない。でも、虚を突かれたような顔をされてしまったので、たぶんらしくない顔をしていたんだろうな、と思う。わかったところで、いまさらどうにもできなかったけど。
 じっと見下ろしているうちに、ふっと先輩の表情がゆるんだ。しかたない、とでも言ってくれるみたいに。

「はいはい」

 甘やかす声に、どうぞ、と許されてしまって、本当にこの人俺に甘いなぁと思い知る。もたげかけていたはずの苛立ちなんて、完全に吹き飛んでしまった。
 もう一度、好き、と告げれば、柔らかい呆れを含んだ、知ってる、の返事。これも何度でも思い知ってることだけど、やっぱり、俺はこの人が好きだ。

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