夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第十七話

86.

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 華がある人間というものは、いるものだ。姿かたちの見栄えというよりかは、持って生まれた「特別」によって生じる圧倒的な存在感。
 アイドルだとか、スターだとか、そういった特別な人間。テレビ越しでないと目にすることもない、自分が関わるはずのない、人間。漠然と考えていたそれが覆ったのは、十年以上前。中学二年生の、春だった。あぁ、身近にも案外といるのだなと知った。生来のスター性を持つ人間は。
 けれど、同時に、やはり関係がないとも思っていた。同学年なわけでもない。同じチームでプレイをする仲間のうちの一人にはなっても、それ以上はない。当たり前の事実として、そう捉えていた。
 そして、「それ」がこの後の五年間続き、その後はごく自然と離れていくと。

 ――そのはずだった、んだけどなぁ。

 子どもから大人になろうとも、持って生まれた華は消えない。知るつもりもなかったことを、あのころから十年以上を経て体感してしまった。
 どこから、こういう情報は回ってくるのだろう。それとも、たまたま空港に居合わせた人間が目ざとく気が付くのだろうか。試合に合わせて戻ってくるときなら読みやすいだろうが、今日はそういうわけでもないのに。
 ロビーの隅で、到着早々に数名の女の子に囲まれている姿を遠巻きにしながら、そんなことを考える。

 ――まぁ、ただの学生だったころから、きゃーきゃーきゃーきゃー囲まれてたからな。

 その当時と層は違うような気はするが、煩わしいという点では大きな違いはないのだろう。持ち合わせた人当たりの良さで如才なく対応している横顔は一寸の狂いもなく折原藍だったが、早く終わらせたいとの本音が透けて見えていて。笑ってしまいそうになって下を向く。
 折原がどれだけ人に囲まれていても、昔から気の毒にと思うことはあっても、嫉妬するようなことはほとんどと言っていいほどなかった。折原が望んでいるわけではないことを知っていたからだと思う。
 とはいえ、折原はあまり見られたくはないようではあるけれど。先日、約束していた通り帰国日を伝えられたとき、迎えに行けるけどと提案した。当初、折原は遠慮だけではなく躊躇っていた。
 その気持ちも分からなくはないとも思う、けれど。

 そうこうしているうちにひと段落ついたのか、折原が輪から離れたと思えば、まっすぐにこっちに向かってくる。

 ――なんだ、気づいてたのか。

「気づいてたんなら助けてくれても良くないですか?」
「俺にどうこうできるレベルを超えてる」
「……昔はしてくれたのに」

 どことなく拗ねた瞳が眼鏡の奥から覗いていた。眼鏡にマスクで防備して一発でバレてたら意味ねぇなとも思うが、思うだけだ。

「おまえの存在が派手すぎる所為だろ」
「一応、目立たないように生きてるつもりなんですけどね、俺も。それなのに勝手に目立つんだから、俺の責任じゃないですよ」

 仕方がないでしょうと言わんばかりに肩をすくめて、苦笑する。

「お友達が迎えに来ただけだとは思われてないですよ、これ」

 その言葉に、ちらちらと視線を感じていたのが気の所為ではないと知る。先ほどの輪はほとんど動いていなかった。

「まぁ、実際そうだしな」

 一拍置いて応じる。それは事実だ。折原が躊躇していた理由は気付いていた。けれど、そう捉えられても構わないと決めたのは俺でもあるし、折原でもあるのだと思っている。

「帰るぞ」

 帰る先が折原の家でも、俺の家でも。一緒に戻ることのできる場所が、帰るところなんだろう、きっと。視線は気にしないふりで歩き出す。年末に近い空港は人であふれている。その中の幾人が気が付いていて、いないのかは知らないが、どうでもいいことなのかもしれない。誰だって、興味のあることにしか視線は向かない。たらればのマイナスの可能性ばかりを懸案して、自分で世界を狭める必要も、きっとないのだろう。
 ここしばらくは、そう考えるようにしている。富原あたりが知れば、その年になっても人間は変わろうと思えば変わるんだなと笑うのだろうけれど。
 そして、安心した、とも言ってくれるのだろうと思う。
 振り返った先で、折原が少しの間を置いて、笑った。「はい」
 それぞれの家へと向かっていく人の波に混ざるようにして出口へと向かう。隣を歩いていた折原が、ふと呟いた。

「俺、冬ってあんまり好きじゃなかったんですけど」
「冬?」
「別れの季節って感じがすごくして。でも」

 言葉を区切って、笑う。

「もう、忘れそうだな、全部」

 一度目は、寮の部屋だった。二度目は、その三年後。車中だった。

 ――そうか。どっちも、冬だったか。

 それどころではなかったのか、あまり意識してもいなかったけれど。そういえば、そうだった。自宅のテレビで、すべてを突き放したような顔で笑っていた折原を見た。場所も、同じだ。ドイツに発ったのは、正月だった。早いような、長いような。あっという間だったような気もするし、遠い昔のことのようにも感じる。けれど、選んで進んできた道であることだけは間違いがないと思った。後悔なんて、いくらでもした。遠回りもきっとしている。その分だけ、余計に傷つけてもいる。
 それでも、今までのすべてが間違っていたのだとは思えなかった。

「――これから」
「なんですか?」

 声がざわめきにかき消されたのか、問い直す顔が近づいてくる。間近で絡んだ瞳に、いまさらと思いながらも気恥ずかしくなってしまった。昔から、本当に昔から、……ただの後輩だったころから、折原は優しい。その瞳や声の調子に、甘やかされているような風に感じてしまって、据わりが悪くなるのも昔からではあるけれど。

「先輩」

 どうかしましたか、と続いたそれに、はっとして首を振る。

「なら、いいんですけど。結構、混んでるから。疲れる前に言ってくださいね」

 にこ、と微笑む顔は昔から変わらない華やかさと人懐こさが入り混じっていて、けれど確実に大人びていた。これに弱かったんだよな、とも思う。

「女子か」
「違いますって。敬ってるんですよ。大事にしてる、でもいいですけど」

 それはそれで、老人介護と評されているような気がしないでもなかったが。困らせるつもりはなかったので、早々に話を戻す。

「これからの冬のほうがいつか多くなる。……だから、記憶も、イメージも、変わっていくんだろ」

 いつか。出逢ってからの先輩後輩であった期間より、付き合いだしてからのそれのほうが長くなる日が訪れる。
 春も、夏も、秋も冬も。逢えない時間のほうが長い日々が続いても、この先を一緒に歩いていくのなら、きっと。

「なんか、プロポーズみたいですね、それ」

 珍しく照れたような顔をしていたと思ったら、それだ。冗談のようにして笑う折原に、どうとでも取れよと半ばおざなりに言い返す。どうせ、全部、伝わっている。足を速めたのが、最後の抵抗だ。

「ねぇ、先輩」

 早めた速度にあっという間に追いついて、呼ぶ。人混みの騒音の中で、けれど、続きは鮮明に耳に届いた。昔から、折原の声はまっすぐに届く。その理由に気が付かないふりをしていたころから、ずっと。
 ふいに、昔の寮の部屋を思い出した。深山の高等部。今の生徒たちが使っているきれいなそれではない、旧式だった部屋。グラウンドから聞こえてくる声がひどく遠くて、張り詰めた面持ちで立っている折原と、隔絶された世界に二人きりみたいだと、そんな馬鹿なことを思っていたことを。

「好きです」

 世界へとつながっていると思った、後輩の背中。その背を押してやるのが正しいのだと信じていた。その隣に、今、立っている。ここはきっと、夢のさなかなのだろうとそんなことをなぜか思った。
 世界へとつながり、飛び立っていく空のアナウンス。そうであれば、足を踏み出す先に、夢が続いていくのだろうか。
 答えなんて分かっているというような微笑が、らしくて笑ってしまった。自信にあふれていて、抱えきれないほどの可能性を持っていて、それなのに、自分を好きなのだという年下の男。
 その情を跳ね除けることがどれほど困難だったかも、自分の心に嘘を吐いて意地を張るのがどれほど無意味だったかも。
 それでも幸せになってほしいと、ずっと願っていたことも。過去も今も未来もすべてを込めて、告げる。

「知ってる」

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