夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第十二話

69.

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 いつもより早く朝のグラウンドに顔を出すと、いるかもしれないと当たりを付けていた人物は、想像通り、既に姿を現していた。

 ――また、オーバーワークだって言われそうだな。

 コーチが気にしていたらしいと言う話はちらりと聞いた。本人が真面目な顔で「今後、気を付けます」と言っていたそうだが、次からはバレないように気を付けている、だけのような気もする。
 そんなことを考えているうちに、時枝と目が合った。バツが悪い顔を垣間見せたのは、コーチの注意が頭に残っていたからか。けれど、結局、いつもの人当たりの良い顏に戻って、フェンス際まで近づいてきた。

「先生」
「今日も早いな」
「いや、早くない時もあるよ。先生のタイミングがいつも悪いだけ」
「タイミングが合うって言えよ、そこは」

 最近はあまり顔を出していなかったが、四月の初め。まだ新体制に新入生が馴染み切れていない頃は、この時間帯にもたまに顔を出していた。そのときもよく時枝は一人、一番にグラウンドに入っていた。

「俺の時のキャプテンも、見るからにキャプテンらしいヤツだったけどな。そいつでも、そこまで朝一に活動はしてなかったぞ」

 時枝の好きそうな話題を出してみたのだが、その顔はあまり変わらなかった。

「あー、うん。この間、来てくれてましたけど。なんか、やっぱり次元が違う人だなぁって」

 改めて思いました、と苦笑いのような応えに、首を傾げる。

「佐倉のこと、気になってるのか?」

 別次元。一番身近なそれは、作倉だろう。想定とは違う入り方になったが、元々はそこが聞きたい話だったので良しとする。時間もまだあるはずだ。

「いや、まぁ……。と言うか、先生が相手してくれるのかなって。ちょっとほっとしてたのに、先生も結局投げるし。やっぱり俺かってがっかりはしたかな」

 存外、素直に吐き出されたそれに、言葉に詰まる。投げたかと言われれば、否定できない。

「あー……、そうだな。悪かった」
「良いって、良いって。先生も大変だと思うし。べつに、それは」

 さらりと受け流した、年より大人びた顔を見ているうちに、胃に穴が開きそうなタイプだなと少し気の毒になってきた。
 面倒見の良いキャプテン気質と言えば聞こえは良いが、なまじ器用であるがために全部を自分で抱え込み、追い込むタイプだ。

「じゃあ、まぁ、そうだな。ここの教師と言うのはちょっと脇に除けて。OBとして聞くけど。どう思ってんの、実際」
「答えにくいに決まってるじゃないですか、そんなの」

 即答に、思わず笑う。「だろうな」

「でも、とりあえず、ここからの話は監督には言わないで、世間話に留めておくから」

 窺うような沈黙の後、「じゃあ」と時枝が溜息交じりに切り出した。

「逆に聞きたいんですけど、先生は俺らくらいのころは一軍だったんでしょ?」
「まぁ、一応」
「スタメンだったの?」
「最後の方は。一年のころからスタメンとかではなかったよ、俺は。二年に上がってから、だったかな。中等部でも、高等部でも」

 懐かしい話になったなと思いながら、記憶を辿る。あの当時の深山も、余程の逸材でなければ一年時からスターティングメンバ―に選ばれていた生徒はいなかった。ただ、自分たちのころは、一学年上が不作だと言われていた世代で、三年になるよりは前にレギュラー入りできていた同学年の生徒が多かった。
 俺は、その中の一人だったと言うだけの話だ。

「それで、強かったんでしょ?」
「まぁ、……そうだな。メンバーも良かったし」
「折原選手とか富原選手? 今聞いても、すげぇメンツ。時代が違うのは分かってるけど、それでも、ちょっと羨ましい」

 県ベスト8が精々。全国制覇どころか、県代表からもずっと遠ざかっている、一昔前の強豪。そう、学内でも言われていることも知っている。けれど。

「時枝が羨ましいって言うのは、チーム内が上手く行ってたって言う方じゃないのか?」
「上手く行ってたんだ? 俺が言うのもなんだけどさ、一軍ってひとまとめに言っても、結構、格差あったんじゃないの?」
「格差って」
「ポジションが違ったとしてもさ、トレセンに呼ばれていなくなったりとかすると、羨ましかったり妬んだりとかなかった?」

 時枝が言うのは、ナショナルトレセンのことだ。地域トレセンに呼ばれる選手は、深山でも毎年何名かいるが、ナショナルトレセンとなるとそうはいない。

「まぁ、全員が呼ばれるものじゃないからなぁ」
「そりゃそうでしょうけど」
「昔の話だから、アレだけど。羨ましいと言うよりかは、負けてられないなって思ってたかな」
「……健全」
「そうかもな」

 実際は、そんなにきれいなものではなかっただろうが、そこは今は重要ではない。

「あとは、そうだな。割と腹に溜めずに思ったことは口にしてたかな」
「思ったことって、羨ましいとか、そう言う?」
「……レベルが低いところに戻ってきたからって手ぇ抜くなよ、とか、そう言う?」

 この年になって記憶を引っ張ると、ろくでもないことを言っていた気がしてならない。

 ――本当に、あいつは、なんで嫌にならなかったんだろうな。

「先生が?」
「俺は元々、気も長くないし。おまえみたいに人の上に立ってどうのこうのなんて考えてもなかったし、好き勝手にさせてもらってたから」

 本当に好き勝手としか言いようがないが、それでもあの当時、部内が上手く回っていたのは、富原のおかげだろう。

「その当時のキャプテンだったヤツが言うには、ちょうど良い役割分担にそれもなってたらしいけど。なんて言うのかな、陰口にしないで俺が言うことで、他のヤツらのガス抜きにもなってたんじゃないかって」
「……ふぅん」
「まぁ、折原の人間が出来てたって言うところが大きいかもしれないけど。あいつ、立ち回りが上手かったから、俺が知ってる限りでは、部内の人間関係で揉めたりしていなかったと思う」
「でもそれって、信頼があったからできたって話だよね」

 拗ねたと言うよりかは諦めたような声だ。いっそのこと、諦めたら、それはそれで楽だろうに。責任感の成せる業か、性格か。気の毒になるほど、時枝の中に、その選択肢は存在していないらしい。

「なんだかんだ言っても、作倉は時枝のこと一番気に入ってると思うけど」
「……」
「いや、本当に。まぁ、それも、こうやってさ。時枝が作倉のことを一番よく考えてるからだと思うよ」
「俺さ」

 時枝の視線が、ふと寮の方を向いた。その視線を辿ると、何人か生徒の姿があった。そろそろ集まり出す時間だ。

「中等部にいたころ、あいつのいた中学と対戦したことが何度かあるんだよね」

 作倉は高等部からの編入組だったから、あってもおかしくはない。

「最後の年はあんまりだったのか、一度も当たらなかったけど。二年の時は何回か当たった。それで、まぁ、負けたんだけど。良いなって思ったよ。絶対的なエースのいるチームって言うのが」

 ウチのフォワードが頼りなかったわけじゃないんだけど、と誰も聞いていないのに律儀に付け足して、続ける。

「あぁ言うヤツが居たら、またウチのチームも違ってくるんだろうなって。ゴールを守ってても、あんなヤツが前線にいたら楽しいだろうなって」
「……そうか」
「だから、あいつが編入してくるって聞いた時は、俺、嬉しかったんだよ。本当に。でも、なんか、あの頃とは全然違ってた」

 真面目にやっていた時期も、当たり前だがあったんだよな。高等部に編入してくる時点で聞いた話では、素行に問題有り、だったけど。

「なんかデリケートな部分なのかなって。聞きづらかったんだけど」
「そのあたりも本当に人間ができてるな、時枝は」
「そんなに良いものでもなくて、どちらかと言うと俺は平和主義と言うか、あまり現状をいじりたくないタイプと言うか」

 だから、今まで変化が見られなかったってことなんだろうけど、と言って。そして納得したように一つ頷いた。

「まぁ、良いか。どうせもう最後なんだし、一回くらいそう言う話をしてみても」
「無理してしなくても良いからな?」

 無理強いをした気分になって、つい一言付け加えてしまった。

「先生って、そう言うところ、素直だよね」
「あのな。十とは言わないけど、それくらい近くは上だからな、俺の方が」
「うん。でも人間味があって好きだな、俺」

 何かしら腑に落ちたのか。吹っ切れたのか。やってきた後輩を主将の顔で出迎えてグラウンドへと戻って行く。その背を見送って、でもそうだなと俺も思った。
 三年間なんて、長いようで短い。もう最後の年か。

 ――俺は、良くも悪くも高三の時は大学受験の勉強に追われてた、って記憶しかないけど。

 最後の年が、納得いかないものになったら、引きずるだろうしな。数年は。
 そう言う意味では、良い方向に風が吹けば良いとは思う。
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