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第十二話
68.
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「おまえって、彼女とか作らないわけ?」
不躾な上に脈絡も何もない問いかけだったが、一つ年下の後輩は、取り立てて嫌なそぶりも見せず問題集から顔を上げた。
なにかと理由を付けて、二人きりで同じ空間にいることが増えていた。嫌なわけではないが、座りが悪いようなそんな感覚が走る瞬間もあって。
拒もうと言う意識はあまりなかったが、折原が声をかけてくる回数が減れば、どこかでほっとするかもしれないとは思っていた。
そして、あぁ、ヤバいな、これは。駄目だな。時間を共有するにつれ、そんなことを思うことも増えた、高二の秋口だった。
「今はそんなに興味もないと言うか。そもそも、俺ら部活ばっかりじゃないですか。そんな暇、ないじゃないですか」
俺のところに来る時間を充てれば、十分に暇は作れるんじゃないかと言う代わりに、「富原は出来たみたいだけどな」と口にする。
「あぁ、そう言えば、そんな話になってましたね。女バスの子でしたっけ。まぁ、運動部の子なら、忙しさも理解してくれるから良いんじゃないですか? 富原さん、マメそうだし」
「だから、おまえも作ろうと思えばすぐに出来るって話で、……おい、聞いてんのか」
ちゅ、と軽い音を立てて、唇が当たる。一回、二回。触れるだけの軽い接触が続いて、三回目。こじ開けて深くなっていきそうな雰囲気に、その頭を叩く。止めろ。あるいは終われ。
「痛いですって、これ、体罰ですよ、体罰。先輩から後輩への」
あっさりと離れて行ったかと思えば、不服そうに拗ねた顔をする。
煩い、と一蹴すれば、それ以上の何を訴えることもないのも知ってはいるのだけれど。寮の前でキスをしたのは、まだ暑い盛りの夜だった。あの日以来、増えてきた接触。
許す境界がどんどん後ろに下がってきているような気がして、たまに恐ろしくなる。どこまで、許すのだろう。あるいは、どこまで、続けたいのだろう、と。
「と言うか、先輩だって作らないじゃないですか、彼女」
「……おまえと違ってモテないんだよ」
「嘘。知ってますよ、俺。先輩のこと練習場まで見に来てた子、いたじゃないですか」
すらすらと折原の口から告げられる名前は確かに聞き覚えはあった。けれど。
「それって、今、全部、おまえに差し入れ渡しに来てないか?」
「あ、嫌だな、先輩。べつに、俺、何もしてないですよ? ただ、先輩のことを好きだって思う人なら、話が合うかなと思っただけです」
何の邪気もなさそうににこりと折原が笑う。そして俺が言葉を発するよりも先に、問題集の一問を差してきた。
「ここが分からないんですよね。俺の解き方で合ってます?」
「――合ってないのは、計算過程だ」
計算ミスを指摘してやれば、あぁ、そこか、とさらさらとシャーペンが動き出す。折原はなんだかんだと言ったところで、頭が良い。
「先輩は教えるの上手ですよね」
「褒めても何も出ないぞ」
「いや、べつに、また教えて貰おうと思ってるわけじゃなくて。そりゃあわよくば教えてくださいとは思ってるけど」
思ってるのかよ、と言うか、またそうやってやってくるつもりなのか、とか。呆れたように思う反面、どこかで喜んでいるのだから、自分が一番性質が悪い。
「先生とかも向いてそうだなって。先輩、優しいから」
――優しい、ねぇ。
「俺はサッカーくらいしか取り柄もないし。先輩は他にも選択肢があるんだなって」
その「くらいしか」ない取り柄が欲しかった人間がどれだけいると思ってるのか。窺うような視線を感じてはいたけれど、それ以上、話を膨らませはしなかった。
ただ。
――気づいてんのかな。俺が一般受験考えてること。
サッカーは高校までで見切りを付けようと考えていることを。この人間関係からも、離れようと思っていたことを。
折原にとっての、最後の一線だったのかは知らない。後輩として、余計なことは聞けないと思っていたのかもしれない。
ただ、俺が深山を離れるそのときまで。当時の距離感からすれば不自然なほど、俺たちは未来の話を避け続けていた。
中等部に在籍していたころは、ごく自然と話していたはずの未来図は、現実を知るようになって描けなくなっていた。
サッカー選手になると言って、実際になり得た人間はどの程度いるのだろう。そして、その中でトップチームで躍動できる人間はとなると、本当に一握りだ。
その一握りとともに活動をできたのはある意味で幸運だったことだろうと思う。そして、教師となり、生徒たちの中にその芽があるのかどうか、当時とは違う目線で見ることができている今も、幸運だとも思う。理由を付けて離れてみたり、戻ってみたりを繰り返して、それでも結局、俺はこの競技に関わり続けていきたいのだと知った。
不躾な上に脈絡も何もない問いかけだったが、一つ年下の後輩は、取り立てて嫌なそぶりも見せず問題集から顔を上げた。
なにかと理由を付けて、二人きりで同じ空間にいることが増えていた。嫌なわけではないが、座りが悪いようなそんな感覚が走る瞬間もあって。
拒もうと言う意識はあまりなかったが、折原が声をかけてくる回数が減れば、どこかでほっとするかもしれないとは思っていた。
そして、あぁ、ヤバいな、これは。駄目だな。時間を共有するにつれ、そんなことを思うことも増えた、高二の秋口だった。
「今はそんなに興味もないと言うか。そもそも、俺ら部活ばっかりじゃないですか。そんな暇、ないじゃないですか」
俺のところに来る時間を充てれば、十分に暇は作れるんじゃないかと言う代わりに、「富原は出来たみたいだけどな」と口にする。
「あぁ、そう言えば、そんな話になってましたね。女バスの子でしたっけ。まぁ、運動部の子なら、忙しさも理解してくれるから良いんじゃないですか? 富原さん、マメそうだし」
「だから、おまえも作ろうと思えばすぐに出来るって話で、……おい、聞いてんのか」
ちゅ、と軽い音を立てて、唇が当たる。一回、二回。触れるだけの軽い接触が続いて、三回目。こじ開けて深くなっていきそうな雰囲気に、その頭を叩く。止めろ。あるいは終われ。
「痛いですって、これ、体罰ですよ、体罰。先輩から後輩への」
あっさりと離れて行ったかと思えば、不服そうに拗ねた顔をする。
煩い、と一蹴すれば、それ以上の何を訴えることもないのも知ってはいるのだけれど。寮の前でキスをしたのは、まだ暑い盛りの夜だった。あの日以来、増えてきた接触。
許す境界がどんどん後ろに下がってきているような気がして、たまに恐ろしくなる。どこまで、許すのだろう。あるいは、どこまで、続けたいのだろう、と。
「と言うか、先輩だって作らないじゃないですか、彼女」
「……おまえと違ってモテないんだよ」
「嘘。知ってますよ、俺。先輩のこと練習場まで見に来てた子、いたじゃないですか」
すらすらと折原の口から告げられる名前は確かに聞き覚えはあった。けれど。
「それって、今、全部、おまえに差し入れ渡しに来てないか?」
「あ、嫌だな、先輩。べつに、俺、何もしてないですよ? ただ、先輩のことを好きだって思う人なら、話が合うかなと思っただけです」
何の邪気もなさそうににこりと折原が笑う。そして俺が言葉を発するよりも先に、問題集の一問を差してきた。
「ここが分からないんですよね。俺の解き方で合ってます?」
「――合ってないのは、計算過程だ」
計算ミスを指摘してやれば、あぁ、そこか、とさらさらとシャーペンが動き出す。折原はなんだかんだと言ったところで、頭が良い。
「先輩は教えるの上手ですよね」
「褒めても何も出ないぞ」
「いや、べつに、また教えて貰おうと思ってるわけじゃなくて。そりゃあわよくば教えてくださいとは思ってるけど」
思ってるのかよ、と言うか、またそうやってやってくるつもりなのか、とか。呆れたように思う反面、どこかで喜んでいるのだから、自分が一番性質が悪い。
「先生とかも向いてそうだなって。先輩、優しいから」
――優しい、ねぇ。
「俺はサッカーくらいしか取り柄もないし。先輩は他にも選択肢があるんだなって」
その「くらいしか」ない取り柄が欲しかった人間がどれだけいると思ってるのか。窺うような視線を感じてはいたけれど、それ以上、話を膨らませはしなかった。
ただ。
――気づいてんのかな。俺が一般受験考えてること。
サッカーは高校までで見切りを付けようと考えていることを。この人間関係からも、離れようと思っていたことを。
折原にとっての、最後の一線だったのかは知らない。後輩として、余計なことは聞けないと思っていたのかもしれない。
ただ、俺が深山を離れるそのときまで。当時の距離感からすれば不自然なほど、俺たちは未来の話を避け続けていた。
中等部に在籍していたころは、ごく自然と話していたはずの未来図は、現実を知るようになって描けなくなっていた。
サッカー選手になると言って、実際になり得た人間はどの程度いるのだろう。そして、その中でトップチームで躍動できる人間はとなると、本当に一握りだ。
その一握りとともに活動をできたのはある意味で幸運だったことだろうと思う。そして、教師となり、生徒たちの中にその芽があるのかどうか、当時とは違う目線で見ることができている今も、幸運だとも思う。理由を付けて離れてみたり、戻ってみたりを繰り返して、それでも結局、俺はこの競技に関わり続けていきたいのだと知った。
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