夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第七話

45.

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「送ってもらってすみませんでした。ありがとうございます」

 次の角のところなんです、と折原が告げた瞬間、知らないうちに入っていた力が肩から抜ける。俺ばかり自意識過剰なのだと思い知るには十分だ。そして心底いらないと思う、のに。

「先輩」

 路肩に寄せて停車したところで、折原が俺を呼んだ。
 その声に思い起こされたのは、過去の記憶だった。
 あのころもなぜかいつもこうやって車中で話をしていたように思う。他の誰にも聞かれない、ところで。
 違う点があるとすれば、折原の運転する折原の車で、そしてあいつが……俺に対して履き違えたベクトルを向けていたと言うことだけで。

「怪我、ひどいのか」

 遮ったのはほんのわずかな可能性であれ、たまらなかったからだ。折原の口から零れるものを平然と聞くだけの度量が、俺にはない。3年経ったところで変わらない。もう十分に、思い知っている。

「え? あぁ、それほどでもないですよ。ただちょっと癖になりそうだったんで」

 瞬時の戸惑いは、すぐにいつもの折原の調子に覆い隠されて消える。メスを入れるのは避けて、監督やチームドクターとも十分に協議を経て、開幕までの間、古巣の日本でリハビリを。
 それはすべて、折原が来ると聞いた時に、監督からすでに聞いていた事実ではあった。けれど本人の口から聞くそれは、嫌に現実的なものとして耳に残る。
 そして、自身の感情とは全く違うところで、深く安堵した。
 折原が折原であるために、無用な障害は要らない。それはずっと、おそらくあの学園に通っていたころからずっと、思っていたことだった。
 そうでさえあれば折原は幸せだと、俺が信じていたかったのかもしれない。

「なんか、あんたの呪いみたいだって思うことありますよ、俺」
「え……?」
「だって、言ったじゃないですか。あの日、俺に」

 予想外の言葉に顔を上げた先で視線が合う。折原が皮肉るように、小さく笑った。

 なんにでもなれる。どこまでもいける。
 プロになって、海外に出て、日本を代表する選手になって。
 怪我をするようなことがあっても、きっと治る。大丈夫、大丈夫だ。
 ぜんぶ、上手くいく、おまえなら。

 それは、あの日。退寮する日、ひとり俺の部屋までやってきていた折原に言ったことだった。
 どういえばいいのか分からないまま、それでも必死にひねり出した。
 今思い返してみても、何を言っているのだろうと嗤いたくなるほどには滑稽だ。
 でもあのとき、俺は俺なりに本気だった。

「馬鹿じゃないのかって思ったけど、言えなかった。だって俺は、言い返すだけのものをあのとき持っていなかったから」
「……」
「だから、削ぎ落とせるものは削ぎ落としたいって、そう思ったんです」

 それはいったい何の話だといっそ聞いてしまえれば良かったのかもしれない。折原はいたって淡々とした表情を崩さなかった。
 静かな声が二人きりの車内に響く。もう降りろだとか、もういいだとか、そんな制止も出てこなかった。

「ねぇ、先輩。今の俺と一緒にいることで先輩が得られるメリットってあまりないでしょう」
「折原、」
「俺と居たら、今日の生徒さんじゃないですけど、ああいう風に勘繰られるかもしれませんもんね。俺は事実だから構いませんし、今更なんとも思いませんけど」

 言い切って、挑発するように折原が目を細めた。「先輩は、そうじゃないんですもんね?」

「俺は」

 折原から目をそらして膝元に視線を落とした。それは無意識ではあったのだけれど、ふとよぎったのは馬鹿馬鹿しいたらればだった。

「おまえにあんなことを言ってほしかったわけじゃない」
「そうでしょうね」

 分かっていたとでも言いたげに折原はさらりと首肯した。「知ってます。だから俺の勝手です」

「全部俺の勝手です。俺の言動も、――あのころ、あんたを好きだったことも」

 俺にはどうでもいいんです、と。そう言い切った折原を、でもそれでもと押し返したあのときの自分の判断を、俺は間違っていたとは今でも思わない。思いたくはない。

「先輩。俺はあんたを選びに戻ってきたんじゃないんです。あんたに選んでもらいに来たんですよ、ここに」

 後悔すると言うなら、後悔ごと俺を掴みとってくださいよ。
 続いた科白に心臓が掴まれたようにすくんだと思った。

「今日、俺が言いたかったことはそれだけです。すみません、時間取っちゃって」

 ふっと言葉尻を緩めた折原が、暇を告げる。変わらないなと懐かしくなった。そうやっていつも折原は逃げ場を残してくれていた。気まずい心理を引きずることが無いように、気を使ってくれていた。
 それは折原の優しさで、間違いなく俺はその上にずっとずっと胡坐をかいていたのだろうけれど。

「折原」

 ドアを開けて外界に出る直前。ステアリングに視線を落としたまま、呼びかけた俺に、律儀に折原が動作を止めて俺を見たのが分かった。けれど顔を上げることはできない。平淡な声を出すので精一杯だった。
 いつもそうだ。

「おまえのそれは、思い込みだ、そうじゃなかったら、ただの執念だよ」
「先輩が思うなら、先輩にとってはそうなのかもしれないですね」

 全てを突き放すような俺の物言いにも、折原は変わらなかった。

「でも、俺はそうじゃない。それに、俺の気持ちを先輩が決める権利はないですよ」

 だからそれは、俺が埋め込んだものじゃないのか。俺が突き落としたものじゃないのか。
 叫びそうになる心を抑え込んで、黙り込む。折原が一度そっと息を吐く。知っている。それが折原の、本心を乗せるときのくせだったことも。

「俺の感情は、俺のものです」

 誰に命令されたわけでもない。強制されれば変わるものでもない。

「俺は、俺の意思で、佐野先輩にもういちど会いに来たんです」

 何を言えばいいのか分からなかった。「おやすみなさい」と外に出た折原がドアを閉める前、「馬鹿だな」と本心なのかなんなのか分からないものが零れ落ちる。
 折原は「言ったじゃないですか」と微かに笑んで応じた。

「俺、馬鹿になりたかったんです、って」
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