夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第六話

37.

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「どのあたりでした?」
「……え?」
「だから、どっか行くつもりだったんじゃないですか」

 密室での沈黙を恐れていたわけではないだろうから、気遣いなんだろう。
 車内に落ち着いてすぐ、あくまでも穏やかに話しかけてきた折原に、あぁそういえば、そんな急場しのぎの言い訳をしたなと、思い返す。

 折原がそれを信じているのかどうかは分からないが、そういうことにしておく、とそういうことだ。

「たいした用事じゃなかったし」
「そうですか」
「おまえと会ったから、それはもう、いい」
「先輩」

 折原がふっと息を漏らしてハンドルに視線を落とした。小さな振動音がして、エンジンがかかる。

「やめてくださいよ、気まぐれでそういうこと、言うの」

 ワイパーが鈍く動き出して霜をそぎ落としていくのをぼんやりと視界に収めたまま呟く。
 問いかけるよと言うよりかは、独り言に近いような気さえした。

「おまえこそ、俺に話があったんじゃないのか」
「それで、今、それですか」

 今度は、確かに呆れの色が含まれた失笑だった。
 そう思われてもしょうがない、と理解してはいるつもりだった。
 ここぞと避けていたのは俺だ。

「先輩は、なんていうか、富原さんにはいつも割かし素直ですよね」
「そんなことねぇだろ」
「そんなことありますって。俺、結構思ってましたもん、あのころから」
「……俺は」
「俺が富原さんみたいに先輩と同学年だったら、頼ってくれるのかなぁ、とか」

 折原の目には、そんな風に映っていたのだろうか。
 確かに、あのころ、俺にとって、富原は部活の中では一番距離の近い友人ではあったように思う。
 でもそれだけだ。
 折原を前にするときのように、感情を動かされることは、なかった。

「あのときも、俺に相談してくれたのかな、とか」
「俺は、誰にもしてない」

 それが何を指しているのかはすぐに分かった。
 深部に触れる話はしたくなかった。でも、それだけは言っておきたいようにも思えた。
 今更なのに。

「誰にもしなかったよ、結局。全部、一人で決めた」

「そうですか」と頷いたきり、黙り込んでいた折原が、「どうしますか」と問い重ねてきた。
 ハンドルに腕を置いたまま、ちらりと俺に視線を寄越してくる。

 再会してばかりの頃にも、こうやって車内で問答をしたことがあったなとふと思い出した。

「車出すの、やめときますか」

 折原はもう俺を見てはいなくて、それがひどく怖かった。
 怖い、と思ったのは初めてかもしれない。ずっと自分を見つめていたまっすぐな瞳が自分に向けられなくなるのは嫌だ。
 そうさせようとしていたのは、ついさっきまでの俺であるはずで。そう思うのがどうにもならないくらい身勝手だと分かっているのに。

「選択できなくなるでしょう、自分で」
「別に良い」
「――え?」

 だったら、この勢いは、まるっきりどうしようもない子どもの駄々と同じだ。
 追いかけられているから、逃げたいと思う余裕があるのだ。
 興味を失われているのが分かると、そうはさせまいと引っ張りたくなる。

「だから、おまえの行きたいところでいいって言ってる」
「……だから。俺もそういうこと言わないでくださいって、言ってると思うんですけどね」

 苦笑すら創り損ねているというような顔で、折原が息をついた。

 俺がずっと逃げていたのは、折原からもういらないと通告されることだったのかもしれない。
 そうならないように、いつも俺の方から逃げていたのかもしれなかった。

「知ってます? 先輩。富原さんが選んだ学部」
「あー……、どこだったっけ」
「リハビリテーション」

 ハンドルから腕を外してシートにもたれかかる。視線は落ちたままだった。

「全部が全部そうだなんて言いませんけど、あんたのことが頭にあったんじゃないですか」

 富原とそんな話をしたことはなかったと、思う。きっとお互いが触れてはいけないと思っていた。
 よくよく考えなくても、電話をすることは度々あっても直接逢おうと考えたことは一度もなかった。
 それもこれもすべて、折原と再会してから、動き出したことばかりで。

「それで、俺もそうです。先輩は一人で決めたいんだろうって一応、理解してるつもりですけど。その決断だって結局、あとから周囲の人間に影響してくるんですよ」
「……おりはら、」
「だから、一人で決めないでください。ねぇ、一応、これ、先輩一人の問題じゃなくて、俺と先輩の問題ですよね。もしそこから違うなら、今、言って下さい」

 ひどく久しぶりに目があったような気がした。
 佐野はさ、といつだったか栞が評していた言葉が脳裏に浮かんで、消えた。

 佐野はさ、ぜんぶ一人で決めるとすごい後ろ向きに考えるけどさ、周りから押してもらったら、違う目線でも考えられるでしょ?

 ――そうなのだろうなと、理解している。
 だから一人で決めたかった。
「もし」だとか「たられば」だとかそういったプラス方向での想像はいらない。
 そうなると限らないのだから、いらない。

 折原が批判されるような、糾弾されるような、可能性を残すことの方が、無理だ。
 だから、決めたかったんだろう。
 あるいは、決める前に折原が目を覚ましてくれることを期待していたのかもしれない。

 もうずっと矛盾ばっかりだ。

「折原に会おうと思ってたんだ、本当は」

 するりと喉から零れ落ちたのは、自分でも驚くほど静かな声だった。

「でも、実際おまえの顔見たら、なに言おうとしてたのか忘れた」
「そうですか」

「忘れた」と意味もなく繰り返したのは、口にすべき言葉が上滑りしてしまいそうだったからだ。
 本当は、――本当なら、「おまえには関係ない」と言ってしまえば、それですべて消えてなくなるのかもしれない。

「先輩って、変に俺のことすごいって盲信してるわりに、肝心のところで結局ちっとも信用してないですよね」

 それ以上何も言えなかった俺の代わりに、折原が口にしたのはそんな科白だった。

「俺は本当どうでもいいんですよ。周りに何をどういわれようと、世間に何を批判されようと」
「……」
「俺はそんなことで駄目にされるつもりも、なるつもりもないですよ」

 ――でもそれでも、余計な風は吹くじゃないか。
 そんなもん、ないほうがいいに決まってる。

 そう思うことが独りよがりだとは、俺はどうしても思いきれなかった。

「それか、いっそ。俺が嫌なんだって、そう言ってくださいよ」

 吐き捨てるように折原が息をついた。
 その瞳に映っている俺は、きっとひどくみっともないものになっていると思った。

「先輩はいつも、俺のためにとか、俺がって言うじゃないですか。言わなかったとしても、間違いなく思ってるじゃないですか。じゃあ、先輩はどう思ってるんですか」

 先輩、と。吐き出された熱にあてられてしまいそうだった。
 昔から、今に至るまでずっと、俺をそうやって呼ぶのは、ただ一人。折原だけだった。
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