夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第六話

35.

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 レポートの最後の考察を打ち終えて、上書き保存のボタンを押してしまうと、本格的にすることがなくなってしまった。

 自分のその思考にさすがに嫌気がさして、そんなことはないだろうと思い直そうとしてはみたのだけれども。

「……さすがにもうねぇな」

 いや、正確に表すならば、ここ一月分ほどのやるべきこと・やっておいた方が良いだろうことを、すべて手当たり次第にやってしまっただけ、か。
 何もしないでいると、ついついろくでもないことを考えるような気がして、忙しさを求めて逃げていただけではあるのだけれど、そこで酒に逃げたりしないあたりは、まだ正常に脳が働いている証拠かもしれなかった。

 庄司あたりには、この一週間、顔を合わすたびに「飲み行く?」と水を向けてくれていたが、すべて断らせてもらっていた。
 理性が揺らぐのは、怖い。
 そう思うのは、揺らぎそうになるなにかがあるということで。

 ピンポンと、あまり鳴らないチャイムが遠慮がちに響いて、思考が現実に戻ってきた。
 誰だろうと疑念が頭をかすめたが、どうせ庄司あたりだろうと結論付ける。こんなところにまでやってくるおせっかいは、あいつくらいで十分だ。

「富原?」

 だから、そこにいた人物は、多少意外な相手だった。
 といっても、5年ほど昔であったならば、以外でもなんでもない手合いではあったのだけれど。
 あのころ、いつも部員の面倒をみていたのは、この男だった。

「避けられるのは別に良いんですけど」
「は?」
「全く連絡が付かない状態って言うのは、心配なんで、できたらやめてください」

 開口一番、棒読みされた台詞に思わずぽかんと見上げてしまった。その先で、富原が眦を下げた。

「……あいつか」

 知らないうちに漏れ出てしまった正解に、富原が「そりゃ心配にもなるだろ」と苦笑する。

「うちの大学で、一人暮らししてた同級生が、あ、男だけどな。うっかり一週間携帯の電源落としたままにしてたら、そいつの母親から大学に問い合わせ入ってたぞ」
「……」
「おまえは大丈夫だろうな」

 暗に、どころではなく、間違いなく責められている。
 そしてそれにぐうの音も出ないのは、俺が悪いのだろうと自覚はしているからだ。

「別に、音信不通になってたわけじゃねぇ……つもり、なんだけど」
「たとえば、折原がおまえと同じ大学に通ってて、どこからかでも顔が見えるならそうかもな」
「何言ったわけ。おまえに。あいつ」

 ふてくされたような声になったと、自分でもわかった。
 富原が表情を緩めて小さく笑う。
 こんな風に、狭い部屋で二人顔を突き合わせていると、まるで、深山にいたあのころみたいに思えてしまう。
 おまけに話している内容が、折原だ。
 結局、おれはあのころから一度も離れられていないのかもしれない。
 捨てたつもりで、もうずっと縋りついているのは、きっと俺の方だ。

「佐野」

 呼ばれて視線を上げると、富原は「困っている」としか表現できないような顔をしていた。
 そりゃそうだろうなと思う。
 なんで今更、昔の後輩に頼まれて俺の様子を伺いに来ないといけないのか。

「俺は、おまえがあいつを何で避けてるのかは知らないけどな。おまえ、あいつがなんで連絡取ろうとしていたのか考えてやってないのか?」
「……べつに、」
「折原、いなくなるかもしれないぞ」

 その言葉に、息が止まるかと思った。
 そしてすぐに、その自分の動揺に呆れた。
 なんだそれは。

「前から海外移籍の話は複数あったらしいけど、今回、いいタイミングのがあって、クラブ側も乗り気らしいぞ」

 あぁ、どんどん遠いところに行くのだなとただ思った。
 最初に逢った衝撃が過ぎてしまうと、心は変に凪いでいるようにも思えた。
 中学生だった折原に、高校生だった折原に、俺が勝手に託した未来と寸分変わらない道を、折原は確かに進んでいるのだ。

 ――なぁ、ひとりで大丈夫だっただろ。おまえは。

 折原に言い聞かせるように、自分自身に言い聞かせるように、何度も繰り返した。

 おまえは、俺がいなくても大丈夫だろ。
 だから、俺もおまえがいなくても大丈夫だ。


「そりゃ、すげぇな。海外か」
「折原は、おまえに相談したかったんじゃないのか?」
「俺に?」

 昔から変わらない真面目で厳しい、けれど優しくもある富原の目から視線を外して、失笑する。

「なんで俺だよ、今更」

 せいぜい高校受験くらいだったら相談乗れたかもしれないけどな、と笑う。
 あのころだって、折原にはいくつもの選択肢があったはずだった。
 なのにあいつは、「先輩と一緒のところに行くんで、1年待っててくださいね」とそう簡単に言ってみせて――、そして……。

「そういう問題じゃないだろ、おまえたちは」
「じゃあ、逆に聞くけど。どういう問題なんだよ」
「付き合ってるんじゃないのか?」

 なんで、そんな平然と言えるのだろうと思った。
 それはおかしいことのはずだった。煙たがられる類のものに違いなくて、だからできるだけ、そんなものはあいつから取り払ってやりたくて。だから、俺は。

 それが、どれだけ独りよがりかなんて、俺が一番、分かっている。

「俺には、そう見えるけどな。今も、昔も」
「知らねぇよ、俺は」

 知るかよと、もっと前に捨ててしまったらよかったのかもしれない、あるいは。
 でも、そんなの、できるわけがなくて。
 逢ってしまったら、できるわけがなかった。

「逃げるのをやめたと言ったのは、おまえだろう」
「俺じゃねぇよ、おまえが勝手に言っただけだ」

 何をこどもみたいなことを言ってるんだろう、と思うのに止まらなかった。
 富原は、感情を抑えるように息を吐き出して、「何を終わらせてやるつもりだったんだ」と言った。

「知らね」ともう一度呟いて、さすがにそれはないなと、再度口を開こうとする。
 けれど、結局、言い訳なんて出てきそうにはなくて、

「分からなくなった」

 最終的に音になったのは、そんな迷子みたいなものでしかなかった。
 馬鹿か、と思う。
 何をこの年になって、こんな馬鹿なことしかできないのだろう。

 これなら、――あのときの、3年前の俺の方が、よっぱどまともだ。

 富原は「そうか」と一度相槌を打った。
 分からなくなったのは、なんなのだろう。
 それとも、昔からずっとずっと、何も分かってはいなかったのだろうか。
 折原のことも、自分自身のことも。

 俺は、――俺は。

 好きだなんて、認めたくなかった。
 特別だなんて、知りたくなかった。
 
 そのすべてを、ただの過去の記憶として、仕舞い込んだままでいたかった。
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