27 / 98
第四話
26.
しおりを挟む
「佐野も来てくれたか」
久しぶりに会う監督は、昔の面影そのままだった。
と言ったら、「たった三年で老けたらかなわん」とぼやかれて、それはそうだと笑ってしまった。
あのころなら、こんな風に話せなかったかもしれないが、今は違う。
そう言う意味では、俺も少しは大人になったんだろう。
視界の先では、折原が楽しそうに後輩たちを前に何か話していた。
特別なことを話さなくたって、彼らにとって折原は間違いなくヒーローそのものだ。現役Jリーガー。最年少日本代表。稀代のエースストライカー。
あいつが持っている肩書は果して片手で足りるだろうか、と考えて、いやでも、と思い直す。
そんな肩書がなくても、なぜか昔から折原は人を引き付ける。
「佐野は、どうだ」
「どうって、別にちゃんと大学生してますよ。真面目に」
「そうか」
グラウンドのフェンスの傍。設置されているベンチにもたれ掛るように腰を下ろしたまま応じる。
中等部と高等部では、監督は異なっていたから、この人の指導を直接受けたのは二年ほどの間だった。
理不尽なことを言うでもなく、依怙贔屓をすることもない。
さまざまな指導者を見てきたが、この人に巡り合えたことは、幸運な部類だったんだろうと分かっている。
中途半端に、逃げ出してしまったけれど。
「そうか」
もう一度、繰り返した監督が、唇に微笑を刻んだのが気配で知った。
「こんなことを言うのは、酷かもしれんが、怪我で駄目になった選手を、何人も見てきた。だが、慣れるものじゃないな。そのたびに、どうにもならなかったのかとも悔やむ」
「俺は、……」
「もちろん、いろんな場合があるがな。それと同時に、これからの長い先をどう歩んでいくのかと、老婆心ながら心配もする。――おまえは、ずっとこれ一筋だったしな、タイミングもおまえにとって辛いものだったとも」
俺が辞めてからも、この人は何人もの卵を育てているんだろう。
その中で、今、思い出しただけだとしても、覚えていてくれるのは、素直に嬉しいと思えた。
そして、そう思うことが出来た自分に少し驚いた。
耳に後輩の興奮を隠せない声が飛び込んできて、折原がなにか技を披露したらしいことがうかがえた。もっと見とけよ、盗めよ、と思ってしまうくらいには、俺はサッカーが好きだし、この学校が好きだったらしい。
「でもな、……いや、だから、か。顔を見て少し安心したよ、佐野」
その言葉に、小さく息を呑む。なにを言えばいいのか、分からなかった。
「悪い顔じゃない。とびきり良い顔でもないかもしれないが、悪い顔じゃない」
分からなかったから、曖昧に口元に笑みを浮かべることしかできなかった。
「これから、いくつもの選択肢があって、数えきれない未来があるんだ、おまえにも」
そうなのだろうか、とそっと顔を伏せる。そうなると自ずと視線に入ってくるのは、グラウンドで。
あのころと変わらない。でも、もうあのころとは違う。
きっと監督に比べたら、選択肢はあるのだろうと思う。
まだ自分は大人じゃない。大人じゃないということは、制限された自由の中にいると言うことだ。
けれど、掴めなくなるものが年々増えていくことも、知っている。諦めることも、知っていく。
――折原は、どうなんだろうな。
無数の選択肢があると、自分が信じてやまない後輩の笑顔は、いつも屈託がない。
ときたま苦しそうに無理して笑ってみせるのは、いつだって自分が傷つけた時なのだ。
久しぶりに会う監督は、昔の面影そのままだった。
と言ったら、「たった三年で老けたらかなわん」とぼやかれて、それはそうだと笑ってしまった。
あのころなら、こんな風に話せなかったかもしれないが、今は違う。
そう言う意味では、俺も少しは大人になったんだろう。
視界の先では、折原が楽しそうに後輩たちを前に何か話していた。
特別なことを話さなくたって、彼らにとって折原は間違いなくヒーローそのものだ。現役Jリーガー。最年少日本代表。稀代のエースストライカー。
あいつが持っている肩書は果して片手で足りるだろうか、と考えて、いやでも、と思い直す。
そんな肩書がなくても、なぜか昔から折原は人を引き付ける。
「佐野は、どうだ」
「どうって、別にちゃんと大学生してますよ。真面目に」
「そうか」
グラウンドのフェンスの傍。設置されているベンチにもたれ掛るように腰を下ろしたまま応じる。
中等部と高等部では、監督は異なっていたから、この人の指導を直接受けたのは二年ほどの間だった。
理不尽なことを言うでもなく、依怙贔屓をすることもない。
さまざまな指導者を見てきたが、この人に巡り合えたことは、幸運な部類だったんだろうと分かっている。
中途半端に、逃げ出してしまったけれど。
「そうか」
もう一度、繰り返した監督が、唇に微笑を刻んだのが気配で知った。
「こんなことを言うのは、酷かもしれんが、怪我で駄目になった選手を、何人も見てきた。だが、慣れるものじゃないな。そのたびに、どうにもならなかったのかとも悔やむ」
「俺は、……」
「もちろん、いろんな場合があるがな。それと同時に、これからの長い先をどう歩んでいくのかと、老婆心ながら心配もする。――おまえは、ずっとこれ一筋だったしな、タイミングもおまえにとって辛いものだったとも」
俺が辞めてからも、この人は何人もの卵を育てているんだろう。
その中で、今、思い出しただけだとしても、覚えていてくれるのは、素直に嬉しいと思えた。
そして、そう思うことが出来た自分に少し驚いた。
耳に後輩の興奮を隠せない声が飛び込んできて、折原がなにか技を披露したらしいことがうかがえた。もっと見とけよ、盗めよ、と思ってしまうくらいには、俺はサッカーが好きだし、この学校が好きだったらしい。
「でもな、……いや、だから、か。顔を見て少し安心したよ、佐野」
その言葉に、小さく息を呑む。なにを言えばいいのか、分からなかった。
「悪い顔じゃない。とびきり良い顔でもないかもしれないが、悪い顔じゃない」
分からなかったから、曖昧に口元に笑みを浮かべることしかできなかった。
「これから、いくつもの選択肢があって、数えきれない未来があるんだ、おまえにも」
そうなのだろうか、とそっと顔を伏せる。そうなると自ずと視線に入ってくるのは、グラウンドで。
あのころと変わらない。でも、もうあのころとは違う。
きっと監督に比べたら、選択肢はあるのだろうと思う。
まだ自分は大人じゃない。大人じゃないということは、制限された自由の中にいると言うことだ。
けれど、掴めなくなるものが年々増えていくことも、知っている。諦めることも、知っていく。
――折原は、どうなんだろうな。
無数の選択肢があると、自分が信じてやまない後輩の笑顔は、いつも屈託がない。
ときたま苦しそうに無理して笑ってみせるのは、いつだって自分が傷つけた時なのだ。
1
お気に入りに追加
230
あなたにおすすめの小説
バイバイ、セフレ。
月岡夜宵
BL
『さよなら、君との関係性。今日でお別れセックスフレンド』
尚紀は、好きな人である紫に散々な嘘までついて抱かれ、お金を払ってでもセフレ関係を繋ぎ止めていた。だが彼に本命がいると知ってしまい、円満に別れようとする。ところが、決意を新たにした矢先、とんでもない事態に発展してしまい――なんと自分から突き放すことに!? 素直になれない尚紀を置きざりに事態はどんどん劇化し、最高潮に達する時、やがて一つの結実となる。
前知らせ)
・舞台は現代日本っぽい架空の国。
・人気者攻め(非童貞)×日陰者受け(処女)。
振られた腹いせに別の男と付き合ったらそいつに本気になってしまった話
雨宮里玖
BL
「好きな人が出来たから別れたい」と恋人の翔に突然言われてしまった諒平。
諒平は別れたくないと引き止めようとするが翔は諒平に最初で最後のキスをした後、去ってしまった。
実は翔には諒平に隠している事実があり——。
諒平(20)攻め。大学生。
翔(20) 受け。大学生。
慶介(21)翔と同じサークルの友人。
男とラブホに入ろうとしてるのがわんこ属性の親友に見つかった件
水瀬かずか
BL
一夜限りの相手とホテルに入ろうとしていたら、後からきた男女がケンカを始め、その場でその男はふられた。
殴られてこっち向いた男と、うっかりそれをじっと見ていた俺の目が合った。
それは、ずっと好きだけど、忘れなきゃと思っていた親友だった。
俺は親友に、ゲイだと、バレてしまった。
イラストは、すぎちよさまからいただきました。
初夜の翌朝失踪する受けの話
春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…?
タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。
歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け
氷の騎士団長様の悪妻とかイヤなので離婚しようと思います
黄金
BL
目が覚めたら、ここは読んでたBL漫画の世界。冷静冷淡な氷の騎士団長様の妻になっていた。しかもその役は名前も出ない悪妻!
だったら離婚したい!
ユンネの野望は離婚、漫画の主人公を見たい、という二つの事。
お供に老侍従ソマルデを伴って、主人公がいる王宮に向かうのだった。
本編61話まで
番外編 なんか長くなってます。お付き合い下されば幸いです。
※細目キャラが好きなので書いてます。
多くの方に読んでいただき嬉しいです。
コメント、お気に入り、しおり、イイねを沢山有難うございます。
出戻り勇者の求婚
木原あざみ
BL
「ただいま、師匠。俺と結婚してください」
五年前、見事魔王を打ち倒し、ニホンに戻ったはずの勇者が、なぜか再びエリアスの前に現れた。
こちらの都合で勝手に召喚された、かわいそうな子ども。黒い髪に黒い瞳の伝説の勇者。魔王の討伐が終わったのだから、せめて元の世界で幸せになってほしい。そう願ってニホンに送り返した勇者に求婚目的で出戻られ、「??」となっている受けの話です。
太陽みたいに明るい(けど、ちょっと粘着質な)元勇者×人生休憩中の元エリート魔術師。
なにもかも討伐済みの平和になった世界なので、魔法も剣もほとんど出てきません。ファンタジー世界を舞台にした再生譚のようななにかです。
すてきな後宮暮らし
トウ子
BL
後宮は素敵だ。
安全で、一日三食で、毎日入浴できる。しかも大好きな王様が頭を撫でてくれる。最高!
「ははは。ならば、どこにも行くな」
でもここは奥さんのお部屋でしょ?奥さんが来たら、僕はどこかに行かなきゃ。
「お前の成長を待っているだけさ」
意味がわからないよ、王様。
Twitter企画『 #2020男子後宮BL 』参加作品でした。
※ムーンライトノベルズにも掲載
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる