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第四話
24.
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「放っとけよ、そんなもん。それでおまえが部活停止とかアホ臭すぎんだろ」
「っ、先輩は!」
弾かれたように顔を上げた折原は、怒っていると言うよりかは苦しそうだった。
「先輩は……」
「折原。おまえ、まさかとは思うけどな。俺を庇ったとか言いやがってみろ。蹴るぞ」
「……」
「そこで黙んなよ、おまえ」
呆れたと言わんばかりの溜息を吐いてしまったが、でもしょうがないだろう。苛々し出した自分を自覚して、駄目だなと思った。駄目だ。
「あのな、折原」
「サッカー好きですよ、俺」
俺が言おうとしたものを察知したのか、遮る様に折原が言い切った。
「でも、こういう馬鹿みたいなの、俺、本当嫌いなんスよ。意味がない」
「おまえだってなかったとは言わないだろ、全部相手にしてきてたのか、それとも」
いくら突出した才能を持っていたとしても、今まで一度もそんなことがなかったなんてあるはずがない。
中途半端に出た杭である俺ほど多くはなかったかもしれないが。
「そうじゃないけど。でも、あいつら……」
あいつら、と折原が心底嫌そうに吐き捨てた同級のへらへらとした顔が浮かんで消えた。
折原が何も言わないのを良いことに、「何もしていないのに折原が急に手を出した」ってほざいてたな。監督もコーチもそれを鵜呑みにはさすがにしていなかったけれど。
「殴る蹴るだけが暴力じゃないって。誰にも言えないようにするやりかたもあるって」
「あー……うん、そうか」
「俺は分かりたくもなかったけど、でも、すっげぇ気持ち悪くて!」
「だろうな。俺も今聞いて正直気持ち悪かったわ」
「違う、先輩にそう言うの、なんか、すげぇやだ。俺がやだ」
駄々っ子みたいに「いやだ」と口にして、折原が俺の手を掴んだ。黒い瞳に映り込んだ自分の顔が揺れていると思った瞬間、音が消えた。
遠くで聞こえていた部活を終えた寮生の話し声だとか、生活音だとかが、全部。
「なぁ、折原」
ベッドの上に膝を乗り上げて、折原の眼を見つめ返す。意志の強いまっすぐな目が俺は好きだったけれど、嫌いだったし、眩しかった。
相反する感情がこのとき臨界点に達そうとしていたのかもしれない。
昏く狭い二段ベッドの下段は、狭い。額が触れ合いそうな距離だった。
捕まれていなかった方の手を伸ばして、頬に触れる。まだ柔らかさの残る子どもの肌だ。
「あいつらが言ってたのは、こういうことだろ?」
瞬きが触れ合いそうなほど、距離がなかった。太陽の匂いがすると思っていた髪が鼻先をくすぐる。
「なぁ」
唇が微かに開いていた。それが何を紡ごうとしていたのかなんて、知らない。手を掴んでいた折原の指先がゆっくりと落ちた。下肢にそっと手を這わす。
「なぁ、折原。――気持ち、悪い?」
その衝動がなんだったのか、俺は今でも答えを出せないでいる。
サッカーが好きだと屈託なく笑う後輩の才能が眩しかった。好きだったけれど羨ましかったしどこかでねたんでいたのも、事実だった。
――この時の俺は、折原を引きずり下ろしたかったのだろうか。
地の底まで。俺と同じところまで。
「先、輩」
ざらりとした欲望の乗った声だった。吐息が耳朶にかかる生暖かい感覚に、不意に頭が冷えたのを今でも鮮明に覚えている。
誤魔化すように折原にとってつけたフォローを投げて、冗談に昇華した、はずだった。
けれど――。
……だから、俺は折原に対して負い目がずっとあるのかもしれない。
まだ幼かった折原を挑発したのは俺で、きっかけを作ったのは間違いなくこの時の俺だ。
つまり、刷り込みをした張本人も、俺だ。
だとしたら、「それは刷り込みだ」「勘違いだ」と告げるのは、ある種、俺の義務なのかもしれなかった。
「終わらせないといけない」そう思う理由は、これで十分だろう。
言い聞かせるように、そう念じていた。
だから、これ以上は考えたくはない。なんでこの時、そんな行動に出ようとしたかだなんて、あの事態を知っている富原が俺が折原のことを好きだとなんで思っているのかだなんて。
「っ、先輩は!」
弾かれたように顔を上げた折原は、怒っていると言うよりかは苦しそうだった。
「先輩は……」
「折原。おまえ、まさかとは思うけどな。俺を庇ったとか言いやがってみろ。蹴るぞ」
「……」
「そこで黙んなよ、おまえ」
呆れたと言わんばかりの溜息を吐いてしまったが、でもしょうがないだろう。苛々し出した自分を自覚して、駄目だなと思った。駄目だ。
「あのな、折原」
「サッカー好きですよ、俺」
俺が言おうとしたものを察知したのか、遮る様に折原が言い切った。
「でも、こういう馬鹿みたいなの、俺、本当嫌いなんスよ。意味がない」
「おまえだってなかったとは言わないだろ、全部相手にしてきてたのか、それとも」
いくら突出した才能を持っていたとしても、今まで一度もそんなことがなかったなんてあるはずがない。
中途半端に出た杭である俺ほど多くはなかったかもしれないが。
「そうじゃないけど。でも、あいつら……」
あいつら、と折原が心底嫌そうに吐き捨てた同級のへらへらとした顔が浮かんで消えた。
折原が何も言わないのを良いことに、「何もしていないのに折原が急に手を出した」ってほざいてたな。監督もコーチもそれを鵜呑みにはさすがにしていなかったけれど。
「殴る蹴るだけが暴力じゃないって。誰にも言えないようにするやりかたもあるって」
「あー……うん、そうか」
「俺は分かりたくもなかったけど、でも、すっげぇ気持ち悪くて!」
「だろうな。俺も今聞いて正直気持ち悪かったわ」
「違う、先輩にそう言うの、なんか、すげぇやだ。俺がやだ」
駄々っ子みたいに「いやだ」と口にして、折原が俺の手を掴んだ。黒い瞳に映り込んだ自分の顔が揺れていると思った瞬間、音が消えた。
遠くで聞こえていた部活を終えた寮生の話し声だとか、生活音だとかが、全部。
「なぁ、折原」
ベッドの上に膝を乗り上げて、折原の眼を見つめ返す。意志の強いまっすぐな目が俺は好きだったけれど、嫌いだったし、眩しかった。
相反する感情がこのとき臨界点に達そうとしていたのかもしれない。
昏く狭い二段ベッドの下段は、狭い。額が触れ合いそうな距離だった。
捕まれていなかった方の手を伸ばして、頬に触れる。まだ柔らかさの残る子どもの肌だ。
「あいつらが言ってたのは、こういうことだろ?」
瞬きが触れ合いそうなほど、距離がなかった。太陽の匂いがすると思っていた髪が鼻先をくすぐる。
「なぁ」
唇が微かに開いていた。それが何を紡ごうとしていたのかなんて、知らない。手を掴んでいた折原の指先がゆっくりと落ちた。下肢にそっと手を這わす。
「なぁ、折原。――気持ち、悪い?」
その衝動がなんだったのか、俺は今でも答えを出せないでいる。
サッカーが好きだと屈託なく笑う後輩の才能が眩しかった。好きだったけれど羨ましかったしどこかでねたんでいたのも、事実だった。
――この時の俺は、折原を引きずり下ろしたかったのだろうか。
地の底まで。俺と同じところまで。
「先、輩」
ざらりとした欲望の乗った声だった。吐息が耳朶にかかる生暖かい感覚に、不意に頭が冷えたのを今でも鮮明に覚えている。
誤魔化すように折原にとってつけたフォローを投げて、冗談に昇華した、はずだった。
けれど――。
……だから、俺は折原に対して負い目がずっとあるのかもしれない。
まだ幼かった折原を挑発したのは俺で、きっかけを作ったのは間違いなくこの時の俺だ。
つまり、刷り込みをした張本人も、俺だ。
だとしたら、「それは刷り込みだ」「勘違いだ」と告げるのは、ある種、俺の義務なのかもしれなかった。
「終わらせないといけない」そう思う理由は、これで十分だろう。
言い聞かせるように、そう念じていた。
だから、これ以上は考えたくはない。なんでこの時、そんな行動に出ようとしたかだなんて、あの事態を知っている富原が俺が折原のことを好きだとなんで思っているのかだなんて。
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