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第三話
16.
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玄関を開けて迎え入れると、夏の熱気が一緒に入りこんできた。
暑かったと騒ぎながらやってきた庄司が、何の遠慮もなくフローリングに大の字に転がった。180近い図体で寝転がられると狭苦しさに拍車がかかる。
邪魔だなとは思ったが、そのうち起きるだろと、
「で、なんで来たの」
ひとまず当座の疑問を投げかける。俺としては当たり前の反応だったのだが、庄司は気にくわなかったらしい。「せっかく来たのにひどい、佐野は冷たい」と面倒くさい拗ね方を披露し出した。
「別に冷たくねぇよ、ふつうに疑問だろ」
「言い方の問題だろー、おまえ、あれだろ。折原くんにもいっつもそんな感じなんだろ」
「……はぁ?」
なんでそこで、そいつの名前が出てくるんだ。
声のトーンが落ちた俺にお構いなしに、庄司がよいしょと暢気な掛け声を発しながら身を起こした。そして今度はローテーブルに上半身を預ける。
その顔に浮かんでいるのは、にやにやとしか形容できない類の笑顔だった。
「栞が佐野は折原くんに冷たいって嘆いてたから」
「なんだ、おまえら仲良くやってんだ」
「その切り替えし、ないわー。まぁいいけど」
そもそもの唐突な問いかけの方がないわと言ってやりたい。
「やー、まぁ、なんつうか良いように使われてるっつうか。だから俺、今日、佐野係なんだよ」
「はぁ? 俺係ってなんだよ、それ」
「なんやかんや言い訳して当日ドタキャンしかねない佐野くんを、スタジアムまでお連れする係を栞さんから任命されたんですが」
どうなんだと言わんばかりの顔をされて、俺は「あー……」と気の抜けた声を知らず出してしまっていた。
そうか。
だから、あんな夢を見たのか、俺は。
今日、なんだな。
昔、何度も一緒にテレビに映る日本代表を見た。折原と二人で、と言う意味じゃない。寮のテレビで、チームメイトとだ。
いつかあんな風に出場するんだろうか、と。そんな夢みたいなことを語って。けれどこのなかの一人くらい、いくかもしれないよな、なんて。
俺は、だとしたらそれは折原だろうと漠然と信じていた。
だけれど、こんなに早く、劇的なデビューを飾るとまでは、想像していなかったのだけれど。
まだ麦茶あったかなと、冷蔵庫を開ける。寮にいた頃は、寮母さんがすべてをしてくれていた。実家にいた頃は母親が。一人暮らしをするようになって、家事の知識を身に着けだした。
これも時の流れだと言うのなら、そうなのだろう。
揃いのグラスなんてないから、適当なマグを探し出して、庄司の分と合わせて注いだ。
どうぞ、と机の上に置いてしまうと、何もすることが亡くなってしまった。
「でもさ、おまえ、ほっとしただろ」
「なにが」
「俺が来て」
訳知り顔で笑われて、どことはなしに感情を逆なでられる。俺は、まだあいつ以外にこの手の話を振られたくないと、思っているのだろうか。
「だってさ、これでもう理由つけなくても、今日の試合見にいけんじゃん」
茶化す口調なのに、そこに見え隠れする本音に、何も言えなくなってしまった。
そもそもなんで俺が本当は行きたいと思っているのが前提なんだと、言いたい気がしないでもない。
そうじゃない、と俺は思っている。けれど栞にも庄司にも、そう見えているのか。
だとしたら、理由なんて聞きたくない。それは間違いなく、藪蛇になる。
「栞も聞いたらしいけどさぁ、そんな複雑なもんなわけ? 活躍してる後輩見るの」
「そういうんじゃねぇけど」
コンプレックスを全く刺激されないと言えば、それはそれで嘘になるのだろうけれども。
俺は折原が成功するのを願っていたし、信じていた。これも本当のはずだ。
ふぅんと納得していないように呟くのに、それでもこの話題は終わりにしたいと告げようとした口を開きかけた時、庄司とばちりと目が合った。
「ぶっちゃけさぁ、どうなの。深山って寮だろ、確か。なんかあった?」
なんかあった?
その言葉の意味するところを悟った瞬間、血の気が引いたのが自分でも分かった。
それでもこれは絶対に否定しないといけないことだった。
俺が死んでも見つからないように、誰の目にも触れないように蓋に鍵をかけて厳重に隠した、秘密だった。
「……なんかって、なんだよ」
「だからなんか、だよ。掘られかけたとか襲われたとか」
あるわけないだろそんなもんと。反論するよりも、続けざまに庄司が言葉を紡ぐ方が早かった。
「俺も高校寮だったから、分かるところあるし。別にあるじゃん。抜き合いくらいなら結構当たり前っつうか、みんな溜まってっし、けど女なんて連れ込めねぇしさ」
確かにあの一種独特の閉塞された空間は、経験した人間にしか分からないものがある。普通だったら有り得ないことが当たり前になってしまう、共有感だとか。
けれどそれは、あくまでも隔離された思春期の箱だったからこそ、かろうじて許されていた「あの空間内だけでの普通」だ。
「それにどうせ同じするんなら、きれいな顔してる奴の方が良いってのも道理じゃん。別にホモって訳じゃないんだし。おまえ、わりときれいな顔してるからさ、おまえと折原がなんかあったんだって言われても、俺はあるかもなって思うよ」
「あってたまるか、そんなもん」
ぼろが出ないように短く吐き捨てる。それなのに、「ほんとに?」と疑わしそうに庄司が畳みかけてくる。
「おまえの寮がどんなだったかはしんねぇけど、少なくとも深山はそんな変な慣習なかったよ」
「……ふぅん?」
「っつうか、なんでそんな疑わしそうなの、そっちの方が俺は疑問だわ」
初夏のなま暖かい風が室内に吹き込んできて、カーテンが揺れた。
乗って届いた子どもの賑やかな声がいやに響く空間で、庄司が伸びをして視線をそのまま外に向ける。
そして「その方が納得できるなって思っただけ」と呟いた。
「納得って」
「だってそうだろ。ただの高校の先輩後輩ってのにしちゃ、おまえの怪我とか差し置いても、おまえは無駄に頑なだし、栞の話聞いたり、この間の折原くんを見た限り、あの子は変におまえに固執してる気がする」
暑かったと騒ぎながらやってきた庄司が、何の遠慮もなくフローリングに大の字に転がった。180近い図体で寝転がられると狭苦しさに拍車がかかる。
邪魔だなとは思ったが、そのうち起きるだろと、
「で、なんで来たの」
ひとまず当座の疑問を投げかける。俺としては当たり前の反応だったのだが、庄司は気にくわなかったらしい。「せっかく来たのにひどい、佐野は冷たい」と面倒くさい拗ね方を披露し出した。
「別に冷たくねぇよ、ふつうに疑問だろ」
「言い方の問題だろー、おまえ、あれだろ。折原くんにもいっつもそんな感じなんだろ」
「……はぁ?」
なんでそこで、そいつの名前が出てくるんだ。
声のトーンが落ちた俺にお構いなしに、庄司がよいしょと暢気な掛け声を発しながら身を起こした。そして今度はローテーブルに上半身を預ける。
その顔に浮かんでいるのは、にやにやとしか形容できない類の笑顔だった。
「栞が佐野は折原くんに冷たいって嘆いてたから」
「なんだ、おまえら仲良くやってんだ」
「その切り替えし、ないわー。まぁいいけど」
そもそもの唐突な問いかけの方がないわと言ってやりたい。
「やー、まぁ、なんつうか良いように使われてるっつうか。だから俺、今日、佐野係なんだよ」
「はぁ? 俺係ってなんだよ、それ」
「なんやかんや言い訳して当日ドタキャンしかねない佐野くんを、スタジアムまでお連れする係を栞さんから任命されたんですが」
どうなんだと言わんばかりの顔をされて、俺は「あー……」と気の抜けた声を知らず出してしまっていた。
そうか。
だから、あんな夢を見たのか、俺は。
今日、なんだな。
昔、何度も一緒にテレビに映る日本代表を見た。折原と二人で、と言う意味じゃない。寮のテレビで、チームメイトとだ。
いつかあんな風に出場するんだろうか、と。そんな夢みたいなことを語って。けれどこのなかの一人くらい、いくかもしれないよな、なんて。
俺は、だとしたらそれは折原だろうと漠然と信じていた。
だけれど、こんなに早く、劇的なデビューを飾るとまでは、想像していなかったのだけれど。
まだ麦茶あったかなと、冷蔵庫を開ける。寮にいた頃は、寮母さんがすべてをしてくれていた。実家にいた頃は母親が。一人暮らしをするようになって、家事の知識を身に着けだした。
これも時の流れだと言うのなら、そうなのだろう。
揃いのグラスなんてないから、適当なマグを探し出して、庄司の分と合わせて注いだ。
どうぞ、と机の上に置いてしまうと、何もすることが亡くなってしまった。
「でもさ、おまえ、ほっとしただろ」
「なにが」
「俺が来て」
訳知り顔で笑われて、どことはなしに感情を逆なでられる。俺は、まだあいつ以外にこの手の話を振られたくないと、思っているのだろうか。
「だってさ、これでもう理由つけなくても、今日の試合見にいけんじゃん」
茶化す口調なのに、そこに見え隠れする本音に、何も言えなくなってしまった。
そもそもなんで俺が本当は行きたいと思っているのが前提なんだと、言いたい気がしないでもない。
そうじゃない、と俺は思っている。けれど栞にも庄司にも、そう見えているのか。
だとしたら、理由なんて聞きたくない。それは間違いなく、藪蛇になる。
「栞も聞いたらしいけどさぁ、そんな複雑なもんなわけ? 活躍してる後輩見るの」
「そういうんじゃねぇけど」
コンプレックスを全く刺激されないと言えば、それはそれで嘘になるのだろうけれども。
俺は折原が成功するのを願っていたし、信じていた。これも本当のはずだ。
ふぅんと納得していないように呟くのに、それでもこの話題は終わりにしたいと告げようとした口を開きかけた時、庄司とばちりと目が合った。
「ぶっちゃけさぁ、どうなの。深山って寮だろ、確か。なんかあった?」
なんかあった?
その言葉の意味するところを悟った瞬間、血の気が引いたのが自分でも分かった。
それでもこれは絶対に否定しないといけないことだった。
俺が死んでも見つからないように、誰の目にも触れないように蓋に鍵をかけて厳重に隠した、秘密だった。
「……なんかって、なんだよ」
「だからなんか、だよ。掘られかけたとか襲われたとか」
あるわけないだろそんなもんと。反論するよりも、続けざまに庄司が言葉を紡ぐ方が早かった。
「俺も高校寮だったから、分かるところあるし。別にあるじゃん。抜き合いくらいなら結構当たり前っつうか、みんな溜まってっし、けど女なんて連れ込めねぇしさ」
確かにあの一種独特の閉塞された空間は、経験した人間にしか分からないものがある。普通だったら有り得ないことが当たり前になってしまう、共有感だとか。
けれどそれは、あくまでも隔離された思春期の箱だったからこそ、かろうじて許されていた「あの空間内だけでの普通」だ。
「それにどうせ同じするんなら、きれいな顔してる奴の方が良いってのも道理じゃん。別にホモって訳じゃないんだし。おまえ、わりときれいな顔してるからさ、おまえと折原がなんかあったんだって言われても、俺はあるかもなって思うよ」
「あってたまるか、そんなもん」
ぼろが出ないように短く吐き捨てる。それなのに、「ほんとに?」と疑わしそうに庄司が畳みかけてくる。
「おまえの寮がどんなだったかはしんねぇけど、少なくとも深山はそんな変な慣習なかったよ」
「……ふぅん?」
「っつうか、なんでそんな疑わしそうなの、そっちの方が俺は疑問だわ」
初夏のなま暖かい風が室内に吹き込んできて、カーテンが揺れた。
乗って届いた子どもの賑やかな声がいやに響く空間で、庄司が伸びをして視線をそのまま外に向ける。
そして「その方が納得できるなって思っただけ」と呟いた。
「納得って」
「だってそうだろ。ただの高校の先輩後輩ってのにしちゃ、おまえの怪我とか差し置いても、おまえは無駄に頑なだし、栞の話聞いたり、この間の折原くんを見た限り、あの子は変におまえに固執してる気がする」
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