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6:番外編

9.魔法使いと弟子とそのあとのこと ⑦

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「そうか」

 弟子の気遣いを優先することにしたらしく、アシュレイが瞳を笑ませる。
 こういうところが、本当に甘いんだよな。そう思いつつも、テオバルドも柔らかな笑みを返した。アシュレイが自分に甘いのは、それこそ本当に昔からのことなのだ。


 興味のある本の名前を挙げながら、魔法書庫を見て回ってたアシュレイが、なにかを思い出したようにふっとほほえんだ。
 珍しい表情の変化に、頼まれた本を手渡しながら、ストレートに問いかける。

「どうかされましたか?」
「いや、エレノアが言っていたことを思い出したんだ。おまえが戻ってくると、率先して動いてくれるから助かる、と。よく手伝っているらしいな」
「それは、まぁ」

 母の手伝いとは心境はかなり違うのだが、アシュレイの言い方からすると、まったく同じものと思われている気がしてならない。
 苦笑いになりながらも、テオバルドは当たり障りのない理由を口にした。

「母もいい年なので」
「俺はそのいい年の母の先輩にあたるわけだが」
「……そうでしたね」

 母の先輩で、父の同級生。自分より遥かに長い時間を生きている人。わかっているはずなのに、ふたりでいると、この人の本当の年齢も、この人の生きてきた時間の長さも、不明瞭に感じてしまうことがある。子どもだと思ったことはない、ということとは別の次元の感情で。
 自分の願望なのかもしれない。
 次はなにを思ったのか、またひとつ苦笑のような笑みを浮かべたアシュレイが、受け取った本をぱらぱらと開いた。
 紙面に目を落としたまま、呟くように言う。静かな声だった。

「最近のおまえは、いやに煮詰まった顔をしているな」

 そんなことはありません、と否定することはさすがにできなかった。黙ったテオバルドに視線を向けることなく、アシュレイは続ける。

「なにか言いたいことがあるなら聞くが。どうかしたのか?」
「いえ」

 反射で首を振ったところで、テオバルドは口をつぐんだ。たぶん、本当にどうかしているのだろう、と思うだけの自覚はあった。
 それで、この人には理解のできない感情だろうな、ということも。この人は、みっともない妬心とは無縁の世界に生きている。そういった高潔なところにも憧れていたし、好きだった。
 でも、と思ってしまいそうになる屈託に蓋をし、どうにかほほえむ。

「そういうわけでもないのですが」

 数日前、森の家でも使った曖昧な否定だったが、アシュレイは頷いただけだった。

「なら、いいが」

 あっさりとした、きれいに線を引いた調子。また一枚、ぱらりとページを捲る音が響く。
 幼い子どもではないからこそ、こちらの意思を尊重して退いてくれたのだとわかっている。それなのに、蓋をしたはずの感情が顔を出しそうになるのだ。本当にみっともない。

 ……自分と同じように嫉妬してほしいなんて、言えるわけがないな。

 そもそも、場所が場所だ。そう思い、気持ちを切り替えようとした瞬間、かすかな物音が一般書庫のほうで聞こえた気がした。そうして、同じくらいかすかな同士の気配。

「師匠」
「なんだ?」

 ごく当然と振り仰いだアシュレイの頬に、テオバルドは手を伸ばした。瞳ににじむ困惑には気づかないふりで、言葉を重ねる。
 自分にしても、こんなふうに触れるつもりは数十秒前までなかったのだ。それは困惑もするだろうな、と思いながら。

「触ってもいいですか」
「……こんなところでか」
「あなたがいるとわかっていて、近づく同士はいませんよ」

 あなたに懸想している者でなければ、との後半は呑み込んで、テオバルドはもう一度ほほえんだ。この顔に、アシュレイが甘いことは知っている。
 不安に思うのは、自分がこの人の特別である理由が簡単に浮かぶからだ。
 親友の息子で、唯一の弟子。いかにもわかりやすく、納得の行く理由だ。けれど、それ以外のこの関係に彼が収まってくれた理由で、いかにもなものはなにもない。
 むしろ、初恋の相手の息子で、唯一弟子であるテオバルドの熱量に絆された末と言ってしまったほうが、誰でもきっと納得できる。
 それが嫌なのだ。隣にいる理由はただ自分であるからなのだと彼自身に証明してほしい。
 こんなことを考えていると知れば、そうでなくとも、それなりに彼が可愛がっているらしい同僚を不必要に傷つけようとしていると知れば、間違いなくアシュレイは怒るだろう。
 外す必要のなかった深緑のローブのフードを外し、淡い金色に指を伸ばす。美しい色彩だと、テオバルドは思う。
 自分のものとはまったく異なる繊細な金色も、宝石のような緑の瞳も。本当は、そのすべては自分のものだと世界中に主張したいくらいなのだ。
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