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5:エピローグ

127.幸せはきみのかたちをしている ⑩

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「あいかわらず、ここでまともなものを作っていらっしゃいませんよね」

 日が昇って寝所を出た途端――正確に言うと、居間の惨状を目の当たりにしてからではあるのだが――、そうテオバルドが小言を言い始めた。 
 たしかに、また少し没頭していたことがあったので、荒れていた自覚はある。
 だがしかし。
 昔から変わらない気に入りのソファに腰かけたまま、アシュレイはうんざりと溜息を吐いた。よほど気になったのか、テオバルドはストーブのあたりを片づけにかかっている。
 ひさしぶりにまとまった休暇が取れたというので、花祭りにかこつけて誘ったというのに。ゆっくりしよう、だとか、のんびりしよう、だとか、そういうふうな思考にならないのだろうか。

「おまえはこの家で小言しか言えないのか」
「小言ばかり言いたくなる生活を、あなたが送っているからこうなっているんです」

 子どものころの、小さい身体でぷりぷりと大人ぶった説教をしてくるテオバルドはかわいかったが、さすがに時と場合を考慮してもいいだろう。

 ……いや、まぁ、今もかわいくないわけではないが。

 むしろ、なにを言われたところで、かわいくないと思ったことは、ほとんど一度もアシュレイはない。

「腹になにか入れたいなら、実家の店に行けばいいだろう。連れて行ってやってもいいが」
「嫌です。今日は行きたくありません」
「なにが嫌なんだ」

 わからないことを言うやつだな、とぽつりと呟くと、片づけの手を止めてテオバルドが振り返った。気のせいか、恨みがましい顔をしている。

「あなたに言われたくありません。そもそもいつも引き篭もっていらっしゃるのですから、今日一日引き篭もったところで、なにも問題はないでしょう」
「……まぁ、問題はないが」

 大人になったテオバルドが慇懃なほどの敬語を使うときは、なにか一物を抱えているときだ。承知しているが、放っておけばそのうち素直に吐くことも、経験則で知っている。
 そのうちがいつになるかまでは定かでないものの、時間はあるのだから、急く話でもない。それ以上を呑み込むと、背を向けたテオバルドが片づけを再開した。
 切りの良いところまでやっておきたいのだろうと踏んで、すぐそばに積んでいた書物に手を伸ばす。

 ぱらりと続きのページを繰る。テオバルドが開けた窓から入り込む風は、薬草の匂いをはらんでいた。あと五日もすれば、エレノアがやってくることだろう。
 
 ――そういえば、調合を試させろだなんだのと言っていたな。

 どういった心境の変化かは知らないが、最近のエレノアはそんなことを言うようになった。家の中に入り込んであれやこれやと話をしては、適当に納得して帰っていく。
 イーサンに聞いたところによると、今までとは違う分野の研究に家でも精を出しているらしい。おまけに、イーサンにも相談をするようになったのだとか。
 もう一度勉強をするのは大変だと苦笑しながらも、イーサンはどこかうれしそうだった。

 ――あいつも、昔は薬草学の研究を好んでいたからな。

 その研究を通じて、イーサンはエレノアと親しくなったのだ。力が潰えても、知識がなくなることはない。あのころのことを思い出しても、心が痛むことはもうなかった。ただ純粋な懐かしさだけが胸にある。

 一度なくなったものが、あることにはならない。一部消失した自分の魔力が戻ることももうなければ、この姿が変わることもない。
 けれど、あるものでやっていく術を見つけることはできる。生きていくということは、きっとそういうことなのだろう。

 上げた視界に、大きくなったテオバルドの背中が入って、アシュレイはそっと緑の瞳を細めた。
 テオバルドが自分のためにちょこまかと動いているところを見ることが、昔からどうにも好きなのだ。
 


 近くの椅子を引く気配で、アシュレイは書物から目を上げた。すぐそばに座ったテオバルドの横顔は、まだどこか物言いたげで、しかたなく苦笑を堪える。

「もういいのか」
「昔から、あなたは放っておけばろくな食事もしないし、眠りもしない」

 なんの答えにもなっていないことを返されて、目を瞬かせる。その反応にも構わず、テオバルドは淡々と言い募った。

「だから、あなたは私がいないと駄目なんです」
「……おまえがいないあいだも、それなりの生活は維持できていたが」
「知っています」

 ついていきかねて首をひねったアシュレイに、むすりとそんな返事をする。大人になってから常備するようになった分別のあるそれではない、子どものような頑なない態度だった。
 これも一種の幼児返りというやつなのだろうか。本人に知られたら大いに拗ねかねないことを考えていると、テオバルドが顔つきを改めた。丸テーブルには、ぎゅっと握られた拳がある。
 緊張しているときにテオバルドがする仕草だと、アシュレイは知っている。

「でも、私がいないと駄目だと言ってください。あなたの隣に帰る理由がほしい」

 幼いころから変わらない、まっすぐな意思を灯す星の瞳。その瞳を見つめて、アシュレイは明確な答えを返した。

「愛している」

 あれほど言ったつもりなのに、なにをそんなに自信のないようなことを言うのだろうか。それとも、寝所の台詞は戯言と思う性質なのか。
 どちらかはわからないが、どちらとしても、しっかりと思い知らせてやらねばと思ったのだ。愛する者の責任として。
 
「それで十分な理由だと、俺は思うが」

 拳から力が抜けたことが、その表情から伝わってくる。その変化に安堵を覚えて、アシュレイは言葉を継いだ。

「だから、好きなときに戻ればいい。おまえに誓って、いつもここで待っている」

 

 フレグラントル王国、王都近くの緑美しい町グリットン。その外れの森には、偉大な大魔法使いが住んでいる。
 人嫌いの変人と称されていたはずの大魔法使いは、いつしか町に姿を見せるようになった。
 気の置けない友人と語らい、足しげく森の家に訪れる愛する相手を、愛を持って迎え。時には王都に出て、大魔法使いとしての責務を果たしながら、今日も幸せに暮らしている。
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