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4:魔法使いと弟子の永遠
117.星を言祝ぐ ⑥
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「きみの大事な弟子から頂戴した恨み言によると、例の試薬の完成はまだ当分先のことになるらしい」
「恨み言もなにも、あなたが無意味に急がせたからだろう」
「完成したとしても、きみのその――あえて呪いと呼ぼうか、を打ち消す効果があるのかどうかはわからない」
口を挟む隙もなく傍観していたテオバルドに、緑の大魔法使いがちらりとした一瞥を寄こした。
強い魔力の灯った瞳に半ば反射でドキリとする。けれど、その瞳はすぐにアシュレイへと逸れていった。淡々と緑の大魔法使いは語りかける。
「それでもきみは選ばないといけない」
窺ったアシュレイの横顔に、機嫌を損ねていた雰囲気はもう残されていなかった。感情を読むことのできない顔で、彼は、ただ彼の師匠を見ている。
「きみは先ほど彼の隣にいると言ったが、それは本当に可能なのか」
アシュレイはなにも言わない。
「自分を追い越し成長していく姿を見ることも辛かったろうが、これから先、老いることのないきみの隣で、彼は年を重ねていくことになるんだ。イーサンや、エレノアと同じようにね」
「……」
「その現実から逃げるために、ひとりで生きていこうとしていたのではないのか? 少し前に尋ねたときも、きみはなにも答えなかったろう」
そう思う気持ちは、誰よりも自分にはわかる。そう言っているふうにテオバルドには聞こえた気がした。
「師匠」
堪え切れず、呼びかける。この問答こそ、自分を試しているのではないか。そんな疑念もあったが、それ以上に見ていられなかったのだ。
握った手の冷たさに驚きながらも、切々とテオバルドは言い切った。
「俺はなにも構いません」
自分を見つめる瞳から感情を読むことは、やはりできなかった。もともと、はっきりとした喜怒哀楽の少ない人だ。とくに、怒や哀の感情は。
ましてや、緊張など。この人がするわけがないと思っていた。そのはずだったのに、握った指先の温度が、そんなわけはないだろうと如実にテオバルドに伝えてくる。
到底敵わない大魔法使いの師匠で、けれど、この人は自分と同じ人間だ。彼の師匠が言っていたとおり、思い悩むこともある、ふつうの人間。ようやく、心からそう思うことができた。
「あなたの苦しみを正確に理解することはできませんが、変わらないあなたの姿を気味が悪いなどと思ったこともありません。ただ、あなたがあなたとして生きていてくれたら、それでいいんです」
「……そうだな」
緑の瞳が、ふっと柔らかに笑む。
「おまえがただおまえであれば、それでいいのかもしれないな」
アシュレイが納得したときの声とわかったので、テオバルドはほっとした。かすかにほほえんだアシュレイが、緑の大魔法使いへと視線を戻した。
聞き馴染んだ凛とした声が、部屋に響く。
「師匠。私を育て、導いてくださったあなたに、今度こそ誓います。ともに年を重ねていくことはできずとも、それでもともに生きていく、と」
「きみは今、幸せか」
「もちろん。届かぬものと思っていた星にも指が触れましたから」
彼の師匠は、言葉の意をすぐ理解したようだった。いかにも愉快そうに目を細め、よろしい、と頷く。
「アシュリー、きみのその姿はきみの愛情の証明だ。その姿を誇りに思って、ともに生きていくといい」
「はい、師匠。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「そこは笑って礼を述べるところだろう。本当にいくつになっても手間のかかるかわいい弟子だ」
冗談めかしたふうに笑った緑の大魔法使いが、今度こそはっきりとこちらを見た。
「テオバルド・ノア」
「はい」
緊張して返事をしたテオバルドに、大魔法使いの瞳がふわりとほほえむ。厳しさだけではなく優しさのにじむそれは、色だけでなく、彼の弟子で、テオバルドの師匠である人のものによく似ていた。
「私の弟子をよろしく頼んだ。どうか、末永く幸せに」
言祝ぎとは、こういうものを言うんだ、と彼が言う。確認したアシュレイの横顔がなんとも言えずバツが悪そうだったので、ついついテオバルドは笑ってしまった。
「いくらなんでも、笑いすぎだろう」
イーサンとエレノアにも伝えてこよう、と緑の大魔法使いが部屋を出るやいなや、アシュレイが憮然とした声を出す。
すみません、と応じたものの、語尾がかすかに震えた自覚はあった。そのことに、アシュレイが気がつかないはずもない。
「テオバルド」
「……すみません。その、安心したもので、つい」
なにせ、この二日ほど生きた心地がしなかったのだ。そう告げると、今度はアシュレイが黙り込んだ。
「師匠」
ふいと視線まで逸らされてしまって、そっと呼びかける。
「師匠」
「だから、なんだ」
「顔を見せてください」
断られないと承知の上で、テオバルドはそう願った。その予想のとおり、かたちばかりの溜息ひとつでアシュレイの顔が上がる。
「こんなものを見て、なにが楽しいんだ」
「安心します」
打てば響く速さで応じて、その顔にはじめてテオバルドは手を伸ばした。
「あなたの瞳も、変わらぬ容姿も、呪いだと思ったことは、幼子のころから一度もありません」
「……そうだったな」
本当に変わり者だった、と。呆れと懐かしさが混じった調子でアシュレイが笑う。
「これからも、一番近くで見ていたい。ずっと、あなたのすぐそばで」
ともに生きると言ってくれたことが、本当にうれしかったのだ。
どんな宝石よりも美しく感じる緑の瞳にそう誓って、テオバルドは愛おしく唇に口づけた。
「愛しています、あなただけを永遠に。私の師匠」
「恨み言もなにも、あなたが無意味に急がせたからだろう」
「完成したとしても、きみのその――あえて呪いと呼ぼうか、を打ち消す効果があるのかどうかはわからない」
口を挟む隙もなく傍観していたテオバルドに、緑の大魔法使いがちらりとした一瞥を寄こした。
強い魔力の灯った瞳に半ば反射でドキリとする。けれど、その瞳はすぐにアシュレイへと逸れていった。淡々と緑の大魔法使いは語りかける。
「それでもきみは選ばないといけない」
窺ったアシュレイの横顔に、機嫌を損ねていた雰囲気はもう残されていなかった。感情を読むことのできない顔で、彼は、ただ彼の師匠を見ている。
「きみは先ほど彼の隣にいると言ったが、それは本当に可能なのか」
アシュレイはなにも言わない。
「自分を追い越し成長していく姿を見ることも辛かったろうが、これから先、老いることのないきみの隣で、彼は年を重ねていくことになるんだ。イーサンや、エレノアと同じようにね」
「……」
「その現実から逃げるために、ひとりで生きていこうとしていたのではないのか? 少し前に尋ねたときも、きみはなにも答えなかったろう」
そう思う気持ちは、誰よりも自分にはわかる。そう言っているふうにテオバルドには聞こえた気がした。
「師匠」
堪え切れず、呼びかける。この問答こそ、自分を試しているのではないか。そんな疑念もあったが、それ以上に見ていられなかったのだ。
握った手の冷たさに驚きながらも、切々とテオバルドは言い切った。
「俺はなにも構いません」
自分を見つめる瞳から感情を読むことは、やはりできなかった。もともと、はっきりとした喜怒哀楽の少ない人だ。とくに、怒や哀の感情は。
ましてや、緊張など。この人がするわけがないと思っていた。そのはずだったのに、握った指先の温度が、そんなわけはないだろうと如実にテオバルドに伝えてくる。
到底敵わない大魔法使いの師匠で、けれど、この人は自分と同じ人間だ。彼の師匠が言っていたとおり、思い悩むこともある、ふつうの人間。ようやく、心からそう思うことができた。
「あなたの苦しみを正確に理解することはできませんが、変わらないあなたの姿を気味が悪いなどと思ったこともありません。ただ、あなたがあなたとして生きていてくれたら、それでいいんです」
「……そうだな」
緑の瞳が、ふっと柔らかに笑む。
「おまえがただおまえであれば、それでいいのかもしれないな」
アシュレイが納得したときの声とわかったので、テオバルドはほっとした。かすかにほほえんだアシュレイが、緑の大魔法使いへと視線を戻した。
聞き馴染んだ凛とした声が、部屋に響く。
「師匠。私を育て、導いてくださったあなたに、今度こそ誓います。ともに年を重ねていくことはできずとも、それでもともに生きていく、と」
「きみは今、幸せか」
「もちろん。届かぬものと思っていた星にも指が触れましたから」
彼の師匠は、言葉の意をすぐ理解したようだった。いかにも愉快そうに目を細め、よろしい、と頷く。
「アシュリー、きみのその姿はきみの愛情の証明だ。その姿を誇りに思って、ともに生きていくといい」
「はい、師匠。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「そこは笑って礼を述べるところだろう。本当にいくつになっても手間のかかるかわいい弟子だ」
冗談めかしたふうに笑った緑の大魔法使いが、今度こそはっきりとこちらを見た。
「テオバルド・ノア」
「はい」
緊張して返事をしたテオバルドに、大魔法使いの瞳がふわりとほほえむ。厳しさだけではなく優しさのにじむそれは、色だけでなく、彼の弟子で、テオバルドの師匠である人のものによく似ていた。
「私の弟子をよろしく頼んだ。どうか、末永く幸せに」
言祝ぎとは、こういうものを言うんだ、と彼が言う。確認したアシュレイの横顔がなんとも言えずバツが悪そうだったので、ついついテオバルドは笑ってしまった。
「いくらなんでも、笑いすぎだろう」
イーサンとエレノアにも伝えてこよう、と緑の大魔法使いが部屋を出るやいなや、アシュレイが憮然とした声を出す。
すみません、と応じたものの、語尾がかすかに震えた自覚はあった。そのことに、アシュレイが気がつかないはずもない。
「テオバルド」
「……すみません。その、安心したもので、つい」
なにせ、この二日ほど生きた心地がしなかったのだ。そう告げると、今度はアシュレイが黙り込んだ。
「師匠」
ふいと視線まで逸らされてしまって、そっと呼びかける。
「師匠」
「だから、なんだ」
「顔を見せてください」
断られないと承知の上で、テオバルドはそう願った。その予想のとおり、かたちばかりの溜息ひとつでアシュレイの顔が上がる。
「こんなものを見て、なにが楽しいんだ」
「安心します」
打てば響く速さで応じて、その顔にはじめてテオバルドは手を伸ばした。
「あなたの瞳も、変わらぬ容姿も、呪いだと思ったことは、幼子のころから一度もありません」
「……そうだったな」
本当に変わり者だった、と。呆れと懐かしさが混じった調子でアシュレイが笑う。
「これからも、一番近くで見ていたい。ずっと、あなたのすぐそばで」
ともに生きると言ってくれたことが、本当にうれしかったのだ。
どんな宝石よりも美しく感じる緑の瞳にそう誓って、テオバルドは愛おしく唇に口づけた。
「愛しています、あなただけを永遠に。私の師匠」
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