不老の魔法使いと弟子の永遠

木原あざみ

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4:魔法使いと弟子の永遠

105.冬の最果て ⑦

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「どういうこと?」
「どういうこともなにも」

 こちらが本気で困惑しているとわかったのか、ジェイデンが声をひそめた。

「遠目からだったが、おまえから緑の光が出ているように見えた。だから、てっきりおまえだと」
「緑の光……」
「あれを見ればわかると思うが、とんでもない力だったぞ」

 目を焼かれそうだった、と続けたジェイデンの視線が、ちらりと魔獣に動く。それはそうだ。あれを一撃で倒した力だ。とんでもなかったはずだ。

「本当に、身に覚えはないのか」
「いや、……」

 呟いたきり、テオバルドは沈黙した。緑の光。その形容に、理屈ではないところで嫌な予感がしたのだ。
 そもそも、こんなとてつもつない力、一魔法使いのものではない。

 ――おまえなら、絶対に大丈夫だ。安心して行けばいい。

 遠征に出る前に訪れた森の家で、アシュレイはそう自分を見送ってくれた。あのときは、自分の感情でいっぱいいっぱいで、なにも気がつかなかった。
 けれど、おかしい。かつて幾度となく「絶対などという根拠のない言葉を使うな」と自分を指導したのはあの人だ。あの人自身、そんな言葉を使ったことはなかったはずだ。少なくとも、記憶にある限り、テオバルドは聞いたことがない。
 それなのに、なぜ。

 ――おまえに、限りない幸福があらんことを。

 それは、もうずっと昔に聞いた、師匠の優しい声だった。愛おしむように幼かった自分の前髪をわけて、額にキスを落とす。アシュレイの、おまじない。

「……まじない?」

 無意識にテオバルドはひとりごちた。
 そうだ。あれはまじないだ。母親が子どもに与える祈りとは桁の違う、大魔法使いの加護。どくん、どくんと自分の心臓がやたらと大きな音を立てている。

 ――魔法の力は無限に湧いてくるものではない。とくに大きな影響を与える魔法には、相応の対価が必要になる。そのことを忘れるな。

 なら、これの対価はなんだ。自分のいない場所で、ここまでの力を発動させる、対価は。

「帰る」

 唐突に宣言したテオバルドに、ジェイデンがぎょっとしてなにかを言っている。その隣でアイラもなにか言っているようだったが、ほとんど耳に入らなかった。
 帰らないといけない。確認しないといけない。任務中だとわかっていても、感情を抑えることはできなかった。持って生まれた魔力は、すべてこの国と民に捧げてもいい。けれど、この心は、心だけは自分のものだ。
 アシュレイは怒るかもしれない。でも、それでもいい。馬鹿な弟子だと怒ってくれるのなら、それで。

「帰るって、テオバルド。あなたどこに帰るのよ!」

 どこもなにも、自分の帰る場所は、あの人がいるところだけだ。そう応じる代わりに、帰らせてくれ、とテオバルドは繰り返した。
 アイラと顔を見合わせたジェイデンが、テオバルドの両肩を掴む。

「おまえがそこまで必死になるということは、あれは、おまえのお師匠の力なんだな」
「そうだ」

 その目を見つめて、はっきりと頷く。

「この国の宝である大魔法使いさまに、なにかあったかもしれないんだな」

 ジェイデンが練った建前だ。承知の上でもう一度頷くと、手を離したジェイデンがぽんと肩を叩いた。

「それで、きっと許可は出る。だから、あと少しだけ待っていろ」

 言うや否や、魔獣の見分の指揮を執る隊長のもとへ走っていく。逸る心を抑えて見守っていると、アイラがすぐ隣に立った。

「大丈夫」
「……アイラ」
「大丈夫よ、テオバルド。私たちが憧れる大魔法使いさまは、とてつもなく優しくて、とてつもなく強い方たちだもの。だから大丈夫よ」
「うん」

 そうだね、と頷く。そうするほかなかったからだ。けれど、テオバルドはあんな強力なまじないを知らない。それが成就した結果、どうなるのかも知らない。
 握りしめたままの指先に、そっと視線を落とす。時間が長く感じられてしかたがなかった。
 自分など足元にも及ばない強さを持つ人だと知っている。でも、あの人は、他人のために自分を賭けることができる人なのだ。

「テオバルド!」

 ジェイデンの声に、はっとして顔を上げる。

「大丈夫だ、行っていい」
「ありがとう! アイラもごめん、大丈夫だから」

 保証もなにもないままにそう告げて隊長に勝手を詫びると、テオバルドは馬に飛び乗った。
 一刻も早く、グリットンに戻りたかったのだ。アシュレイの顔を見て安心したかった。なにごともない、と。大袈裟だ、と。そう言ってほしかった。

 ――言っておけば、よかった。

 あの人は、大魔法使いだから。誰よりも強い人だから。自分より先になにかあるわけがないとテオバルドは信じていた。けれど、絶対なんて、あるわけがなかったのだ。
 何度も、何度も。ほかでもない師匠に言われていたことだったのに、自分はなにもわかっていなかった。
 懸命に馬を走らせながら、焦る心の半分でテオバルドは悔やんだ。

 こんなことになるのなら、もっと素直に、あなたのことが好きなのだと伝えたらよかった。

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