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4:魔法使いと弟子の永遠
98.幸福のかたち ⑤
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男親の反応は、この程度がふつうなのだろうか。よくわからないまま曖昧に頷けば、もうひとつをイーサンが尋ねた。
「寂しいか?」
静かに窺う星の瞳に、アシュレイは笑った。
「多少はな」
あたりまえの話だと思ったからだ。
かつて自分のそばにいた幼子が離れていってしまうことは寂しい。けれど、またそれも当然の話であり、師匠としては喜ぶべきことなのだ。
――ねぇ、アシュレイ。私、あなたにあの子を預けてよかったと思ってるのよ。あの子にはあなたが必要だった。イーサンは、あなたにあの子が必要だったと考えていたのかもしれないけれど。
イーサンはそんなことを考えてはいなかっただろうが、自分にあの子どもが必要だったことは、たしかであったのだろう。
認めてしまえば、不思議なほど心は穏やかだった。あとは、その日を迎える覚悟を貯えるだけでいいのだから。
「なぁ、アシュレイ。おまえは、今、幸せか」
「もちろんだ」
なぜ、そんなことを聞くのだろう。不思議に思いながらも、アシュレイは頷いた。
「おまえたちがいて、テオバルドがいる」
自分の隣にいなくても、本当に構わないのだ。ただ、この世界に存在して、ときたま自分の瞳に映るところで、幸せそうな姿を見せてくれたら、それだけで。
だから、と、正しく年を重ねたかつての想い人に向かって、アシュレイはほほえんだ。
「これ以上の幸福がどこにある」
二十年以上前、自分が下した決断は、やはりなにも間違ってはいなかった。自分を見つめていた眼鏡の奥の瞳が、静かにそっと伏せられる。
「……そうか」
「あぁ、そうだ。逆に聞くが、イーサン。おまえも今、幸せか?」
「あたりまえだ。愛すべき妻がいて、立派に育った息子がいて、おまえがいる。魔力が尽きようが、俺の人生は一片の悔いもなく幸せだ。今までも、これからも」
「そうか」
その答えに満足して、アシュレイは緑の瞳を笑ませた。
「それはそうと」
「なんだ?」
神妙な調子に、口元にグラスを運ぼうとしていた手を止めて、問い返す。
自分の店をちらりと見渡したイーサンが、心持ち潜めた声でアシュレイと呼びかけてきた。らしくない態度に、もう一度首を傾げる。
「おまえ、遠征についての心配はしていないと言い切っていたが、まさか――」
まさか、に続く言葉を耳が捉えることはなかった。あったはずの店のざわめきもなにもかもが切りはされたように遠い。
ただ、正確に研ぎ澄まされた神経が、すべて北の方角に向かっている。
「アシュレイ?」
自分の魔力が、ざわりと身体の中で蠢く。間違いない、これは、何年も前に自分がかけた、守護魔法だ。
――俺のすべてをかけて祝おう。おまえのこれからに、限りない幸福があらんことを。
――その代わり、おまえに降りかかる不幸のすべては、俺が貰い受けよう。
そう、守護をかけた。この世界のなによりも大切な存在だったから。自分がそばにおらずとも、守ってやることができるように。それが、自分にできる唯一であったから。
「おい、アシュ。アシュレイ?」
伸びてきた手のひらが肩を掴む。そのぬくもりを知覚した瞬間、意識を持って行かれそうになった。ここで意識を失ったら、もう目覚めないのではないかというような、圧倒的で暴力的な睡魔。
応えることができないまま、グラスをテーブルに置く。割りかねないと思ったからだ。そこが記憶の最後だった。
「寂しいか?」
静かに窺う星の瞳に、アシュレイは笑った。
「多少はな」
あたりまえの話だと思ったからだ。
かつて自分のそばにいた幼子が離れていってしまうことは寂しい。けれど、またそれも当然の話であり、師匠としては喜ぶべきことなのだ。
――ねぇ、アシュレイ。私、あなたにあの子を預けてよかったと思ってるのよ。あの子にはあなたが必要だった。イーサンは、あなたにあの子が必要だったと考えていたのかもしれないけれど。
イーサンはそんなことを考えてはいなかっただろうが、自分にあの子どもが必要だったことは、たしかであったのだろう。
認めてしまえば、不思議なほど心は穏やかだった。あとは、その日を迎える覚悟を貯えるだけでいいのだから。
「なぁ、アシュレイ。おまえは、今、幸せか」
「もちろんだ」
なぜ、そんなことを聞くのだろう。不思議に思いながらも、アシュレイは頷いた。
「おまえたちがいて、テオバルドがいる」
自分の隣にいなくても、本当に構わないのだ。ただ、この世界に存在して、ときたま自分の瞳に映るところで、幸せそうな姿を見せてくれたら、それだけで。
だから、と、正しく年を重ねたかつての想い人に向かって、アシュレイはほほえんだ。
「これ以上の幸福がどこにある」
二十年以上前、自分が下した決断は、やはりなにも間違ってはいなかった。自分を見つめていた眼鏡の奥の瞳が、静かにそっと伏せられる。
「……そうか」
「あぁ、そうだ。逆に聞くが、イーサン。おまえも今、幸せか?」
「あたりまえだ。愛すべき妻がいて、立派に育った息子がいて、おまえがいる。魔力が尽きようが、俺の人生は一片の悔いもなく幸せだ。今までも、これからも」
「そうか」
その答えに満足して、アシュレイは緑の瞳を笑ませた。
「それはそうと」
「なんだ?」
神妙な調子に、口元にグラスを運ぼうとしていた手を止めて、問い返す。
自分の店をちらりと見渡したイーサンが、心持ち潜めた声でアシュレイと呼びかけてきた。らしくない態度に、もう一度首を傾げる。
「おまえ、遠征についての心配はしていないと言い切っていたが、まさか――」
まさか、に続く言葉を耳が捉えることはなかった。あったはずの店のざわめきもなにもかもが切りはされたように遠い。
ただ、正確に研ぎ澄まされた神経が、すべて北の方角に向かっている。
「アシュレイ?」
自分の魔力が、ざわりと身体の中で蠢く。間違いない、これは、何年も前に自分がかけた、守護魔法だ。
――俺のすべてをかけて祝おう。おまえのこれからに、限りない幸福があらんことを。
――その代わり、おまえに降りかかる不幸のすべては、俺が貰い受けよう。
そう、守護をかけた。この世界のなによりも大切な存在だったから。自分がそばにおらずとも、守ってやることができるように。それが、自分にできる唯一であったから。
「おい、アシュ。アシュレイ?」
伸びてきた手のひらが肩を掴む。そのぬくもりを知覚した瞬間、意識を持って行かれそうになった。ここで意識を失ったら、もう目覚めないのではないかというような、圧倒的で暴力的な睡魔。
応えることができないまま、グラスをテーブルに置く。割りかねないと思ったからだ。そこが記憶の最後だった。
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