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4:魔法使いと弟子の永遠
81.終わらない夜を数える ③
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「ずっと昔、魔獣に怯える私を寝かしつけてくれたことがありましたね」
「今も怖いか?」
ぽつりと呟いたテオバルドに、同じ静かな調子でアシュレイが問い返した。あたりまえに、覚えていてくれたらしい。
「まさか。そんなことは言っていられませんよ。ご承知のとおり、魔獣の討伐は魔法を使う者の責務です」
怖いと言えば、また額にキスでも落としてくれるのだろうか。せんない想像をしながら、テオバルドは笑った。
「あなたがいたから、あの場所は平穏だったのでしょうね」
大魔法使いである自分の縄張りに踏み込んでくる魔獣はいない。だから心配することはない、と。あのころのこの人は言ってくれたけれど、それだけではない。
ただ、彼が、そばにさえいてくれたら、自分は安心することができたのだ。そんなふうに信じることができる人がいた自分は、幸福な子どもで、幸福な弟子だったのだろう。
「あなたとふたりで過ごした時間は、私にとって代えがたい幸せだったと、今もたまに思い出します」
たとえば、こんなふうに雷雨の音を聞いたときに。折に触れて思い出す。そうしてそのたびに、自分の根本はあの日々でできていると思い知るのだ。
「俺もそうだ」
窓の外をじっと見つめていた緑の瞳が、ふいに動いた。目が合う。
「テオバルド。おまえのことを、本当に神からの贈り物だと思っていた」
あのころと変わらない細い指が頬に触れる。アシュレイから手を伸ばされたのは、王都で再会して以来、はじめてのことだった。
「あなたの瞳は、変わらずきれいだ」
ひさしぶりに間近で見たせいか。あるいは、声と指の温度に煽られたのか。それとも、もっと単純に思慕があふれたのか。
理由は判然としなかった。けれど、気がついたときには、それはもうこぼれ落ちていた。
「どれほど私の世界が広がっても、この瞳ほど美しいものはありませんでした」
まるで口説き文句のようなことを言っていると呆れた。けれど、事実なのだ。どれほど美しいと称賛されるものを見ても、この人をかたちづくるもの以上に美しいと感じるものはひとつもなかった。少なくとも、テオバルドにとって。
その美しい緑の色彩が、ふっと愛おしそうにゆるむ。
「そんなことを言うのは、おまえだけだ」
アシュレイの指が、確かめるように輪郭を辿って、髪に触れる。テオバルドの髪を、誰よりも愛おしそうに「夜の色」と表現するのはアシュレイだけで、父とそっくりだと言うのもアシュレイだけだ。
そのことを、この人は知っているのだろうか。
「テオバルド」
幼いころから変わらない、優しい声が呼ぶ。
「テオ」
自分を映す緑の瞳から、一瞬たりとも視線を外せなくて、ただただ呑まれたように彼を見る。瞬きさえ惜しかった。
「今も怖いか?」
ぽつりと呟いたテオバルドに、同じ静かな調子でアシュレイが問い返した。あたりまえに、覚えていてくれたらしい。
「まさか。そんなことは言っていられませんよ。ご承知のとおり、魔獣の討伐は魔法を使う者の責務です」
怖いと言えば、また額にキスでも落としてくれるのだろうか。せんない想像をしながら、テオバルドは笑った。
「あなたがいたから、あの場所は平穏だったのでしょうね」
大魔法使いである自分の縄張りに踏み込んでくる魔獣はいない。だから心配することはない、と。あのころのこの人は言ってくれたけれど、それだけではない。
ただ、彼が、そばにさえいてくれたら、自分は安心することができたのだ。そんなふうに信じることができる人がいた自分は、幸福な子どもで、幸福な弟子だったのだろう。
「あなたとふたりで過ごした時間は、私にとって代えがたい幸せだったと、今もたまに思い出します」
たとえば、こんなふうに雷雨の音を聞いたときに。折に触れて思い出す。そうしてそのたびに、自分の根本はあの日々でできていると思い知るのだ。
「俺もそうだ」
窓の外をじっと見つめていた緑の瞳が、ふいに動いた。目が合う。
「テオバルド。おまえのことを、本当に神からの贈り物だと思っていた」
あのころと変わらない細い指が頬に触れる。アシュレイから手を伸ばされたのは、王都で再会して以来、はじめてのことだった。
「あなたの瞳は、変わらずきれいだ」
ひさしぶりに間近で見たせいか。あるいは、声と指の温度に煽られたのか。それとも、もっと単純に思慕があふれたのか。
理由は判然としなかった。けれど、気がついたときには、それはもうこぼれ落ちていた。
「どれほど私の世界が広がっても、この瞳ほど美しいものはありませんでした」
まるで口説き文句のようなことを言っていると呆れた。けれど、事実なのだ。どれほど美しいと称賛されるものを見ても、この人をかたちづくるもの以上に美しいと感じるものはひとつもなかった。少なくとも、テオバルドにとって。
その美しい緑の色彩が、ふっと愛おしそうにゆるむ。
「そんなことを言うのは、おまえだけだ」
アシュレイの指が、確かめるように輪郭を辿って、髪に触れる。テオバルドの髪を、誰よりも愛おしそうに「夜の色」と表現するのはアシュレイだけで、父とそっくりだと言うのもアシュレイだけだ。
そのことを、この人は知っているのだろうか。
「テオバルド」
幼いころから変わらない、優しい声が呼ぶ。
「テオ」
自分を映す緑の瞳から、一瞬たりとも視線を外せなくて、ただただ呑まれたように彼を見る。瞬きさえ惜しかった。
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