不老の魔法使いと弟子の永遠

木原あざみ

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4:魔法使いと弟子の永遠

78.青星 ④

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 イーサン・ノアは、あのころのアシュレイのすべてだった。だから、そんな彼を救うことができるなら、自分のなにを差し出してもいいと思った。
 鼓動を取り戻したイーサンの身体に覆いかぶさって、エレノアがよかったと泣いている。よかった。よかった。イーサンの命が戻った。生き返った。
 呆然自失に肩で息をしながら、アシュレイは心の底から安堵していた。よかった。成功したのだ。イーサンの命を取り戻すことに。これでイーサンは、自分のそばにこれからもいてくれる。彼がいない世界を生きていかないですむ。よかった。
 今になって思えば、ひどく独りよがりな安堵であったのだろう。イーサンのためでも、エレノアのためでも、なんでもない。アシュレイは、ただ自分がイーサンを失いたくなかったのだ。
 自分の名を呼ぶ鋭い声が響いたのは、ずるずると地面に倒れ込みそうになった瞬間だった。
 走り寄ってきた師匠は、アシュレイとエレノア、イーサンに目をやり、すべてを悟った顔をした。


 あのあと。なんでそんなことをした、と。赤子のころに拾われて以来はじめて、ルカに本気で怒鳴られた。
 大魔法使いの怒気で、ビリビリと空間が揺れる。なにを言うこともできなかった。エレノアはほとんど倒れそうになっていて、一瞥したルカがゆるりと首を振った。
 永遠のような沈黙のあとで、彼は尋ねた。もう怒りすらない、ただただ馬鹿な弟子を憐れむ調子で。 

 ――アシュレイ。おまえは自分がなにをしたのか本当に理解しているのか。

 理解している。理解しているから、自分のすべてだった男を、自分のすべてをかけて救ったのだ。間髪入れずに頷いたアシュレイに、ルカはひどく悲しい顔をした。

 ――これでおまえは「人」ではなくなったのだぞ。

 平等に時間を甘受し老いてゆくことが人であるのだとするならば、たしかに自分は十八の冬で人であることをやめたのであろう。そうしてアシュレイは「大魔法使い」となった。師匠と同じ、この大陸に五人しかいないであろう大魔法使いに。

 緑の大魔法使いと副学長でもあったザラ・ベイリーの取り成しで、アシュレイの行いは不問となった。
 イーサンは不慮の事故で死にかけたために魔力が枯渇したとされ、事実、目を覚ました本人もその説明を信じた。魔力は潰えたが在学は特別に許可をするとした決定を素直に喜び、卒業までの残り数ヶ月の日々をアシュレイの隣で変わらず過ごした。
 エレノアは禁術の使用を止めなかったことを不問とする代わりに、被験者となったイーサンの監督義務を負った。今に至るまで四半世紀近く、欠かさず彼女の月報告は上がり続けている。

 大魔法使いの資格を得たアシュレイは、この国のために適切に力を行使することを誓った。
 大魔法使いの弟子であったから得た温情と理解していたからだ。恩に報うためにも、せめてこれからは正しく生きようと決めた。大魔法使いとして、正しく、この国のために。
 もう、二十年以上前の、昔の話だ。
 その年月、自分はなにも悔いていないと心の底から思っていたのに。

 ――師匠。

 柔らかな、大人になる前の子どもの声。その声を、その笑顔を、時間を重ねる中で、世界で一番愛おしく感じるようになってしまった。
 学院に預け、自分がエンバレーに赴いたことは、正しく当然の選択であったが、その一方で、自分を追い越し成長するテオバルドから目を背けようとしていたのかもしれない。
 大魔法使いの名を冠すまでになったのに、こんなにも自分は弱かったのだろうか。

「師匠?」

 ふいに響いた声に、アシュレイは足を止めた。耳によく馴染む声。昔はもっと高かったが、今の落ち着いた声も、その延長線上にあるものだ。
 なにかに没頭すると、自分はすぐに周囲を忘れてしまう。師匠であったルカいわくの天性の才で、イーサンいわくの心配になる悪癖だ。
 けれど、この弟子の声だけは、どんなときでもアシュレイの中に届いて、思索の海から引き上げていく。こんなふうに。

「こんなところでなにを」

 黙ったまま見上げる。困惑したように星の瞳が瞬いた。

「ずぶ濡れですよ」

 呆れたようにも響く台詞で、雨が降っていたことに、アシュレイはようやく気がついた。差し向けられた傘の上で、雨粒が跳ねる音がした。
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