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4:魔法使いと弟子の永遠
76.青星 ②
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昼を過ぎたばかりの時間にもかかわらず、灰色の空のせいか、もう随分と街は暗い。
メインストリートを外れ路地をいくつか曲がったところで、アシュレイは足を止めた。懐かしい力の気配。遠目に眺めていると、建物を見上げていた老女が振り返った。
こちらを見とめた上品な顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。
「あら、アシュレイ。ひさしぶりね」
「ザラ」
呼びかけに応じて近づいたアシュレイは、小柄な彼女を見下ろし、かすかに首を傾げた。
魔法学院の書庫に引き籠っている彼女が王都にいることも珍しいが、落ち着いた色味の服装を好む彼女が臙脂のストールを纏っている。
「どうしたんだ、こんなところで。珍しいな」
「あなたともひさしぶりだけれど、ルカもひさしぶりに戻ったと聞いたから、会えないかと出てきてみたの」
これはね、あの人が北に発つ前に贈ってくれたものなの、と手袋をはめた指先で優しくストールを撫でるので、なるほど、と頷く。
ザラ・ベイリーは学院時代のアシュレイの恩師であるが、同時に師匠であるルカの昔馴染みでもあった。師匠のことを「ルカ」と呼ぶ人間を、アシュレイは自分以外には彼女しか知らない。
「出てきた理由はわかったが、戻ってきたのは夏だ」
「それはもちろん知っているけれど、だからこそ、そろそろ落ち着いたのではないかと思って」
あの人に会いたい人は多いでしょう、とさらりと続けたザラが、そこで少し眉を下げた。
「でも、あの人の家の場所がわからなくなってしまったの。嫌ねぇ、私も年かしら」
「学院の書庫にばかり閉じ籠っているからだろう。このあたりは似た建物も多い。送っていこう」
「あら、いいの?」
「ちょうど帰るところだったんだ。それに、あんたを放っておいたら、俺がルカに叱られる」
軽口に、ザラがほほえんだ。それならお願いしようかしら、と申し出を受けた彼女に、ごく自然と手を差し出してゆっくり歩き出す。
師匠の昔馴染みで、恩師。そうして、ほんの少しだけ母親のようでもあった存在。それが、アシュレイにとってのザラ・ベイリーだった。
寒くなってきたわねぇ、という他愛ない会話の糸口と同じ調子で、ザラが口を開いた。あいかわらずの、穏やかで上品な口調で。
「イーサンも変わりはないかしら。エレノアも」
「あぁ。ふたりとも元気にしている。イーサンは最近は腰が痛いとうるさいが」
「あら。だったら、エレノアに薬を煎じてもらわないと。あの子の煎じ薬はとてもよく効くもの。私もちょくちょくお世話になっているの」
ふふっとどこか少女のように、ザラが目を細める。
「そう、そう。テオバルド。あなたの弟子はとってもいい子ね」
その名前に、アシュレイもかすかに目元を笑ませた。自分の反応に、ザラはいっそううれしそうな顔をした。
「あの子たちの代で書庫にいる時間が一番長かったのは、まちがいなくテオバルドよ。本当に勤勉で、そして優秀」
「そうだろうな」
「あなたたちの秘密のことも、結局知ろうとしなかったわ。必要と判断すれば、あなたたちが教えてくれるだろうからって」
ちら、とザラの横顔に目を向ける。先ほどとまったく変わらない調子で、ザラは続けた。
「とてもいい子」
だからアシュレイも、同じ調子で、そうだな、と請け負った。「とてもいい子」であることに、疑いの余地はなかったからだ。あなたもね、と云十年前と変わらぬ台詞を返されると、苦笑いにしかならなかったけれど。
いつまでも子ども扱いをするなという顔を、テオバルドがすることがあるが、もしかすると、こんな気持ちなのかもしれない。
「あぁ、ザラ。ひさしぶりだね、あいかわらずきみはかわいらしい」
「嫌ねぇ、こんなおばあさんを捕まえて」
「そんなことはない。そのストールもよく似合っているよ。見せてくれてありがとう」
気恥ずかしそうにほほえんだザラの頬にキスをひとつ降らせると、寒いから先に中に入っておいで、とルカは彼女を室内に通した。そこでようやくこちらに緑の瞳が向く。
「アシュリー。ザラを送ってくれてありがとう。今日はきみも王都にいるのか」
「そのつもりだが」
「夜は、またお弟子と会うのかな。もし違うのなら、少し時間をくれないか」
にこりとほほえまれて、アシュレイは内心で首をひねった。わざわざ時間をくれと尋ねてくることも含めて珍しかったからだ。ひとたび興味が湧けば、相手の都合などお構いなしに突進していくというのに。
「……構わないが」
「それは、よかった。また夜に訪ねてきてくれるかい」
構わない、と繰り返したアシュレイに、ルカがもう一度ほほえんだ。
「じゃあ、よろしく頼んだよ」
その言葉を最後に、ぱたんと扉が閉まる。せっかくザラが訪ねてきているのに、今夜、か。師匠の頭が突飛であることは昔からだが、良い用件である気がしない。
溜息を呑み込むと、アシュレイは借家に向かって歩き出した。
メインストリートを外れ路地をいくつか曲がったところで、アシュレイは足を止めた。懐かしい力の気配。遠目に眺めていると、建物を見上げていた老女が振り返った。
こちらを見とめた上品な顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。
「あら、アシュレイ。ひさしぶりね」
「ザラ」
呼びかけに応じて近づいたアシュレイは、小柄な彼女を見下ろし、かすかに首を傾げた。
魔法学院の書庫に引き籠っている彼女が王都にいることも珍しいが、落ち着いた色味の服装を好む彼女が臙脂のストールを纏っている。
「どうしたんだ、こんなところで。珍しいな」
「あなたともひさしぶりだけれど、ルカもひさしぶりに戻ったと聞いたから、会えないかと出てきてみたの」
これはね、あの人が北に発つ前に贈ってくれたものなの、と手袋をはめた指先で優しくストールを撫でるので、なるほど、と頷く。
ザラ・ベイリーは学院時代のアシュレイの恩師であるが、同時に師匠であるルカの昔馴染みでもあった。師匠のことを「ルカ」と呼ぶ人間を、アシュレイは自分以外には彼女しか知らない。
「出てきた理由はわかったが、戻ってきたのは夏だ」
「それはもちろん知っているけれど、だからこそ、そろそろ落ち着いたのではないかと思って」
あの人に会いたい人は多いでしょう、とさらりと続けたザラが、そこで少し眉を下げた。
「でも、あの人の家の場所がわからなくなってしまったの。嫌ねぇ、私も年かしら」
「学院の書庫にばかり閉じ籠っているからだろう。このあたりは似た建物も多い。送っていこう」
「あら、いいの?」
「ちょうど帰るところだったんだ。それに、あんたを放っておいたら、俺がルカに叱られる」
軽口に、ザラがほほえんだ。それならお願いしようかしら、と申し出を受けた彼女に、ごく自然と手を差し出してゆっくり歩き出す。
師匠の昔馴染みで、恩師。そうして、ほんの少しだけ母親のようでもあった存在。それが、アシュレイにとってのザラ・ベイリーだった。
寒くなってきたわねぇ、という他愛ない会話の糸口と同じ調子で、ザラが口を開いた。あいかわらずの、穏やかで上品な口調で。
「イーサンも変わりはないかしら。エレノアも」
「あぁ。ふたりとも元気にしている。イーサンは最近は腰が痛いとうるさいが」
「あら。だったら、エレノアに薬を煎じてもらわないと。あの子の煎じ薬はとてもよく効くもの。私もちょくちょくお世話になっているの」
ふふっとどこか少女のように、ザラが目を細める。
「そう、そう。テオバルド。あなたの弟子はとってもいい子ね」
その名前に、アシュレイもかすかに目元を笑ませた。自分の反応に、ザラはいっそううれしそうな顔をした。
「あの子たちの代で書庫にいる時間が一番長かったのは、まちがいなくテオバルドよ。本当に勤勉で、そして優秀」
「そうだろうな」
「あなたたちの秘密のことも、結局知ろうとしなかったわ。必要と判断すれば、あなたたちが教えてくれるだろうからって」
ちら、とザラの横顔に目を向ける。先ほどとまったく変わらない調子で、ザラは続けた。
「とてもいい子」
だからアシュレイも、同じ調子で、そうだな、と請け負った。「とてもいい子」であることに、疑いの余地はなかったからだ。あなたもね、と云十年前と変わらぬ台詞を返されると、苦笑いにしかならなかったけれど。
いつまでも子ども扱いをするなという顔を、テオバルドがすることがあるが、もしかすると、こんな気持ちなのかもしれない。
「あぁ、ザラ。ひさしぶりだね、あいかわらずきみはかわいらしい」
「嫌ねぇ、こんなおばあさんを捕まえて」
「そんなことはない。そのストールもよく似合っているよ。見せてくれてありがとう」
気恥ずかしそうにほほえんだザラの頬にキスをひとつ降らせると、寒いから先に中に入っておいで、とルカは彼女を室内に通した。そこでようやくこちらに緑の瞳が向く。
「アシュリー。ザラを送ってくれてありがとう。今日はきみも王都にいるのか」
「そのつもりだが」
「夜は、またお弟子と会うのかな。もし違うのなら、少し時間をくれないか」
にこりとほほえまれて、アシュレイは内心で首をひねった。わざわざ時間をくれと尋ねてくることも含めて珍しかったからだ。ひとたび興味が湧けば、相手の都合などお構いなしに突進していくというのに。
「……構わないが」
「それは、よかった。また夜に訪ねてきてくれるかい」
構わない、と繰り返したアシュレイに、ルカがもう一度ほほえんだ。
「じゃあ、よろしく頼んだよ」
その言葉を最後に、ぱたんと扉が閉まる。せっかくザラが訪ねてきているのに、今夜、か。師匠の頭が突飛であることは昔からだが、良い用件である気がしない。
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