上 下
77 / 139
4:魔法使いと弟子の永遠

76.青星 ②

しおりを挟む
 昼を過ぎたばかりの時間にもかかわらず、灰色の空のせいか、もう随分と街は暗い。
 メインストリートを外れ路地をいくつか曲がったところで、アシュレイは足を止めた。懐かしい力の気配。遠目に眺めていると、建物を見上げていた老女が振り返った。
 こちらを見とめた上品な顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。

「あら、アシュレイ。ひさしぶりね」
「ザラ」

 呼びかけに応じて近づいたアシュレイは、小柄な彼女を見下ろし、かすかに首を傾げた。
 魔法学院の書庫に引き籠っている彼女が王都にいることも珍しいが、落ち着いた色味の服装を好む彼女が臙脂のストールを纏っている。

「どうしたんだ、こんなところで。珍しいな」
「あなたともひさしぶりだけれど、ルカもひさしぶりに戻ったと聞いたから、会えないかと出てきてみたの」

 これはね、あの人が北に発つ前に贈ってくれたものなの、と手袋をはめた指先で優しくストールを撫でるので、なるほど、と頷く。
 ザラ・ベイリーは学院時代のアシュレイの恩師であるが、同時に師匠であるルカの昔馴染みでもあった。師匠のことを「ルカ」と呼ぶ人間を、アシュレイは自分以外には彼女しか知らない。

「出てきた理由はわかったが、戻ってきたのは夏だ」
「それはもちろん知っているけれど、だからこそ、そろそろ落ち着いたのではないかと思って」

 あの人に会いたい人は多いでしょう、とさらりと続けたザラが、そこで少し眉を下げた。

「でも、あの人の家の場所がわからなくなってしまったの。嫌ねぇ、私も年かしら」
「学院の書庫にばかり閉じ籠っているからだろう。このあたりは似た建物も多い。送っていこう」
「あら、いいの?」
「ちょうど帰るところだったんだ。それに、あんたを放っておいたら、俺がルカに叱られる」

 軽口に、ザラがほほえんだ。それならお願いしようかしら、と申し出を受けた彼女に、ごく自然と手を差し出してゆっくり歩き出す。
 師匠の昔馴染みで、恩師。そうして、ほんの少しだけ母親のようでもあった存在。それが、アシュレイにとってのザラ・ベイリーだった。
 寒くなってきたわねぇ、という他愛ない会話の糸口と同じ調子で、ザラが口を開いた。あいかわらずの、穏やかで上品な口調で。

「イーサンも変わりはないかしら。エレノアも」
「あぁ。ふたりとも元気にしている。イーサンは最近は腰が痛いとうるさいが」
「あら。だったら、エレノアに薬を煎じてもらわないと。あの子の煎じ薬はとてもよく効くもの。私もちょくちょくお世話になっているの」

 ふふっとどこか少女のように、ザラが目を細める。

「そう、そう。テオバルド。あなたの弟子はとってもいい子ね」

 その名前に、アシュレイもかすかに目元を笑ませた。自分の反応に、ザラはいっそううれしそうな顔をした。

「あの子たちの代で書庫にいる時間が一番長かったのは、まちがいなくテオバルドよ。本当に勤勉で、そして優秀」
「そうだろうな」
「あなたたちの秘密のことも、結局知ろうとしなかったわ。必要と判断すれば、あなたたちが教えてくれるだろうからって」

 ちら、とザラの横顔に目を向ける。先ほどとまったく変わらない調子で、ザラは続けた。

「とてもいい子」
 
 だからアシュレイも、同じ調子で、そうだな、と請け負った。「とてもいい子」であることに、疑いの余地はなかったからだ。あなたもね、と云十年前と変わらぬ台詞を返されると、苦笑いにしかならなかったけれど。
 いつまでも子ども扱いをするなという顔を、テオバルドがすることがあるが、もしかすると、こんな気持ちなのかもしれない。


「あぁ、ザラ。ひさしぶりだね、あいかわらずきみはかわいらしい」
「嫌ねぇ、こんなおばあさんを捕まえて」
「そんなことはない。そのストールもよく似合っているよ。見せてくれてありがとう」

 気恥ずかしそうにほほえんだザラの頬にキスをひとつ降らせると、寒いから先に中に入っておいで、とルカは彼女を室内に通した。そこでようやくこちらに緑の瞳が向く。

「アシュリー。ザラを送ってくれてありがとう。今日はきみも王都にいるのか」
「そのつもりだが」
「夜は、またお弟子と会うのかな。もし違うのなら、少し時間をくれないか」

 にこりとほほえまれて、アシュレイは内心で首をひねった。わざわざ時間をくれと尋ねてくることも含めて珍しかったからだ。ひとたび興味が湧けば、相手の都合などお構いなしに突進していくというのに。
 
「……構わないが」
「それは、よかった。また夜に訪ねてきてくれるかい」

 構わない、と繰り返したアシュレイに、ルカがもう一度ほほえんだ。

「じゃあ、よろしく頼んだよ」

 その言葉を最後に、ぱたんと扉が閉まる。せっかくザラが訪ねてきているのに、今夜、か。師匠の頭が突飛であることは昔からだが、良い用件である気がしない。
 溜息を呑み込むと、アシュレイは借家に向かって歩き出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】白い森の奥深く

N2O
BL
命を助けられた男と、本当の姿を隠した少年の恋の話。 本編/番外編完結しました。 さらりと読めます。 表紙絵 ⇨ 其間 様 X(@sonoma_59)

出戻り勇者の求婚

木原あざみ
BL
「ただいま、師匠。俺と結婚してください」 五年前、見事魔王を打ち倒し、ニホンに戻ったはずの勇者が、なぜか再びエリアスの前に現れた。 こちらの都合で勝手に召喚された、かわいそうな子ども。黒い髪に黒い瞳の伝説の勇者。魔王の討伐が終わったのだから、せめて元の世界で幸せになってほしい。そう願ってニホンに送り返した勇者に求婚目的で出戻られ、「??」となっている受けの話です。 太陽みたいに明るい(けど、ちょっと粘着質な)元勇者×人生休憩中の元エリート魔術師。 なにもかも討伐済みの平和になった世界なので、魔法も剣もほとんど出てきません。ファンタジー世界を舞台にした再生譚のようななにかです。

辺境のご長寿魔法使いと世話焼きの弟子

志野まつこ
BL
250歳位なのに童顔で世捨て人な魔法使いと、そこに押しかけて来た天才の話。弟子を追い出そうとしては失敗する師匠だったがある春ようやく修行の日々が終わりを迎える。これでお役ご免だと思ったのに顔よしガタイよしの世話焼きで料理上手な弟子は卒業の夜、突如奇行に走った。 出会った時は弟子は子供でしたがすぐ育ちます。 ほのぼのとした残酷表現があります。他サイトにも掲載しています。

薬師の俺は、呪われた弟子の執着愛を今日もやり過ごす

ひなた
BL
薬師のクラウスは、弟子のテオドールとともに田舎でのんびり過ごしていた。 ある日、クラウスはテオドールに王立学院の入学を勧める。 混乱するテオドールに、クラウスは理由を語った。 ある出来事がきっかけで竜に呪われたテオドールは、番い(つがい)を探さなければならない。 不特定多数の人間と交流するには学院が最適だと説得するクラウス。 すると、テオドールが衝撃的な言葉を口にする。 「なら俺、学院に行かなくても大丈夫です。俺の番いは師匠だから」 弟子の一言がきっかけとなり、師弟関係が変わっていく。 弟子×師匠、R18は弟子が十八歳になってから。 ※つけます。 師匠も弟子も感情重め。 ムーンライトノベルズさんでも掲載中です。

チート魔王はつまらない。

碧月 晶
BL
お人好し真面目勇者×やる気皆無のチート魔王 ─────────── ~あらすじ~ 優秀過ぎて毎日をつまらなく生きてきた雨(アメ)は卒業を目前に控えた高校三年の冬、突然異世界に召喚された。 その世界は勇者、魔王、魔法、魔族に魔物やモンスターが普通に存在する異世界ファンタジーRPGっぽい要素が盛り沢山な世界だった。 そんな世界にやって来たアメは、実は自分は数十年前勇者に敗れた先代魔王の息子だと聞かされる。 しかし取りあえず魔王になってみたものの、アメのつまらない日常は変わらなかった。 そんな日々を送っていたある日、やって来た勇者がアメに言った言葉とは──? ─────────── 何だかんだで様々な事件(クエスト)をチートな魔王の力で(ちょいちょい腹黒もはさみながら)勇者と攻略していくお話(*´▽`*) 最終的にいちゃいちゃゴールデンコンビ?いやカップルにしたいなと思ってます( ´艸`) ※BLove様でも掲載中の作品です。 ※感想、質問大歓迎です!!

罰ゲームから始まる不毛な恋とその結末

すもも
BL
学校一のイケメン王子こと向坂秀星は俺のことが好きらしい。なんでそう思うかって、現在進行形で告白されているからだ。 「柿谷のこと好きだから、付き合ってほしいんだけど」 そうか、向坂は俺のことが好きなのか。 なら俺も、向坂のことを好きになってみたいと思った。 外面のいい腹黒?美形×無表情口下手平凡←誠実で一途な年下 罰ゲームの告白を本気にした受けと、自分の気持ちに素直になれない攻めとの長く不毛な恋のお話です。 ハッピーエンドで最終的には溺愛になります。

【完結】お嬢様の身代わりで冷酷公爵閣下とのお見合いに参加した僕だけど、公爵閣下は僕を離しません

八神紫音
BL
 やりたい放題のわがままお嬢様。そんなお嬢様の付き人……いや、下僕をしている僕は、毎日お嬢様に虐げられる日々。  そんなお嬢様のために、旦那様は王族である公爵閣下との縁談を持ってくるが、それは初めから叶わない縁談。それに気付いたプライドの高いお嬢様は、振られるくらいなら、と僕に女装をしてお嬢様の代わりを果たすよう命令を下す。

【完結】イケメン騎士が僕に救いを求めてきたので呪いをかけてあげました

及川奈津生
BL
気づいたら十四世紀のフランスに居た。百年戦争の真っ只中、どうやら僕は密偵と疑われているらしい。そんなわけない!と誤解をとこうと思ったら、僕を尋問する騎士が現代にいるはずの恋人にそっくりだった。全3話。 ※pome村さんがXで投稿された「#イラストを投げたら文字書きさんが引用rtでssを勝手に添えてくれる」向けに書いたものです。元イラストを表紙に設定しています。投稿元はこちら→https://x.com/pomemura_/status/1792159557269303476?t=pgeU3dApwW0DEeHzsGiHRg&s=19

処理中です...