42 / 139
2:魔法使いの弟子
41.あるひとつの終焉 ⑧
しおりを挟む
また、なにかに熱中しているのかもしれない。テオバルドは思考を切り替えた。いずれにせよ、明日グリットンに戻ればわかることだ。
戻ったら、話したいことはたくさんある。学院で学んだことも報告したいし、宮廷に勤めることも顔を見て伝えたい。杖のことも相談したい。それで――。
――世界が広がっても、俺の一番は師匠だったって言ったら、また花祭りで花を渡したいって言ったら、師匠はどんな顔をするのかな。
切り替えたつもりで、なにひとつ切り替わっていない思考に苦笑いになる。明日が楽しみで、たぶん、浮かれているのだ。
「でも、考えてもみろよ。もし断られたら、次に宮廷で会うときお互い気まずいだろうが」
「大丈夫だと思うけど」
肩をすくめてみせてから、テオバルドは「ごめん」と断りを入れた。
「最後に書庫に顔を出しておきたいんだ。先に行ってて」
「はい、はい。最後までおまえはあいかわらずだな。ミス・ベイリーによろしく伝えておいてくれ」
「任せて」
寮に戻るジェイデンと別れて、書庫に向かう。
寮の食堂はプロムまでの待機場になっていて、同輩や後輩と過ごす慣例があるのだけれど、しっかりと書庫に別れを告げておきたかったのだ。
あいかわらずと笑われたものの、テオバルドは書庫が好きだった。知識の源である豊富な蔵書と、静かな空間。
そうして、優しく見守ってくれる書庫の守り人、ザラ・ベイリー。
――二十年前は、父さんたちがいたんだよなぁ。
師匠と、母と一緒に。書庫を一周しつつ、そんなことを考える。「あら」という声がかかったのは、そのときだった。
「ベイリー先生」
「こんにちは、テオバルド。あなたもとうとう今日で卒業ね。またひとつ寂しくなるわ」
入学当初と変わらない上品な笑みを浮かべた老婦人をまっすぐ見つめて、テオバルドは頭を下げた。
「はい、本当にお世話になりました」
「あなたは最後まで『先生』だったわね。そういう頑固なところもかわいいけれど。誰よりも勉強熱心で、才能もある。宮廷から誘いが来るのも当然のことね」
「先生方のご指導のおかげです」
優等生らしい反応に、ふふ、と彼女がほほえむ。最後にここで会えてよかった。けれど、そろそろ戻らないと、ジェイデンをやきもきとさせてしまうかもしれない。
名残惜しさを呑んで暇を告げようとしたテオバルドに、ベイリーが切り出した。
「ねぇ、テオバルド。どうして私がここの守り人と言われているのか、あなたは知っている?」
「……え」
「もちろん知らないこともあるわ。でも、ここで起こったことの多くを知っているからよ」
唐突な問いかけに、ベイリーを凝視する。その視線を受けても、ベイリーは変わらなかった。淡々と穏やかに言葉を紡ぐ。
「たとえば、二十年前。今のあなたと同じ年だったイーサンとエレノア。そうしてアシュレイの身に起こったことも、その顛末も」
「二十年前……」
「あなたに必要なら、説明するわ。それが私の役目のひとつでもあるし、あの三人に育てられたあなたの権利でもあるのよ、テオバルド」
自分の歴史を知る権利はあるの、と繰り返す彼女の声は、適切な書物を勧めてくれるときとまったく同じ調子だった。
ベイリーを見つめたまま、テオバルドは黙り込んだ。父と母と、そうしてなにより師匠のこと。知りたくないと言えば嘘になる。――でも。
「お気遣いはありがたいですが、ベイリー先生。必要ありません」
「あら、そう?」
「はい。父も母も、師匠も。必要なことであれば、教えてくれたでしょうから」
「そう」
にこりと目を細めたベイリーは、どこかほっとしたようだった。
「それならいいの。安心したわ」
自分の判断が間違っていなかったと知って、テオバルドも内心ほっとした。彼女の提案の理由はわからなかったけれど、大好きな彼女を失望させたくなかったからだ。
「あなたに会えてよかったわ。私の勝手だけれど、二十年前、あの子たちに関わった大人のひとりとして心配していたの」
「心配、ですか」
「そう。でも、あなたを見て、その心配もようやく晴れたわ。だって、本当に愛されて育った顔をしているのだもの」
あの子たちが、善良で正しい大人になった証拠ね、と眩しそうにベイリーが言う。父と母と師匠のことを褒められているだけだ。いつものように、それがあたりまえと受け取ればいい。なのに、できなかった。
「テオバルド?」
どうかした、というふうな声に、はっとして笑みを浮かべる。彼女の言葉に負の感情がないことは明らかで、自分が愛されて育ったことも明らかだ。
それなのに、なぜ、こんなにも、もやもやと心が動くのだろう。
「問題ありません。父たちのことも気にかけていただいて、本当にありがとうございます」
二十年前のできごとに心が飛んでいたのだろうか。言葉を撤回して知りたいと思っているのだろうか。わからない。
その迷いに、彼女は気がついていたのだろうか。テオバルドには、それもわからなかった。すべてを受け止めるように、彼女の瞳が柔らかい色に染まる。
「改めて、卒業おめでとう、テオバルド。この三年、本当によくがんばりました。新しい日々も良きものになるよう、この書庫から祈っているわ」
戻ったら、話したいことはたくさんある。学院で学んだことも報告したいし、宮廷に勤めることも顔を見て伝えたい。杖のことも相談したい。それで――。
――世界が広がっても、俺の一番は師匠だったって言ったら、また花祭りで花を渡したいって言ったら、師匠はどんな顔をするのかな。
切り替えたつもりで、なにひとつ切り替わっていない思考に苦笑いになる。明日が楽しみで、たぶん、浮かれているのだ。
「でも、考えてもみろよ。もし断られたら、次に宮廷で会うときお互い気まずいだろうが」
「大丈夫だと思うけど」
肩をすくめてみせてから、テオバルドは「ごめん」と断りを入れた。
「最後に書庫に顔を出しておきたいんだ。先に行ってて」
「はい、はい。最後までおまえはあいかわらずだな。ミス・ベイリーによろしく伝えておいてくれ」
「任せて」
寮に戻るジェイデンと別れて、書庫に向かう。
寮の食堂はプロムまでの待機場になっていて、同輩や後輩と過ごす慣例があるのだけれど、しっかりと書庫に別れを告げておきたかったのだ。
あいかわらずと笑われたものの、テオバルドは書庫が好きだった。知識の源である豊富な蔵書と、静かな空間。
そうして、優しく見守ってくれる書庫の守り人、ザラ・ベイリー。
――二十年前は、父さんたちがいたんだよなぁ。
師匠と、母と一緒に。書庫を一周しつつ、そんなことを考える。「あら」という声がかかったのは、そのときだった。
「ベイリー先生」
「こんにちは、テオバルド。あなたもとうとう今日で卒業ね。またひとつ寂しくなるわ」
入学当初と変わらない上品な笑みを浮かべた老婦人をまっすぐ見つめて、テオバルドは頭を下げた。
「はい、本当にお世話になりました」
「あなたは最後まで『先生』だったわね。そういう頑固なところもかわいいけれど。誰よりも勉強熱心で、才能もある。宮廷から誘いが来るのも当然のことね」
「先生方のご指導のおかげです」
優等生らしい反応に、ふふ、と彼女がほほえむ。最後にここで会えてよかった。けれど、そろそろ戻らないと、ジェイデンをやきもきとさせてしまうかもしれない。
名残惜しさを呑んで暇を告げようとしたテオバルドに、ベイリーが切り出した。
「ねぇ、テオバルド。どうして私がここの守り人と言われているのか、あなたは知っている?」
「……え」
「もちろん知らないこともあるわ。でも、ここで起こったことの多くを知っているからよ」
唐突な問いかけに、ベイリーを凝視する。その視線を受けても、ベイリーは変わらなかった。淡々と穏やかに言葉を紡ぐ。
「たとえば、二十年前。今のあなたと同じ年だったイーサンとエレノア。そうしてアシュレイの身に起こったことも、その顛末も」
「二十年前……」
「あなたに必要なら、説明するわ。それが私の役目のひとつでもあるし、あの三人に育てられたあなたの権利でもあるのよ、テオバルド」
自分の歴史を知る権利はあるの、と繰り返す彼女の声は、適切な書物を勧めてくれるときとまったく同じ調子だった。
ベイリーを見つめたまま、テオバルドは黙り込んだ。父と母と、そうしてなにより師匠のこと。知りたくないと言えば嘘になる。――でも。
「お気遣いはありがたいですが、ベイリー先生。必要ありません」
「あら、そう?」
「はい。父も母も、師匠も。必要なことであれば、教えてくれたでしょうから」
「そう」
にこりと目を細めたベイリーは、どこかほっとしたようだった。
「それならいいの。安心したわ」
自分の判断が間違っていなかったと知って、テオバルドも内心ほっとした。彼女の提案の理由はわからなかったけれど、大好きな彼女を失望させたくなかったからだ。
「あなたに会えてよかったわ。私の勝手だけれど、二十年前、あの子たちに関わった大人のひとりとして心配していたの」
「心配、ですか」
「そう。でも、あなたを見て、その心配もようやく晴れたわ。だって、本当に愛されて育った顔をしているのだもの」
あの子たちが、善良で正しい大人になった証拠ね、と眩しそうにベイリーが言う。父と母と師匠のことを褒められているだけだ。いつものように、それがあたりまえと受け取ればいい。なのに、できなかった。
「テオバルド?」
どうかした、というふうな声に、はっとして笑みを浮かべる。彼女の言葉に負の感情がないことは明らかで、自分が愛されて育ったことも明らかだ。
それなのに、なぜ、こんなにも、もやもやと心が動くのだろう。
「問題ありません。父たちのことも気にかけていただいて、本当にありがとうございます」
二十年前のできごとに心が飛んでいたのだろうか。言葉を撤回して知りたいと思っているのだろうか。わからない。
その迷いに、彼女は気がついていたのだろうか。テオバルドには、それもわからなかった。すべてを受け止めるように、彼女の瞳が柔らかい色に染まる。
「改めて、卒業おめでとう、テオバルド。この三年、本当によくがんばりました。新しい日々も良きものになるよう、この書庫から祈っているわ」
0
お気に入りに追加
301
あなたにおすすめの小説
きっと世界は美しい
木原あざみ
BL
人気者美形×根暗。自分に自信のないトラウマ持ちが初めての恋に四苦八苦する話です。
**
本当に幼いころ、世界は優しく正しいのだと信じていた。けれど、それはただの幻想だ。世界は不平等で、こんなにも息苦しい。
それなのに、世界の中心で笑っているような男に恋をしてしまった……というような話です。
大学生同士。リア充美形と根暗くんがアパートのお隣さんになったことで始まる恋の話。
「好きになれない」のスピンオフですが、話自体は繋がっていないので、この話単独でも問題なく読めると思います。
少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。
辺境のご長寿魔法使いと世話焼きの弟子
志野まつこ
BL
250歳位なのに童顔で世捨て人な魔法使いと、そこに押しかけて来た天才の話。弟子を追い出そうとしては失敗する師匠だったがある春ようやく修行の日々が終わりを迎える。これでお役ご免だと思ったのに顔よしガタイよしの世話焼きで料理上手な弟子は卒業の夜、突如奇行に走った。
出会った時は弟子は子供でしたがすぐ育ちます。
ほのぼのとした残酷表現があります。他サイトにも掲載しています。
ようこそ異世界縁結び結婚相談所~神様が導く運命の出会い~
てんつぶ
BL
「異世界……縁結び結婚相談所?」
仕事帰りに力なく見上げたそこには、そんなおかしな看板が出ていた。
フラフラと中に入ると、そこにいた自称「神様」が俺を運命の相手がいるという異世界へと飛ばしたのだ。
銀髪のテイルと赤毛のシヴァン。
愛を司るという神様は、世界を超えた先にある運命の相手と出会わせる。
それにより神の力が高まるのだという。そして彼らの目的の先にあるものは――。
オムニバス形式で進む物語。六組のカップルと神様たちのお話です。
イラスト:imooo様
【二日に一回0時更新】
手元のデータは完結済みです。
・・・・・・・・・・・・・・
※以下、各CPのネタバレあらすじです
①竜人✕社畜
異世界へと飛ばされた先では奴隷商人に捕まって――?
②魔人✕学生
日本のようで日本と違う、魔物と魔人が現われるようになった世界で、平凡な「僕」がアイドルにならないと死ぬ!?
③王子・魔王✕平凡学生
召喚された先では王子サマに愛される。魔王を倒すべく王子と旅をするけれど、愛されている喜びと一緒にどこか心に穴が開いているのは何故――? 総愛されの3P。
④獣人✕社会人 案内された世界にいたのは、ぐうたら亭主の見本のようなライオン獣人のレイ。顔が獣だけど身体は人間と同じ。気の良い町の人たちと、和風ファンタジーな世界を謳歌していると――?
⑤神様✕○○ テイルとシヴァン。この話のナビゲーターであり中心人物。
【R18/完結】転生したらモブ執事だったので、悪役令息を立派なライバルに育成します!
ナイトウ
BL
農家の子供ルコとして現代から異世界に転生した主人公は、12歳の時に登場キャラクター、公爵令息のユーリスに出会ったことをきっかけにここが前世でプレイしていたBLゲームの世界だと気づく。そのままダメ令息のユーリスの元で働くことになったが色々あって異様に懐かれ……。
異世界ファンタジーが舞台で王道BLゲーム転生者が主人公のアホエロ要素があるBLです。
CP:
年下ライバル悪役令息×年上転生者モブ執事
●各話のエロについての注意書きは前書きに書きます。地雷のある方はご確認ください。
●元々複数CPのオムニバスという構想なので、世界観同じで他の話を書くかもです。
転生令息は冒険者を目指す!?
葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。
救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。
再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。
異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!
とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!
たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった!
せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。
失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。
「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」
アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。
でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。
ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!?
完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ!
※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※
pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。
https://www.pixiv.net/artworks/105819552
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる