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2:魔法使いの弟子

41.あるひとつの終焉 ⑧

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 また、なにかに熱中しているのかもしれない。テオバルドは思考を切り替えた。いずれにせよ、明日グリットンに戻ればわかることだ。
 戻ったら、話したいことはたくさんある。学院で学んだことも報告したいし、宮廷に勤めることも顔を見て伝えたい。杖のことも相談したい。それで――。

 ――世界が広がっても、俺の一番は師匠だったって言ったら、また花祭りで花を渡したいって言ったら、師匠はどんな顔をするのかな。

 切り替えたつもりで、なにひとつ切り替わっていない思考に苦笑いになる。明日が楽しみで、たぶん、浮かれているのだ。

「でも、考えてもみろよ。もし断られたら、次に宮廷で会うときお互い気まずいだろうが」
「大丈夫だと思うけど」

 肩をすくめてみせてから、テオバルドは「ごめん」と断りを入れた。

「最後に書庫に顔を出しておきたいんだ。先に行ってて」
「はい、はい。最後までおまえはあいかわらずだな。ミス・ベイリーによろしく伝えておいてくれ」
「任せて」

 寮に戻るジェイデンと別れて、書庫に向かう。
 寮の食堂はプロムまでの待機場になっていて、同輩や後輩と過ごす慣例があるのだけれど、しっかりと書庫に別れを告げておきたかったのだ。
 あいかわらずと笑われたものの、テオバルドは書庫が好きだった。知識の源である豊富な蔵書と、静かな空間。
 そうして、優しく見守ってくれる書庫の守り人、ザラ・ベイリー。

 ――二十年前は、父さんたちがいたんだよなぁ。

 師匠と、母と一緒に。書庫を一周しつつ、そんなことを考える。「あら」という声がかかったのは、そのときだった。

「ベイリー先生」
「こんにちは、テオバルド。あなたもとうとう今日で卒業ね。またひとつ寂しくなるわ」

 入学当初と変わらない上品な笑みを浮かべた老婦人をまっすぐ見つめて、テオバルドは頭を下げた。

「はい、本当にお世話になりました」
「あなたは最後まで『先生』だったわね。そういう頑固なところもかわいいけれど。誰よりも勉強熱心で、才能もある。宮廷から誘いが来るのも当然のことね」
「先生方のご指導のおかげです」

 優等生らしい反応に、ふふ、と彼女がほほえむ。最後にここで会えてよかった。けれど、そろそろ戻らないと、ジェイデンをやきもきとさせてしまうかもしれない。
 名残惜しさを呑んで暇を告げようとしたテオバルドに、ベイリーが切り出した。

「ねぇ、テオバルド。どうして私がここの守り人と言われているのか、あなたは知っている?」
「……え」
「もちろん知らないこともあるわ。でも、ここで起こったことの多くを知っているからよ」

 唐突な問いかけに、ベイリーを凝視する。その視線を受けても、ベイリーは変わらなかった。淡々と穏やかに言葉を紡ぐ。

「たとえば、二十年前。今のあなたと同じ年だったイーサンとエレノア。そうしてアシュレイの身に起こったことも、その顛末も」
「二十年前……」
「あなたに必要なら、説明するわ。それが私の役目のひとつでもあるし、あの三人に育てられたあなたの権利でもあるのよ、テオバルド」

 自分の歴史を知る権利はあるの、と繰り返す彼女の声は、適切な書物を勧めてくれるときとまったく同じ調子だった。
 ベイリーを見つめたまま、テオバルドは黙り込んだ。父と母と、そうしてなにより師匠のこと。知りたくないと言えば嘘になる。――でも。

「お気遣いはありがたいですが、ベイリー先生。必要ありません」
「あら、そう?」
「はい。父も母も、師匠も。必要なことであれば、教えてくれたでしょうから」
「そう」

 にこりと目を細めたベイリーは、どこかほっとしたようだった。

「それならいいの。安心したわ」

 自分の判断が間違っていなかったと知って、テオバルドも内心ほっとした。彼女の提案の理由はわからなかったけれど、大好きな彼女を失望させたくなかったからだ。
 
「あなたに会えてよかったわ。私の勝手だけれど、二十年前、あの子たちに関わった大人のひとりとして心配していたの」
「心配、ですか」
「そう。でも、あなたを見て、その心配もようやく晴れたわ。だって、本当に愛されて育った顔をしているのだもの」

 あの子たちが、善良で正しい大人になった証拠ね、と眩しそうにベイリーが言う。父と母と師匠のことを褒められているだけだ。いつものように、それがあたりまえと受け取ればいい。なのに、できなかった。

「テオバルド?」

 どうかした、というふうな声に、はっとして笑みを浮かべる。彼女の言葉に負の感情がないことは明らかで、自分が愛されて育ったことも明らかだ。
 それなのに、なぜ、こんなにも、もやもやと心が動くのだろう。

「問題ありません。父たちのことも気にかけていただいて、本当にありがとうございます」

 二十年前のできごとに心が飛んでいたのだろうか。言葉を撤回して知りたいと思っているのだろうか。わからない。
 その迷いに、彼女は気がついていたのだろうか。テオバルドには、それもわからなかった。すべてを受け止めるように、彼女の瞳が柔らかい色に染まる。

「改めて、卒業おめでとう、テオバルド。この三年、本当によくがんばりました。新しい日々も良きものになるよう、この書庫から祈っているわ」
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