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2:魔法使いの弟子
22.彼という人のこと ①
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深緑のローブを深く被っている、森の大魔法使い。彼の素顔が十五、六の少年だということを知る人は、きっとほとんどいないのだろう。
――やっばり、きれいだなぁ。
もう何年も近くで見ているのに、アシュレイの瞳を見るたび、テオバルドはそう思ってしまう。
本物の宝石のように、きらきらときらめく緑の瞳。その瞳が自分を見とめてほほえむ瞬間が、たまらなく好きだった。
じっと見つめる視線に気づいて、「どうした、テオバルド」と問いかけてくれる優しい声も、ぜんぶ。自分だけの特別だと知っていたからだ。
町の人たちが恐れる森の大魔法使いという人は、とても愛情の深い人だ。
愛情深く、弟子を高みに導こうとしてくれる人。その愛に応えたくて、テオバルドは努力を重ねてきたつもりだ。
――だから、ずっと、師匠に教わりたかったんだけどな。
はぁ、と溜息を吐いたテオバルドに、店じまいを終えて近づいてきたイーサンが、苦笑いで正面の椅子を引いた。
「なんだ、どうした。学院の入学を報告しに来たって顔じゃねぇなぁ」
アシュレイに言われて来たんだろう、と言われてしまって、それはそうだけど、と呟く。母は早々に引き上げていて、店に残っているのは父と自分だけだ。
「学院に入るのが、そんなに気に食わないのか? 入りたいと思って入れるところじゃないんだぜ」
「わかってるよ」
不貞腐れた声で応じて、冷めたお茶に手を伸ばす。
そう、わかっているのだ。学院に入学し魔法の技法を高めることが、この国に生まれた高い魔力を持つ者の義務だということは。
「じゃあ、なんだ。師匠と離れるのが、そんなに嫌なのか?」
違うともそうだとも言えず黙り込んだテオバルドに、イーサンがくっくと肩を揺らした。
「しかたのないやつだな、おまえも」
「……だって」
しかたないじゃないか、とテオバルドは思う。あの森で、七つのときからずっとふたりで暮らしてきたのだ。
案ずる資格はないと言われてしまったけれど、そんなの無理だ。できるわけがない。
「朝はいつも俺が起こすし、ごはんだって俺がつくる。夜も遅くなりすぎないように、ちゃんと言うんだ」
「へぇ」
「だって、そうしないと、本当にいつまでも起きていようとするんだよ。ごはんだってひとりだとろくに食べないし。ひとりになったら絶対……」
「あのなぁ、テオ」
苦笑いとしか言いようのない調子で、イーサンが話を遮る。
「あいつの見た目はああだが、俺と同じだけの時間を生きてる男だぞ。ひとりでも、問題なくやっていくさ」
「それはそうかもしれない、けど」
そんなことは言われなくてもわかっている。ただ。
自分がどうしようもなく寂しいのだと吐露する代わりに、テオバルドは呟いた。
「でも、見た目だけなら、俺、そろそろ師匠に並びそうだよ」
テオバルドの身長は、この七年でうんと伸びた。まだアシュレイには追いつかないけれど、町に下りてくるたびに「大きくなったなぁ」と声をかけられる。
けれど、アシュレイは、なにひとつとして変わらない。はじめて出逢ったころのままだ。
少しの間を置いて、まぁ、なぁ、と妙にしみじみとイーサンが呟き返した。
「あいつの童顔は昔からだからな。年より幼く見られ続けてる」
「いや、待ってよ、父さん。あれはただの童顔じゃないでしょ」
呆れた声を出したテオバルドに、イーサンが小さく笑う。
「だから、あれは十八だ」
「え?」
なんでもないふうに告げられて、テオバルドは瞠目した。意味がわからなかったからだ。
「あいつは、十八の冬で成長が止まってるんだよ。なんでそうなったかは知らんが、そうなってるんだ」
十八の冬で、成長が止まっている。沈黙したテオバルドに、イーサンは静かに繰り返した。その声がふたりきりの店の中にぽつりと響く。
「そういうことだ」
それは、師であるアシュレイが世界の摂理を語るときの口調と、不思議なほどよく似ていて。だから、テオバルドはそうなのだと知った。
――やっばり、きれいだなぁ。
もう何年も近くで見ているのに、アシュレイの瞳を見るたび、テオバルドはそう思ってしまう。
本物の宝石のように、きらきらときらめく緑の瞳。その瞳が自分を見とめてほほえむ瞬間が、たまらなく好きだった。
じっと見つめる視線に気づいて、「どうした、テオバルド」と問いかけてくれる優しい声も、ぜんぶ。自分だけの特別だと知っていたからだ。
町の人たちが恐れる森の大魔法使いという人は、とても愛情の深い人だ。
愛情深く、弟子を高みに導こうとしてくれる人。その愛に応えたくて、テオバルドは努力を重ねてきたつもりだ。
――だから、ずっと、師匠に教わりたかったんだけどな。
はぁ、と溜息を吐いたテオバルドに、店じまいを終えて近づいてきたイーサンが、苦笑いで正面の椅子を引いた。
「なんだ、どうした。学院の入学を報告しに来たって顔じゃねぇなぁ」
アシュレイに言われて来たんだろう、と言われてしまって、それはそうだけど、と呟く。母は早々に引き上げていて、店に残っているのは父と自分だけだ。
「学院に入るのが、そんなに気に食わないのか? 入りたいと思って入れるところじゃないんだぜ」
「わかってるよ」
不貞腐れた声で応じて、冷めたお茶に手を伸ばす。
そう、わかっているのだ。学院に入学し魔法の技法を高めることが、この国に生まれた高い魔力を持つ者の義務だということは。
「じゃあ、なんだ。師匠と離れるのが、そんなに嫌なのか?」
違うともそうだとも言えず黙り込んだテオバルドに、イーサンがくっくと肩を揺らした。
「しかたのないやつだな、おまえも」
「……だって」
しかたないじゃないか、とテオバルドは思う。あの森で、七つのときからずっとふたりで暮らしてきたのだ。
案ずる資格はないと言われてしまったけれど、そんなの無理だ。できるわけがない。
「朝はいつも俺が起こすし、ごはんだって俺がつくる。夜も遅くなりすぎないように、ちゃんと言うんだ」
「へぇ」
「だって、そうしないと、本当にいつまでも起きていようとするんだよ。ごはんだってひとりだとろくに食べないし。ひとりになったら絶対……」
「あのなぁ、テオ」
苦笑いとしか言いようのない調子で、イーサンが話を遮る。
「あいつの見た目はああだが、俺と同じだけの時間を生きてる男だぞ。ひとりでも、問題なくやっていくさ」
「それはそうかもしれない、けど」
そんなことは言われなくてもわかっている。ただ。
自分がどうしようもなく寂しいのだと吐露する代わりに、テオバルドは呟いた。
「でも、見た目だけなら、俺、そろそろ師匠に並びそうだよ」
テオバルドの身長は、この七年でうんと伸びた。まだアシュレイには追いつかないけれど、町に下りてくるたびに「大きくなったなぁ」と声をかけられる。
けれど、アシュレイは、なにひとつとして変わらない。はじめて出逢ったころのままだ。
少しの間を置いて、まぁ、なぁ、と妙にしみじみとイーサンが呟き返した。
「あいつの童顔は昔からだからな。年より幼く見られ続けてる」
「いや、待ってよ、父さん。あれはただの童顔じゃないでしょ」
呆れた声を出したテオバルドに、イーサンが小さく笑う。
「だから、あれは十八だ」
「え?」
なんでもないふうに告げられて、テオバルドは瞠目した。意味がわからなかったからだ。
「あいつは、十八の冬で成長が止まってるんだよ。なんでそうなったかは知らんが、そうなってるんだ」
十八の冬で、成長が止まっている。沈黙したテオバルドに、イーサンは静かに繰り返した。その声がふたりきりの店の中にぽつりと響く。
「そういうことだ」
それは、師であるアシュレイが世界の摂理を語るときの口調と、不思議なほどよく似ていて。だから、テオバルドはそうなのだと知った。
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