20 / 139
1:箱庭の森
19.春を祈る ③
しおりを挟む
泊まっていけばいいだろうにという誘いを断ったアシュレイは、ひとり杖を手に夜の森を歩いていた。
ローブはまだ少し水分を含んでいるが、雨は上がっている。おまけに幼少期から暮らしている森だ。夜目の利くアシュレイにとっては、昼の街道を歩くときと変わりなく、危険はない。
――まぁ、それに、帰れるのであれば、帰ってやるべきだろう。
あの弟子は、自分と違い、すぐに寂しがる。たしかに、多少、甘やかしすぎたのかもしれない。
この森を二週間ほど離れると告げたときも、随分と不服そうな顔をしていた。思い浮かんだ表情に、ふっとアシュレイは笑みをこぼした。
このあたりは雪も深くはないが、北の国境沿いはひどい吹雪であった。
薬草を煎じる。魔獣を討伐する。そのどちらもが国に仕える魔法使いに課された、重要な役割である。
魔力を持って生まれた者は、おのれのためのみに行使することなく、国と民のためにその力を使わなければならない。
学院を卒業し魔法使いとなるときに求められる誓いだ。例に漏れずアシュレイも誓っている。概ね正しいとも思っている。その正しい道を、きっとテオバルドも行くことであろう。
あの弟子は、正しい存在だ。そう信じているからこそ、アシュレイは自分が乱してしまわぬよう気をつけてきたつもりだ。
十五になるまで大事に育てようと心に誓ってきたつもりだ。
「師匠、どうしてですか?」
純粋な疑問八割、不納得二割といった問いかけに、アシュレイは無言で弟子を見つめた。
もう幾年も前。テオバルドが今よりもずっと幼かったころのことだ。森で怪我をしたテオバルドに、手当てをしてやったことがあった。
たいした怪我でもないのに、覚えたばかりの治癒魔法を使おうとした弟子を叱って、煎じ薬を塗り、包帯を巻いてやっていたのだ。
「どうして、魔法で治してはいけないのですか?」
「テオバルド。おまえは人をやめるのか?」
「……え?」
「魔法に頼りすぎると、時が止まるぞ」
素直に驚いたテオバルドに、アシュレイは淡々と続けた。
「正しく年を重ねて、正しく死ね」
手当てをするアシュレイの手元に、ゆっくりとテオバルドの視線が動く。少し脅しすぎたかとアシュレイは口調をゆるめた。
「テオバルド。おまえの父が言っていたように、たしかにおまえには才がある。だが、俺のようにはなるな」
「……」
「おまえは、人の輪の中で死んでいけ」
「……師匠は? 師匠はどうなのですか」
「そんなことは、おまえは考えなくていい」
苦笑ひとつで、そう切り捨てる。子どもというものは、本当に、おかしなところにまで気を回そうとする。悩むような間のあとで、テオバルドがもうひとつ尋ねた。
「師匠は死なないの?」
「さぁな。あいにく死にかけたことも死んだことも俺はない」
「……」
「だが、まぁ、切れば血は出るし、相応の痛みも覚える。治りが異様に早いということもない。いつかは必ず死ぬだろう」
そのいつかが常人と同じなのか、はたまたそうでないのかが、師匠のルカをもってしても答えを出せなかったというだけだ。
王立魔法学院の最終学年だった十八の冬。イーサン・ノアは魔力を失い、アシュレイ・アトウッドは、不老となった。揺るぎのない事実は、そのふたつきりである。
テオバルドが十五となり、王立魔法学院に入るまで、あと半年。
最後まで正しく、あの小さな背を押してやらなければならない。もう何年も心に決めていることを、アシュレイは改めておのれに繰り返した。
ローブはまだ少し水分を含んでいるが、雨は上がっている。おまけに幼少期から暮らしている森だ。夜目の利くアシュレイにとっては、昼の街道を歩くときと変わりなく、危険はない。
――まぁ、それに、帰れるのであれば、帰ってやるべきだろう。
あの弟子は、自分と違い、すぐに寂しがる。たしかに、多少、甘やかしすぎたのかもしれない。
この森を二週間ほど離れると告げたときも、随分と不服そうな顔をしていた。思い浮かんだ表情に、ふっとアシュレイは笑みをこぼした。
このあたりは雪も深くはないが、北の国境沿いはひどい吹雪であった。
薬草を煎じる。魔獣を討伐する。そのどちらもが国に仕える魔法使いに課された、重要な役割である。
魔力を持って生まれた者は、おのれのためのみに行使することなく、国と民のためにその力を使わなければならない。
学院を卒業し魔法使いとなるときに求められる誓いだ。例に漏れずアシュレイも誓っている。概ね正しいとも思っている。その正しい道を、きっとテオバルドも行くことであろう。
あの弟子は、正しい存在だ。そう信じているからこそ、アシュレイは自分が乱してしまわぬよう気をつけてきたつもりだ。
十五になるまで大事に育てようと心に誓ってきたつもりだ。
「師匠、どうしてですか?」
純粋な疑問八割、不納得二割といった問いかけに、アシュレイは無言で弟子を見つめた。
もう幾年も前。テオバルドが今よりもずっと幼かったころのことだ。森で怪我をしたテオバルドに、手当てをしてやったことがあった。
たいした怪我でもないのに、覚えたばかりの治癒魔法を使おうとした弟子を叱って、煎じ薬を塗り、包帯を巻いてやっていたのだ。
「どうして、魔法で治してはいけないのですか?」
「テオバルド。おまえは人をやめるのか?」
「……え?」
「魔法に頼りすぎると、時が止まるぞ」
素直に驚いたテオバルドに、アシュレイは淡々と続けた。
「正しく年を重ねて、正しく死ね」
手当てをするアシュレイの手元に、ゆっくりとテオバルドの視線が動く。少し脅しすぎたかとアシュレイは口調をゆるめた。
「テオバルド。おまえの父が言っていたように、たしかにおまえには才がある。だが、俺のようにはなるな」
「……」
「おまえは、人の輪の中で死んでいけ」
「……師匠は? 師匠はどうなのですか」
「そんなことは、おまえは考えなくていい」
苦笑ひとつで、そう切り捨てる。子どもというものは、本当に、おかしなところにまで気を回そうとする。悩むような間のあとで、テオバルドがもうひとつ尋ねた。
「師匠は死なないの?」
「さぁな。あいにく死にかけたことも死んだことも俺はない」
「……」
「だが、まぁ、切れば血は出るし、相応の痛みも覚える。治りが異様に早いということもない。いつかは必ず死ぬだろう」
そのいつかが常人と同じなのか、はたまたそうでないのかが、師匠のルカをもってしても答えを出せなかったというだけだ。
王立魔法学院の最終学年だった十八の冬。イーサン・ノアは魔力を失い、アシュレイ・アトウッドは、不老となった。揺るぎのない事実は、そのふたつきりである。
テオバルドが十五となり、王立魔法学院に入るまで、あと半年。
最後まで正しく、あの小さな背を押してやらなければならない。もう何年も心に決めていることを、アシュレイは改めておのれに繰り返した。
0
お気に入りに追加
301
あなたにおすすめの小説
転生令息は冒険者を目指す!?
葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。
救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。
再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。
異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!
とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A
ようこそ異世界縁結び結婚相談所~神様が導く運命の出会い~
てんつぶ
BL
「異世界……縁結び結婚相談所?」
仕事帰りに力なく見上げたそこには、そんなおかしな看板が出ていた。
フラフラと中に入ると、そこにいた自称「神様」が俺を運命の相手がいるという異世界へと飛ばしたのだ。
銀髪のテイルと赤毛のシヴァン。
愛を司るという神様は、世界を超えた先にある運命の相手と出会わせる。
それにより神の力が高まるのだという。そして彼らの目的の先にあるものは――。
オムニバス形式で進む物語。六組のカップルと神様たちのお話です。
イラスト:imooo様
【二日に一回0時更新】
手元のデータは完結済みです。
・・・・・・・・・・・・・・
※以下、各CPのネタバレあらすじです
①竜人✕社畜
異世界へと飛ばされた先では奴隷商人に捕まって――?
②魔人✕学生
日本のようで日本と違う、魔物と魔人が現われるようになった世界で、平凡な「僕」がアイドルにならないと死ぬ!?
③王子・魔王✕平凡学生
召喚された先では王子サマに愛される。魔王を倒すべく王子と旅をするけれど、愛されている喜びと一緒にどこか心に穴が開いているのは何故――? 総愛されの3P。
④獣人✕社会人 案内された世界にいたのは、ぐうたら亭主の見本のようなライオン獣人のレイ。顔が獣だけど身体は人間と同じ。気の良い町の人たちと、和風ファンタジーな世界を謳歌していると――?
⑤神様✕○○ テイルとシヴァン。この話のナビゲーターであり中心人物。
二度目の人生は魔王の嫁
七海あとり
BL
「彼以上に美しい人間は見たことがない」
そう誰もが口を揃えるほど、カルミア・ロビンズは美しい青年だった。
そんな優美な彼には誰にも言えない秘密があった。
ーーそれは前世の記憶を持っていることだった。
一度目の人生は、不幸な人生だった。
二度目の人生はせめて人並みに幸せになろうとしたはずなのに、何故か一国の王子に見染められ、監禁されていた。
日々自由になりたいと思っていたそんな彼の前に現れたのは、眉目秀麗な魔族でーー。
※重複投稿です。
辺境のご長寿魔法使いと世話焼きの弟子
志野まつこ
BL
250歳位なのに童顔で世捨て人な魔法使いと、そこに押しかけて来た天才の話。弟子を追い出そうとしては失敗する師匠だったがある春ようやく修行の日々が終わりを迎える。これでお役ご免だと思ったのに顔よしガタイよしの世話焼きで料理上手な弟子は卒業の夜、突如奇行に走った。
出会った時は弟子は子供でしたがすぐ育ちます。
ほのぼのとした残酷表現があります。他サイトにも掲載しています。
【R18/完結】転生したらモブ執事だったので、悪役令息を立派なライバルに育成します!
ナイトウ
BL
農家の子供ルコとして現代から異世界に転生した主人公は、12歳の時に登場キャラクター、公爵令息のユーリスに出会ったことをきっかけにここが前世でプレイしていたBLゲームの世界だと気づく。そのままダメ令息のユーリスの元で働くことになったが色々あって異様に懐かれ……。
異世界ファンタジーが舞台で王道BLゲーム転生者が主人公のアホエロ要素があるBLです。
CP:
年下ライバル悪役令息×年上転生者モブ執事
●各話のエロについての注意書きは前書きに書きます。地雷のある方はご確認ください。
●元々複数CPのオムニバスという構想なので、世界観同じで他の話を書くかもです。
恋の終わらせ方がわからない失恋続きの弟子としょうがないやつだなと見守る師匠
万年青二三歳
BL
どうやったら恋が終わるのかわからない。
「自分で決めるんだよ。こればっかりは正解がない。魔術と一緒かもな」
泣きべそをかく僕に、事も無げに師匠はそういうが、ちっとも参考にならない。
もう少し優しくしてくれてもいいと思うんだけど?
耳が出たら破門だというのに、魔術師にとって大切な髪を切ったらしい弟子の不器用さに呆れる。
首が傾ぐほど強く手櫛を入れれば、痛いと涙目になって睨みつけた。
俺相手にはこんなに強気になれるくせに。
俺のことなどどうでも良いからだろうよ。
魔術師の弟子と師匠。近すぎてお互いの存在が当たり前になった二人が特別な気持ちを伝えるまでの物語。
表紙はpome bro. sukii@kmt_srさんに描いていただきました!
弟子が乳幼児期の「師匠の育児奮闘記」を不定期で更新しますので、引き続き二人をお楽しみになりたい方はどうぞ。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!
たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった!
せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。
失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。
「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」
アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。
でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。
ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!?
完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ!
※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※
pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。
https://www.pixiv.net/artworks/105819552
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる