14 / 139
1:箱庭の森
13.信頼と親愛 ②
しおりを挟む
シャキン、シャキンと刃が髪を滑る音がする。
夜目が利くようになったテオバルドは、ランタンの薄明りの中でも迷いなく刃を動かしていく。無駄に器用で、そうして無駄に楽しそうに。
いつものことであるものの、おかしなやつだとアシュレイは思う。これの父親もそうだったが、人の世話を焼くということは、それほど面白いことなのだろうか。
「師匠は」
落ちてきた声に「なんだ?」とアシュレイは問い返した。ふふっと楽しそうにテオバルドが笑う。
「なに、というか。瞳もですけど、髪もきれいですよね、と思って。それだけです」
「……べつに、どちらもきれいではないだろう」
あいかわずのよくわからない審美眼に、アシュレイは半ば呆れた。呪われていると評判の緑の瞳に、艶のない金色の髪。きれいであるのはテオバルドのほうだ。
「すごくきれいですよ。はじめて会ったときも、そう思いました。よく覚えてます」
まぁ、と苦笑まじりの懐かしそうな声が続く。
「師匠には見すぎだと怒られた気がしますが。きれいで目が離せなかったんです」
――そういえば、そんなことを言っていたな。
この家の前で。イーサンに連れられた、小さなテオバルドが。どうだ、俺の息子だろうと言わんばかりだった、父親になったイーサンの星の瞳。
「そんないかれたことを言うのは、おまえで三人目だ」
喉を震わせたアシュレイに、テオバルドが問いかける。
「師匠の師匠ですか?」
「そうだ」
「父さん?」
「そうだ」
同じ瞳を持つ師であるルカと、おまえの父親と。これ以上はきっと現れない。
「それで、おまえだ」
「……師匠の話は、いつも俺の前に父さんがいる」
ぽつりとした声に混ざった拗ねに、アシュレイは小さく笑った。なにも言わないでいると、諦めたように刃が動き出す。
あたりまえのことだ。イーサンがいなければ、テオバルドはいない。だから、常に前に在る事実が変わることもない。
――だが、そうだな。
「それでも、俺の弟子はおまえだけだ」
その言葉に、テオバルドが笑ったことがわかった。くすぐったそうにはにかんでいるのだろうと想像する。テオバルドの素直さが、アシュレイは好きだった。
「そうですね」
「あぁ、そうだ」
「師匠の弟子は、俺だけがいいです」
子どもらしい独占欲でそう言って、テオバルドが刃を滑らせていく。耳のすぐそばで刃の音が響いていた。
「ずっと」
それにもまた答えないまま、静かに笑う。急所の近くで刃を握らせることをおまえ以外に許すわけがないだろう、と心のうちでのみ呟いて。
手持ち無沙汰に、テーブルにあった魔法書を膝の上に引き寄せる。頁を繰り出したアシュレイに、「師匠」と呆れたふうにテオバルドが声を落とした。先ほどまであった甘えが、きれいさっぱり消えた声。小言の予感がする。
「なんだ」
「そんなところで広げていると、あとであちらこちらから師匠の髪が出てくることになりますよ」
「そうだな」
予想どおりの苦言に、アシュレイはしらっと頷いた。まったく、本当によくできた弟子である。
改めることなく、また一枚頁を繰る。少しの間を置いて響いた溜息は、どこか本物の大人のようで、それが少しおかしかった。
夜目が利くようになったテオバルドは、ランタンの薄明りの中でも迷いなく刃を動かしていく。無駄に器用で、そうして無駄に楽しそうに。
いつものことであるものの、おかしなやつだとアシュレイは思う。これの父親もそうだったが、人の世話を焼くということは、それほど面白いことなのだろうか。
「師匠は」
落ちてきた声に「なんだ?」とアシュレイは問い返した。ふふっと楽しそうにテオバルドが笑う。
「なに、というか。瞳もですけど、髪もきれいですよね、と思って。それだけです」
「……べつに、どちらもきれいではないだろう」
あいかわずのよくわからない審美眼に、アシュレイは半ば呆れた。呪われていると評判の緑の瞳に、艶のない金色の髪。きれいであるのはテオバルドのほうだ。
「すごくきれいですよ。はじめて会ったときも、そう思いました。よく覚えてます」
まぁ、と苦笑まじりの懐かしそうな声が続く。
「師匠には見すぎだと怒られた気がしますが。きれいで目が離せなかったんです」
――そういえば、そんなことを言っていたな。
この家の前で。イーサンに連れられた、小さなテオバルドが。どうだ、俺の息子だろうと言わんばかりだった、父親になったイーサンの星の瞳。
「そんないかれたことを言うのは、おまえで三人目だ」
喉を震わせたアシュレイに、テオバルドが問いかける。
「師匠の師匠ですか?」
「そうだ」
「父さん?」
「そうだ」
同じ瞳を持つ師であるルカと、おまえの父親と。これ以上はきっと現れない。
「それで、おまえだ」
「……師匠の話は、いつも俺の前に父さんがいる」
ぽつりとした声に混ざった拗ねに、アシュレイは小さく笑った。なにも言わないでいると、諦めたように刃が動き出す。
あたりまえのことだ。イーサンがいなければ、テオバルドはいない。だから、常に前に在る事実が変わることもない。
――だが、そうだな。
「それでも、俺の弟子はおまえだけだ」
その言葉に、テオバルドが笑ったことがわかった。くすぐったそうにはにかんでいるのだろうと想像する。テオバルドの素直さが、アシュレイは好きだった。
「そうですね」
「あぁ、そうだ」
「師匠の弟子は、俺だけがいいです」
子どもらしい独占欲でそう言って、テオバルドが刃を滑らせていく。耳のすぐそばで刃の音が響いていた。
「ずっと」
それにもまた答えないまま、静かに笑う。急所の近くで刃を握らせることをおまえ以外に許すわけがないだろう、と心のうちでのみ呟いて。
手持ち無沙汰に、テーブルにあった魔法書を膝の上に引き寄せる。頁を繰り出したアシュレイに、「師匠」と呆れたふうにテオバルドが声を落とした。先ほどまであった甘えが、きれいさっぱり消えた声。小言の予感がする。
「なんだ」
「そんなところで広げていると、あとであちらこちらから師匠の髪が出てくることになりますよ」
「そうだな」
予想どおりの苦言に、アシュレイはしらっと頷いた。まったく、本当によくできた弟子である。
改めることなく、また一枚頁を繰る。少しの間を置いて響いた溜息は、どこか本物の大人のようで、それが少しおかしかった。
0
お気に入りに追加
304
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
[完結]堕とされた亡国の皇子は剣を抱く
小葉石
BL
今は亡きガザインバーグの名を継ぐ最後の亡国の皇子スロウルは実の父に幼き頃より冷遇されて育つ。
10歳を過ぎた辺りからは荒くれた男達が集まる討伐部隊に強引に入れられてしまう。
妖精姫との名高い母親の美貌を受け継ぎ、幼い頃は美少女と言われても遜色ないスロウルに容赦ない手が伸びて行く…
アクサードと出会い、思いが通じるまでを書いていきます。
※亡国の皇子は華と剣を愛でる、
のサイドストーリーになりますが、この話だけでも楽しめるようにしますので良かったらお読みください。
際どいシーンは*をつけてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる