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1:箱庭の森
5.あらしのよるに ②
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――しかし、これは、断られないと踏んで、息子連れで「弟子に取れ」と迫ってきた父親といい勝負だな。
弟子を取ることもはじめてであったが、自分の寝所に他人を引き入れたことも、ほとんどはじめての経験である。そんなふうに呆れつつ、ブランケットに包まる弟子に目を向ける。
オイルランプのぼんやりとした明かりでも、夜目が利くアシュレイにはテオバルドの様子がよく見えた。眠ることができないのか、細かな身じろぎを繰り返している。
雨風の音が、それほど恐ろしいのだろうか。
「眠れないのか」
幾度目かの寝返りを打ったテオバルドと目が合って、わかりきったことを問いかける。じっとこちらを見つめていた瞳が、一度下を向いて、また上向いた。
「師匠は」
質問の答えになっていないことを、ぽつりとテオバルドが呟く。
「夜が怖くないのですか?」
「夜が怖い魔法使いがどこにいる」
即答したアシュレイだったが、やんわりと言葉をひとつ付け足した。
「おまえもいつかは怖くなくなるさ」
かたちのない夜の魔物に怯えることができる時期は、おそらくそう長くない。今は小さいこの弟子も、自分を置き去りにあっというまに大きくなる。
ごくあたりまえの事実として告げて、アシュレイは書物に目を戻した。夜はとうに深くなっていたが、読み切ってしまいたかったのだ。
「師匠」
少し読み進んだところで、また声がかかった。ちら、と目を向ける。
「今だけでいいので、テオと呼んではくれませんか」
なにを甘えたことを、と切り捨てかけたアシュレイだったが、朝方にエレノアが顔を出していたことを思い出して、やめた。
月に一度、薬草園を目当てにエレノアは森にやってくる。イーサンの店を手伝うかたわら、町の人間に薬草を煎じてやっているからだ。
アシュレイにとっては見慣れた光景であったが、この弟子にとっては里心を刺激するものだったかもしれない。
――七つ、か。
イーサンの無理強いであったものの、預かったからには自分の責任だ。あたりまえにそう考えたアシュレイは、子どもの発育に関する文献をいくつか読み漁っていた。
目撃したエレノアに「研究文献でなにがわかるのよ。母親に聞いたらいいじゃない」と呆れたふうに笑われたこともあったが、正しい知識は大切だ。だから、知った。
七つという年は、まだ本当に幼い子どもであるのだ、と。大人が正しく愛し、保護してやるべきか弱い存在。
「……師匠?」
そういえば、このくらいの年のころは、寝入る前にルカが様子を見に来ていたかもしれない。思い出した古い記憶に、アシュレイはふっと目元をゆるめた。
そうだったな、と思う。あのころのルカは、毎晩自分の枕もとを訪れて、額にキスを落としてくれていた。
――おやすみ、アシュリー、良い夢を。
あの声があれば、怖いものなどなにもないと思っていた。
「おやすみ、テオ。良い夢を」
記憶を頼りに囁いて、ブランケットの上から胸のあたりをあやすように撫でる。幼かったアシュレイに、ルカがしてくれたことのひとつだ。続けて、小さな額にそっと口づける。
あのころのルカは、アシュレイのことを世界のなによりもかわいいと言っていた。同じ気持ちにはなれていなくとも、せめてかたちだけは真似てやろうと思ったのだ。
くすぐったそうな笑みを浮かべて享受したテオバルドが、そのまま素直に目を閉じる。子ども騙しでしかなかったのだが、正しく子どもであったらしい。
響き始めた寝息に安堵して、魔法書の続きに取りかかる。窓を叩き揺らす雨と風の音。そうして、自分以外の誰かの気配。
――まったく手間のかかる。
弟子というものは、本当になかなか面倒だ。自分の口元に浮かんだ、かすかな笑みには気づかないまま。アシュレイは、ただ静かに本を読み進めた。
弟子を取ることもはじめてであったが、自分の寝所に他人を引き入れたことも、ほとんどはじめての経験である。そんなふうに呆れつつ、ブランケットに包まる弟子に目を向ける。
オイルランプのぼんやりとした明かりでも、夜目が利くアシュレイにはテオバルドの様子がよく見えた。眠ることができないのか、細かな身じろぎを繰り返している。
雨風の音が、それほど恐ろしいのだろうか。
「眠れないのか」
幾度目かの寝返りを打ったテオバルドと目が合って、わかりきったことを問いかける。じっとこちらを見つめていた瞳が、一度下を向いて、また上向いた。
「師匠は」
質問の答えになっていないことを、ぽつりとテオバルドが呟く。
「夜が怖くないのですか?」
「夜が怖い魔法使いがどこにいる」
即答したアシュレイだったが、やんわりと言葉をひとつ付け足した。
「おまえもいつかは怖くなくなるさ」
かたちのない夜の魔物に怯えることができる時期は、おそらくそう長くない。今は小さいこの弟子も、自分を置き去りにあっというまに大きくなる。
ごくあたりまえの事実として告げて、アシュレイは書物に目を戻した。夜はとうに深くなっていたが、読み切ってしまいたかったのだ。
「師匠」
少し読み進んだところで、また声がかかった。ちら、と目を向ける。
「今だけでいいので、テオと呼んではくれませんか」
なにを甘えたことを、と切り捨てかけたアシュレイだったが、朝方にエレノアが顔を出していたことを思い出して、やめた。
月に一度、薬草園を目当てにエレノアは森にやってくる。イーサンの店を手伝うかたわら、町の人間に薬草を煎じてやっているからだ。
アシュレイにとっては見慣れた光景であったが、この弟子にとっては里心を刺激するものだったかもしれない。
――七つ、か。
イーサンの無理強いであったものの、預かったからには自分の責任だ。あたりまえにそう考えたアシュレイは、子どもの発育に関する文献をいくつか読み漁っていた。
目撃したエレノアに「研究文献でなにがわかるのよ。母親に聞いたらいいじゃない」と呆れたふうに笑われたこともあったが、正しい知識は大切だ。だから、知った。
七つという年は、まだ本当に幼い子どもであるのだ、と。大人が正しく愛し、保護してやるべきか弱い存在。
「……師匠?」
そういえば、このくらいの年のころは、寝入る前にルカが様子を見に来ていたかもしれない。思い出した古い記憶に、アシュレイはふっと目元をゆるめた。
そうだったな、と思う。あのころのルカは、毎晩自分の枕もとを訪れて、額にキスを落としてくれていた。
――おやすみ、アシュリー、良い夢を。
あの声があれば、怖いものなどなにもないと思っていた。
「おやすみ、テオ。良い夢を」
記憶を頼りに囁いて、ブランケットの上から胸のあたりをあやすように撫でる。幼かったアシュレイに、ルカがしてくれたことのひとつだ。続けて、小さな額にそっと口づける。
あのころのルカは、アシュレイのことを世界のなによりもかわいいと言っていた。同じ気持ちにはなれていなくとも、せめてかたちだけは真似てやろうと思ったのだ。
くすぐったそうな笑みを浮かべて享受したテオバルドが、そのまま素直に目を閉じる。子ども騙しでしかなかったのだが、正しく子どもであったらしい。
響き始めた寝息に安堵して、魔法書の続きに取りかかる。窓を叩き揺らす雨と風の音。そうして、自分以外の誰かの気配。
――まったく手間のかかる。
弟子というものは、本当になかなか面倒だ。自分の口元に浮かんだ、かすかな笑みには気づかないまま。アシュレイは、ただ静かに本を読み進めた。
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