23 / 46
6-1
しおりを挟む
[ 6 ]
おまえは、本当にあいつにそっくりだな。
酒に焼けた声で、そう嘲ってくる父親が苦手だった。気にせずにいたいのに、毎回なにかが底に溜まっていく。
かつてはそうではなかったのに、という意識が、しつこく頭に残っているせいなのかもしれない、とも思う。
はるか昔、まだ自分が小さな子どもだったころ、同じ言葉をまったく違うニュアンスで、優しく囁いてもらっていたはずなのに、と。
――気にしなくていいって言っても、本当によかったのかな。
脱衣所で風呂上がりの髪を乾かしながら、浅海はしつこく思い悩んでいた。
先に風呂も入らせてもらった挙句に、着替えもぜんぶ借りている現状は、甘えすぎているとしか思えない。
――ちょっと落ち着かないっていうか……。
そう、申し訳ないというか、なんというか。
悶々としたままドライヤーを切って、落ち着かない原因の一端であるシャツに視線を落とす。身の丈に余るというほどではないけれど、普段自分が着ているものに比べるとワンサイズほど大きい。
身長は十センチも変わらないはずだから、純粋に身体の厚みの差なのだろうと思う。大人だなと思うし、かっこいいなとも思う。
つらつらとそこまで考えたところで、ふと思考が止まった。シャツに触れていた指先に気がついて、ぎこちなく外す。
「かっこいいはおかしいだろ……」
いや、おかしくはないのかもしれないけど。でも。また悶々としてしまいそうで、浅海は小さく息を吐いた。そうして、鏡に視線を向ける。
大嫌いな母親にそっくりの、人目を惹くらしい顔。その顔がいつもと同じように取り繕われているのを確認して、浅海はその場を後にした。
「お風呂ありがとうございました」
居間に戻って声をかけると、テーブルでパソコンを広げていた八瀬の顔が上がった。
「すっきりした?」
「はい。ありがとうございました」
「そう」
ならよかった、と向けられたほほえみに、浅海も小さく笑み返した。彼が使っているパソコンは、もともとこの部屋にはなかったものだ。仕事用だといつだったか言っていた覚えもある。
自分がいるから、こうして居間に持ち込んでくれているのだ。
本当に敵わないと思うのは、こういった言葉にしない――この人がさも当然と示してくれるぬくもりに触れた瞬間だった。
自分にとっては、はじめて会ったときから八瀬はずっとそうだ。だから、昂輝になにをどう言われても、優しい人だとしか思えなかった。
「じゃあ、俺も入ってこようかな」
その一言でパソコンを閉じると、八瀬は立ち上がった。
「あ……」
「気にしなくていいから、適当に休んでな」
反射で引き留めようとした浅海の頭を自然なしぐさで一撫でして、そのまま通り過ぎていく。
「俺も今日は早く休もうかなって思って。それだけ」
「……はい」
自分のせいで生活サイクルを崩してほしくない、だとか。そう気を使わないでほしい、だとか。
言いたいことはいくらでもあったのに、頷くことしかできなかった。こういった物言いが本当にうまくて、そうしてそれが気遣いから出ているものだとわかるから、妙な意地も張れないし、反論もできない。
本当に、敵わない。
――って、あたりまえか。
勝てる要素なんて、ひとつもないのだから。小さく溜息を吐いて、ソファの端に腰を下ろしたところで、妹にメッセージを送って以来スマートフォンに触っていなかったことを思い出した。
連絡を返さずに放置していると、気にする人間がいるのだ。今日連絡が来ているかは五分五分といったところだろうけれど。
連絡を返さずに放置していると、気にする人間がいるのだ。連絡が来ているかは五分五分といったところだけれど。
自分の不在は向かいの家に住んでいる幼馴染には筒抜けで、今夜に限って言えば親子喧嘩まで聞かれていた可能性がある。
「……やっぱり」
届いていたメッセージに、思わずそんな声がもれてしまった。
家にいたくないなら、俺の家に来たらいいだろ。いつも、なんでもないように侑平はそう言ってくれる。侑平の両親も小さいころからよく知っている浅海のことを快く受け入れてくれる。
知っているからこそ迷惑をかけたくなくて、逃げ場所に選べなくなった。
――そんなこと言ったところで、一基さんにこうして迷惑かけてるんだから、なんの意味もないんだけどな。
どこにいるのかと尋ねてくるメッセージに、大丈夫と返信を打ち込む。けれど、そこで指が止まってしまった。
八瀬の家にいると知れば、勘ぐられるにちがいない。今まで自分の言動に原因があるとわかっているが、幼馴染みは案外と心配性なのだ。
友達のところ。たまたま出会って泊めてもらった。突っ込みどころ満載の文面だが、そうとしか記しようがない。
名前を出せない時点で嘘だと見破られると、わかってはいるのだが。適当な名前を出したところで、確認を向こうに取られてしまったら、それで終わりだ。
良くも悪くも、自分たちの交友関係は昔から重なり続けている。
――ま、いいか。
明後日には会う予定があるのだから、そのときに謝ればいい。半ば投げやりに思い切って、送信する。ついでに電源も落とした。今夜だけでいいから、干渉されずにいたかったのだ。
スマートフォンを伏せて、浅海はそっと息を吐いた。
気にかけてもらえていることは、ありがたいと思っている。それは本当だ。けれど同時に、気遣われるような感情を表に出したくないとも思っていた。自分の感情は、常に自分でコントロールしていたい。憐れまれたくなんてない。
結局、自分でも呆れてしまうくらい、プライドが高いのだ。だから、取り繕えないと判断すると、ひとりになりたくなって、逃げてしまう。
そうやって、今までずっとやり過ごしていた。
――それなのに、なんであんなこと言ったんだろうな。
八瀬の声が優しかったから、だとか、深入りしてこないあっさりとした態度が心地よかったから、だとか。上げようと思えば、理由はいくつでも思いつく。
けれど、認めたくない理由がひとつだけ胸の奥に残っていた。もしかすると、無意識に甘えていたのではないだろうかという疑念。
甘えると言っても、あの人が提示してくれたようなかわいげのあるものではなく、もっと打算的で、人の心を試すようなものだ。
そういうふうなことを言ったときに、どういった反応をするのかと、そう。
「性格悪……」
まぁ、自分の性格がいいだなんて、思ったこともないけれど。
ただ外面がいいというだけなのだ。その上っ面で「いい子」と評されることはあっても、中身はなにも伴っていない。そのことは、自分が一番よくわかっている。
おまえは、本当にあいつにそっくりだな。
酒に焼けた声で、そう嘲ってくる父親が苦手だった。気にせずにいたいのに、毎回なにかが底に溜まっていく。
かつてはそうではなかったのに、という意識が、しつこく頭に残っているせいなのかもしれない、とも思う。
はるか昔、まだ自分が小さな子どもだったころ、同じ言葉をまったく違うニュアンスで、優しく囁いてもらっていたはずなのに、と。
――気にしなくていいって言っても、本当によかったのかな。
脱衣所で風呂上がりの髪を乾かしながら、浅海はしつこく思い悩んでいた。
先に風呂も入らせてもらった挙句に、着替えもぜんぶ借りている現状は、甘えすぎているとしか思えない。
――ちょっと落ち着かないっていうか……。
そう、申し訳ないというか、なんというか。
悶々としたままドライヤーを切って、落ち着かない原因の一端であるシャツに視線を落とす。身の丈に余るというほどではないけれど、普段自分が着ているものに比べるとワンサイズほど大きい。
身長は十センチも変わらないはずだから、純粋に身体の厚みの差なのだろうと思う。大人だなと思うし、かっこいいなとも思う。
つらつらとそこまで考えたところで、ふと思考が止まった。シャツに触れていた指先に気がついて、ぎこちなく外す。
「かっこいいはおかしいだろ……」
いや、おかしくはないのかもしれないけど。でも。また悶々としてしまいそうで、浅海は小さく息を吐いた。そうして、鏡に視線を向ける。
大嫌いな母親にそっくりの、人目を惹くらしい顔。その顔がいつもと同じように取り繕われているのを確認して、浅海はその場を後にした。
「お風呂ありがとうございました」
居間に戻って声をかけると、テーブルでパソコンを広げていた八瀬の顔が上がった。
「すっきりした?」
「はい。ありがとうございました」
「そう」
ならよかった、と向けられたほほえみに、浅海も小さく笑み返した。彼が使っているパソコンは、もともとこの部屋にはなかったものだ。仕事用だといつだったか言っていた覚えもある。
自分がいるから、こうして居間に持ち込んでくれているのだ。
本当に敵わないと思うのは、こういった言葉にしない――この人がさも当然と示してくれるぬくもりに触れた瞬間だった。
自分にとっては、はじめて会ったときから八瀬はずっとそうだ。だから、昂輝になにをどう言われても、優しい人だとしか思えなかった。
「じゃあ、俺も入ってこようかな」
その一言でパソコンを閉じると、八瀬は立ち上がった。
「あ……」
「気にしなくていいから、適当に休んでな」
反射で引き留めようとした浅海の頭を自然なしぐさで一撫でして、そのまま通り過ぎていく。
「俺も今日は早く休もうかなって思って。それだけ」
「……はい」
自分のせいで生活サイクルを崩してほしくない、だとか。そう気を使わないでほしい、だとか。
言いたいことはいくらでもあったのに、頷くことしかできなかった。こういった物言いが本当にうまくて、そうしてそれが気遣いから出ているものだとわかるから、妙な意地も張れないし、反論もできない。
本当に、敵わない。
――って、あたりまえか。
勝てる要素なんて、ひとつもないのだから。小さく溜息を吐いて、ソファの端に腰を下ろしたところで、妹にメッセージを送って以来スマートフォンに触っていなかったことを思い出した。
連絡を返さずに放置していると、気にする人間がいるのだ。今日連絡が来ているかは五分五分といったところだろうけれど。
連絡を返さずに放置していると、気にする人間がいるのだ。連絡が来ているかは五分五分といったところだけれど。
自分の不在は向かいの家に住んでいる幼馴染には筒抜けで、今夜に限って言えば親子喧嘩まで聞かれていた可能性がある。
「……やっぱり」
届いていたメッセージに、思わずそんな声がもれてしまった。
家にいたくないなら、俺の家に来たらいいだろ。いつも、なんでもないように侑平はそう言ってくれる。侑平の両親も小さいころからよく知っている浅海のことを快く受け入れてくれる。
知っているからこそ迷惑をかけたくなくて、逃げ場所に選べなくなった。
――そんなこと言ったところで、一基さんにこうして迷惑かけてるんだから、なんの意味もないんだけどな。
どこにいるのかと尋ねてくるメッセージに、大丈夫と返信を打ち込む。けれど、そこで指が止まってしまった。
八瀬の家にいると知れば、勘ぐられるにちがいない。今まで自分の言動に原因があるとわかっているが、幼馴染みは案外と心配性なのだ。
友達のところ。たまたま出会って泊めてもらった。突っ込みどころ満載の文面だが、そうとしか記しようがない。
名前を出せない時点で嘘だと見破られると、わかってはいるのだが。適当な名前を出したところで、確認を向こうに取られてしまったら、それで終わりだ。
良くも悪くも、自分たちの交友関係は昔から重なり続けている。
――ま、いいか。
明後日には会う予定があるのだから、そのときに謝ればいい。半ば投げやりに思い切って、送信する。ついでに電源も落とした。今夜だけでいいから、干渉されずにいたかったのだ。
スマートフォンを伏せて、浅海はそっと息を吐いた。
気にかけてもらえていることは、ありがたいと思っている。それは本当だ。けれど同時に、気遣われるような感情を表に出したくないとも思っていた。自分の感情は、常に自分でコントロールしていたい。憐れまれたくなんてない。
結局、自分でも呆れてしまうくらい、プライドが高いのだ。だから、取り繕えないと判断すると、ひとりになりたくなって、逃げてしまう。
そうやって、今までずっとやり過ごしていた。
――それなのに、なんであんなこと言ったんだろうな。
八瀬の声が優しかったから、だとか、深入りしてこないあっさりとした態度が心地よかったから、だとか。上げようと思えば、理由はいくつでも思いつく。
けれど、認めたくない理由がひとつだけ胸の奥に残っていた。もしかすると、無意識に甘えていたのではないだろうかという疑念。
甘えると言っても、あの人が提示してくれたようなかわいげのあるものではなく、もっと打算的で、人の心を試すようなものだ。
そういうふうなことを言ったときに、どういった反応をするのかと、そう。
「性格悪……」
まぁ、自分の性格がいいだなんて、思ったこともないけれど。
ただ外面がいいというだけなのだ。その上っ面で「いい子」と評されることはあっても、中身はなにも伴っていない。そのことは、自分が一番よくわかっている。
11
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――
天海みつき
BL
族の総長と副総長の恋の話。
アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。
その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。
「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」
学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。
族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。
何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。
イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です
はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。
自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。
ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。
外伝完結、続編連載中です。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる