やさしいひと

木原あざみ

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「へぇ、じゃあ、お兄さんまだ十八なんだ。かわいいね。大学生?」

 営業時間中はまず立ち入らなかったはずのバーカウンターの内側で、「大学は行ってないですね」と愛想よく質問に応じる。
 浅海の前に座ったのは、女子大生風のふたり連れだったのだ。墓穴を掘らないためにも、妙な知ったかぶりはしないほうがいいだろう。

 ――そもそもとして、十八っていうのに無理があると思うんだけどなぁ。

 店長代理である達昭は「二才くらいイケるだろ」とまるで気にしていない様子だったが。
 溜息を吐きたいのを堪えて、営業用の笑顔を彼女たちに向ける。
 着慣れないバーテンダーの制服は息苦しいし、厨房で忙しくしているほうが自分には合っていると思う。

 そもそも俺シェイカーなんて振れないですからねとの主張もしたのだが、クラフトビールでもごり押ししてろよの一言でうやむやにされてしまったのだ。
 だから嫌なんだ、あの人は。悪い人じゃないのかもしれないが、やることなすことが、こう、なんというか強引で。

「でも、ここに入ったの最近だよね? あたし何回か来てるんだけど、お兄さんははじめて見たなぁ」
「えぇ、まぁ」

 それは、まぁ、今までは厨房ばかり入っていたので。曖昧にほほえんで言葉を濁すと、彼女たちはふたりでひそひそと話し始めた。
 これで質問責めから解放されたとほっとしていたのだが。

「ねぇ、ねぇ」 

 すぐに話しかけられてしまって、営業用の笑みを張り付ける。

「はい?」
「連絡先教えてほしいんだけど、駄目かなぁ」
「あ、それは……」
「駄目、駄目」

 交換は禁止されていて、と体よく断ろうとした瞬間。調子のいい声が割り込んできた。

「達昭さん」

 嫌そうな声をものともせず、達昭がいかにも親しげに肩を叩く。おまけに、話を合わせろといわんばかりの目配せまでついてきた。

「なぁ、はじめてのお客様には恥ずかしくて教えられねぇよなぁ?」
「いや、あの」
「えー、じゃあ、通っちゃおうかなぁ。そうしたら教えてくれる?」

 そんなわけがない。甘えたふうな笑顔に向かって、やんわりと断ろうとしたのだが、達昭が話を終わらせるほうが早かった。

「ま、それは今後のお楽しみってやつでしょ」

 まんざらでもない様子の彼女たちから、浅海は達昭へと視線を移した。本当に、こういうところが嫌なのだ。
 達昭がいなくなったらはっきりと断ろう。そう考えることで気を紛らわしていると、また肩をぽんと叩かれた。
 先ほどよりも嫌な圧を感じる。

「浅海ちゃん、ちょっと、ちょっと」

 目の笑っていない笑顔に手招かれるまま、客席から死角になる隅のほうへと移動する。客の目を気にして最低限の笑顔は維持しているが、嫌な予感しかしない。
 だいたいこの人に「浅海ちゃん」などと呼ばれるときは、ろくなことがないのだ。
 案の定、気持ち悪いほどの猫なで声で、達昭が囁きかけてくる。

「あのさぁ、なにもそんな正直に連絡先の交換は禁止とか無粋なこと言わなくてもいいだろ? ここはね、夜の時間と一緒に夢も売ってんの」
「あの、でも風見さんは、そういうやりとりはなしって」

 ホストクラブかよと言ってやりたいのを我慢して、そう言い募る。
 無粋とかそういう問題でもないと思うし、そもそもとして嫌だし無理だ。

「そう固いこと言うなって。今は兄貴じゃなくて俺が店長代理なんだし? それに、べつに嘘は吐いてないだろ? はじめましてのお姉さんには連絡先なんて教えられない。でも、回を重ねて興味を持ったら、バーテンと客から、個々人の付き合いに変わったらいい。それはおまえの自由」
「いや、だから、俺、そういうのは……」
「ま、そういうのが本当に無理かどうかも、これから確かめたらいいじゃん。ほら、だから、浅海ちゃんは、にこにこお姉さんのお話聞いて、癒しをあげて、注文聞いてたらそれでいいの。なっ」
 
 バシバシと背中を叩かれて、しかたなくほほえむ。営業中の店内で揉めていいはずもない。

「よし。じゃ、そういうことで」

 接客に戻っていく背中を見送って、浅海はそっと溜息を吐いた。
 いや、わかっている。達昭に頼まれたときに断り切れず、持ち場変更を受け入れた自分が悪いのだ。わかっている。わかってはいる。でも。
 はぁ、と一段と深い溜息が漏れる。
 風見が恋しい。
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