パーフェクトワールド

木原あざみ

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第三部

パーフェクト・ワールド・エンドⅢ 16 ⑥

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「はい――って、なんだ。榛名か。なに?」

 ドアを開けた四谷の顔は、控えめに表現しても機嫌が良くはなさそうだった。
 おまけに、追い返される雰囲気まではないものの、中に招いてくれる気配もない。えっと、とまたしても尻込みしそうになりつつも、行人は単刀直入に切り出した。
 回りくどい言い方をしたほうが、間違いなく苛々されると踏んだからである。

「その、今、談話室で作業してるんだけどさ、四谷も来ない?」
「なんで?」
「えっと、……その、四谷ぜんぜん顔出してないから」
「ぜんぜん顔出してないもなにも、自由参加でしょ。それに、そうじゃなくて、なんで急に言い出したのって聞いてるんだけど。荻原にでも頼まれた?」
「いや……」

 半分はそういうわけだが、もう半分は完全に自分の勝手だ。言い淀んだ行人に、面倒くさそうに四谷が溜息を吐く。
 中等部にいたころはよく見ていた、嫌味なそれ。

「わざわざ、どうも。でも、気にしてくれなくていいから。榛名は向こうでどうぞ和気あいあいと楽しんできて?」

 身構えていたとおりの嫌味だった。でも、嫌味にしても、和気あいあいと思っているんじゃないか、と思ってしまった。
 しつこくしないほうが絶対に良いとわかっていたのに、ぽろりと言葉がこぼれる。

「気になるなら、来たらいいと思うけど」
「は?」
「いや、その」

 鋭く跳ね上がった声に、しどろもどろになる。とりあえず、絶対に逆切れすることだけはしないでおこうと改めておのれに誓って、行人は続けた。
 自分の気が決して長くないことは、重々承知しているのだ。

「頼まれたわけじゃないけど、でも、荻原も気にしてたし」

 呆れたふうな視線が突き刺さってくるが、四谷はなにも言わなかった。

 ――でも、ここで、高藤も気にしてたって言うのはなしだよなぁ。

 空気を読むことも苦手な自覚はあるが、さすがにその程度の配慮はある。朝比奈の言っていたことをいまさらだと思ってしまったこととは、また少し別の次元だ。
 次の言葉に悩んで、そうかといって、「じゃあ」と立ち去ることも選べなくて。気まずく立ちすくんでいると、四谷がもう一度大きく息を吐いた。

「あのさ、もう放っておいてくれない?」
「え……」
「我慢しようと思ってたけど、本当に苛々するんだよね。その、こっちを気遣って言葉を選んでます、みたいな態度」

 でも、それは、と反論しそうになった言葉を寸前で呑み込む。自分が言うべきことではないと思ったからだ。
 そうして、四谷の言うことは間違っていない。どういう態度を取っていいのかわからず、上目線と評されてもしかたのない言動を、たぶん、自分は取っていた。

「というか、べつにいいでしょ」

 黙り込んだ行人から視線を外して、四谷が吐き捨てる。

「榛名には高藤がいるし、荻原だっているじゃん。会長も、寮長も榛名のことかわいがってるし。それ以上なにがほしいわけ?」
「でも」

 高藤は、べつに、四谷が言っていたとおりで、俺のことが一番で特別だから一緒にいてくれているわけではなくて。荻原は、四谷のことをきちんと気にかけて心配していて。
 成瀬さんも茅野さんも、たしかに自分のことを後輩としてかわいがってくれてはいるけれど、きっと、高藤に対するほどではなくて。そういう意味で一番なわけでも、特別なわけでもなくて。
 それで、四谷には、朝比奈や岡や、中等部にいたころから仲の良い友達がいて、だから、俺が声をかける必要はなくて。

 ぐるぐると巡る思考の中で、でも、と行人は繰り返した。

 言い訳でしかないけれど、自分は、いろいろなことを同時に考えることができるほど器用ではない。四谷のこともきっと大丈夫だろうと高を括っていて、今になって急に罪悪感に駆られて押しかけているだけでしかない。
 でも、気になっていたことも、本当のつもりだ。ようやく少し親しくなった、友人として。
 苛立ったふうな舌打ちが響く。

「ちょっと前まで、なにもいらないって顔してたくせに。随分、変わったんだね、榛名は。よかったね」

 それが嫌味だとわからなかったはずもない。けれど、なにも言えなかった。
 溜息を残して扉が閉まる。その扉の前で立ち尽くすことしか、もう行人はできなかった。
 談話室の方向から響く賑やかな声が、なんだか妙に乖離している感じがした。
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