パーフェクトワールド

木原あざみ

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第三部

閑話「プロローグ」⑫

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 自室の扉を開けると、机に向かっていた成瀬が手を止めて振り返った。

「あ、おかえり」

 一片の隙もない人当たりの良い笑み。その笑顔を一瞥して、向原は浅く頷いた。溜息を呑み込んで、隣の自分の椅子を引く。
 あの夜以降、ずっとこの調子なのだ。自分には喧嘩をする気はないと主張するかのごとく、表面ばかりやたらと愛想がいい。
 その道化を続けていれば、いずれこちらが折れると踏んでいるにちがいない。

「長かったな、茅野の説教。そんなに絞られてたの?」
「べつに」
「余計な喧嘩するからだろ、やめとけばいいのに」
「……」
「本尾も、もうちょっと素直になればいいのにな。そうしたら」
「なぁ」

 遮ったのは、ほぼ無意識だった。苛立った険のある声にか、ほんの少し驚いたようにその瞳が揺れた気がした。けれど、それも一瞬のことだった。

「なに?」

 あっというまに笑顔が取り繕われていく。この二年で剥がれたはずの仮面を、きれいに付け直したそれ。
 そこに罪悪感のひとつでも浮かんでいれば、自分は満足したのだろうか。あるいは、媚や、恐れでも。

 ――でも、そうなったら、もう、こいつは認めないんだろうけどな。

 自分を自分だと。それがわかっているから、一線を越える気になれないのだろうか。

「なんでもない」

 呼びかけておいて投げやりに会話を閉じても、成瀬はしかたのない顔で苦笑しただけだった。

「なら、いいけど」

 それを最後に、視線が手元へと戻っていく。だから、深入りを避けたのはお互いさまだ。
 静かな横顔から視線を外して、小さく溜息を吐く。数週間前にこの部屋で聞いた台詞が、また思い浮かんだ。
 心底腹が立つ。けれど、本当に馬鹿馬鹿しいことに、成瀬の言った「おまえが俺になにかするわけがない」という言葉を否定できなかったことが、すべてだった。

 ――本当に、くだらない。

 恋だの愛だのといった一時の気の迷いでしかないような感情を、くだらないとずっと思っていた。
 そんなものに嵌る人間も、ましてや、その感情に付け入られるなんてことは。
 本当にくだらない。そんなものを知らなければ、どうとでもできたはずなのに。
 なにも選べないでいることが、ただただ馬鹿馬鹿しかった。

 三年前の話だ。
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