パーフェクトワールド

木原あざみ

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第三部

閑話「プロローグ」⑤

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「だから、なんだ。叩くなら、ほどほどにしとけよ」

 おざなりさを咎める調子に、ちらりと視線を向ける。念押しがあまりにもしつこかったからだ。その視線を受けて、篠原がかすかに心配そうに眉を寄せる。

「繰り返しになるけど、割り切れって言ってんの。しょうがねぇだろ」
「割り切る、か」

 べつに、このままが続くのなら、なにをする気もなかったのだが。
 それとも、そんなに自分は、「あいつ」のためならなんでもすると思われているのだろうか。

「そ。大人になれって話」

 大人、ね。言葉にはしないまま、向原は煙草をもみ消した。
 現状に、そこまでの不満はなかった。暇つぶしの賭けから始まった関係だが、あの男の言動は見ていて飽きなかったし、大言壮語としか思えなかったものを叶えていく手助けをすることも、退屈しのぎにはちょうどよかった。
 純然たる好意を信用しようとしない、心底面倒くさい男だが、それでも――だからこそ、本人も自覚していない部分が変わっていくところを見ることは、それなりに心地良かった。伝わるものもあると思えたからだ。

 ――たしかに、丸くはなったのかもな。

 自分にしても、成瀬にしても。多少は、きっと。
 だから、このままで構わない。少なくとも、このときの自分はそう思っていた。


 *


 達成感というものは、人を馬鹿にする。
 そうであると理解していたはずなのに、深みに突き進んでいくこと選んだ瞬間、負けは決まっていたのかもしれない。


「アルファだぞ、俺も」

 言うつもりのなかった台詞が、気づいたときには零れ落ちていた。苛立っていたのだ。
 らしくない感情だとわかってはいた。けれど、同時に、昨日今日で急に芽生えたものではないということもわかっていた。この二年の中で少しずつ少しずつ降り積もっていったもの。
 たとえば、あたりまえのはずの懸念も忠告も、なにひとつ受け入れようとしないところ。
 たとえば、自分なら大丈夫だという根拠のない過信を崩さないところ。
 たとえば――。

 無限に湧き上がりそうになる不満をどうにか呑み込んで、戸惑いのにじんだ瞳を見下ろす。
 自分の主張が絶対で、なにも受け入れようとせず、誰も信じない頑固な男。そうであったはずなのに、いつのまにか人を受け入れるようになって、甘い顔を、情を見せるようになった。だから、こんなふうになる。
 そんな変化なんて、なにも求めてはいなかったのに。
 ベッドに両肩を押さえて覆いかぶさったまま、答えを待つ。ふたりきりの寮の部屋に、時計の音だけが響いていた。
 完全に押さえ込んだつもりはなかった。それをわかっていて、成瀬は抵抗を示さない。
 その事実も含めて、腹が立っていた。本当になにもなかったというのなら、それはただ運が良かったというだけだ。そのことを、いいかげんに思い知ればいい。そう思っていた。

「――おまえが」

 まっすぐにこちらを見据えたまま、成瀬が口を開いた。

「俺になにかするわけないだろ」

 戸惑いもなにもかもが消えた、淡々とした静かな声。感知した瞬間に、頭が冷えた気がした。なんだ、その、薄っぺらい信頼のようなものは。
 ずっとくすぶっていた腹立ちも焦燥も消えて、それでも消え切らなかった諦めが底にこびりついている。
 自分ばかりがまともにとり合おうとしている事実も馬鹿らしくて、言い返す気も起きない。あるいは、この感情を虚しいとでも評せばよかったのだろうが。
 成瀬は目を逸らさなかった。こちらが折れると知っているのだ。その確信がどこからきているのか。わかりたくもないのにわかってしまって、向原は笑った。

「そうかもな」

 本尾が押さえつけてる手を離したら、あいつらなにするかわかんねぇだろ。
 だから嫌なんだ、と篠原は言っていた。そう昔のことではない。数ヶ月前のことだ。成瀬が絡んでいるからと言って下手に潰そうとするなよ、とも。
 べつに、なにをするつもりもなかった。本当だ。たった今までは。

 ――あいつ、絶対オメガだって。
 ――それはないだろ。っつか、あれがオメガだったら、自信喪失するわ。
 ――っつか、おまえ、ただ単にやりたいだけだろ。

 あの顔、好きだって言ってただろ。そう嗤われていたことを、成瀬は知っていたはずだ。
 その話を聞いたとき、馬鹿だなと他人ごとのていで、この男は隣で笑っていた。
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