パーフェクトワールド

木原あざみ

文字の大きさ
上 下
302 / 484
第三部

パーフェクト・ワールド・ゼロⅣ ④

しおりを挟む
「そんなつもりはなかったですよ」

 振り向くことなく、そう告げて、ドアノブに手をかける。できることなら戻ってきたくなかったことは事実ではあるけれど。

「今度は高藤さんのところ? まぁ、構わないけれど。――あぁ、そういえば、このあいだあなたの言うところの『うち』にお邪魔したときね、皓太くんにも会ったのよ」

 飛び出した名前に、堪えきれず振り返る。嫌な感じしかしなかったのだ。

「大きくなっていて驚いたわ。いつまでも小さな子どもじゃないのね。だから、皓太くんでもいいのよ」
「……は?」
「私としては、鼎くんをおすすめしたいけれど。皓太くんも立派なアルファだもの。昔からあなたに懐いていたわけだしちょうど――」

 気がついたときには、がん、と壁が大きな音を立てていた。

「冗談でも」

 拳を下ろして、成瀬は努めて静かな声を出した。いくら母親とは言え、力で勝ててしまう相手に誇示してしまったような罪悪感がひしひしと湧いてくる。

「言っていいことと悪いことがあるでしょう」
「あなたもそんな顔をするのね」
「……あなたがさせたんでしょう」
「そうね。でも、少し前までのあなたなら、そんな突発的な行動に出なかったのではないかしら」

 そうだとも違うとも言えなかったのは、思い当たる節がいくつもあったからだ。
 ここ最近、なにかおかしいのではないかと問われたことは、一度や二度ではない。そのたびに、なんでもないで誤魔化し続けていたけれど。
 認められるわけのない「限界」という言葉が、ぐわりと脳内に反響し始めている気がした。

「私はね、オメガが嫌いなの。嫌いな理由はいくつもあるけれど、そのうちのひとつが、そういった情緒不安定さなの」

 勝ち誇った笑みを浮かべて、母がすっと指を掲げた。その爪先はまっすぐにこちらを射抜いている。

「随分と、みっともない顔をしてるわよ」

 なにひとつ反論できなかった。

「感情に呑まれるな。そう私が言い続けてあげたことも、もう忘れてしまったのかしら」




 ――みっともない顔、か。

 していたのだろうなという自覚は、辛うじてあった。つい先ほどというだけの話ではなく、この一、二ヶ月の話だ。
 自分で自分をコントロールできない状況が、成瀬は一番嫌いだ。それなのに、あの日――みっともなくバランスを崩した日からずっと、自分の中のなにかはどこか不安定で、それを許せないでいる。
 夏真っ盛りの外は、ひどく暑く蒸していた。家のあたりを意味もなくふらりと出歩くことは、随分とひさしぶりだった。
 もうずっと用事以外で戻ってきてはいなかったし、長居しようともしていなかったからだ。無意識に、あの学園の寮を「うち」と表現してしまったくらいには、自分にとって実家は遠い場所になっていた。

 ――まぁ、だからって、皓太の家に行こうとはいまさら思わないけど。

 あの家をある種の逃げ場にしていたのは、もっとずっと幼いころの話だ。
 皓太にしても、自分のあとを無条件についてきていた子どもではない。こちらに戻ってきてまで顔を合わせたくはないだろう。
 そう決めて、適当に駅のほうに向かおうとしていた足が、近づいてきた車の気配で止まる。
 歩道脇に停車した車の運転席の窓が下りる。見覚えのない高級車だったが、覗いた顔は、見覚えのあるものだった。

「ひさしぶりだな、祥平」

 近所に住んでいる大学生だ。見覚えがないから、きっとまた親に買ってもらった車なのだろう。大学生、というのも、自分が知らないうちに退学になっていなければ、という前提ではあるのだが。
 面倒な人に絡まれたな、という内心には蓋をして、にこりと愛想よくほほえむ。人当たりの良い人間を演じるのは、半ば条件反射に近かった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

別に、好きじゃなかった。

15
BL
好きな人が出来た。 そう先程まで恋人だった男に告げられる。 でも、でもさ。 notハピエン 短い話です。 ※pixiv様から転載してます。

花婿候補は冴えないαでした

いち
BL
バース性がわからないまま育った凪咲は、20歳の年に待ちに待った判定を受けた。会社を経営する父の一人息子として育てられるなか結果はΩ。 父親を困らせることになってしまう。このまま親に従って、政略結婚を進めて行こうとするが、それでいいのかと自分の今後を考え始める。そして、偶然同じ部署にいた25歳の秘書の孝景と出会った。 本番なしなのもたまにはと思って書いてみました! ※pixivに同様の作品を掲載しています

金の野獣と薔薇の番

むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎ 止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。 彼は事故により7歳より以前の記憶がない。 高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。 オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。 ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。 彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。 その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。 来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。 皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……? 4/20 本編開始。 『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。 (『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。) ※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。 【至高のオメガとガラスの靴】  ↓ 【金の野獣と薔薇の番】←今ココ  ↓ 【魔法使いと眠れるオメガ】

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

サンタからの贈り物

未瑠
BL
ずっと片思いをしていた冴木光流(さえきひかる)に想いを告げた橘唯人(たちばなゆいと)。でも、彼は出来るビジネスエリートで仕事第一。なかなか会うこともできない日々に、唯人は不安が募る。付き合って初めてのクリスマスも冴木は出張でいない。一人寂しくイブを過ごしていると、玄関チャイムが鳴る。 ※別小説のセルフリメイクです。

暑がりになったのはお前のせいかっ

わさび
BL
ただのβである僕は最近身体の調子が悪い なんでだろう? そんな僕の隣には今日も光り輝くαの幼馴染、空がいた

Ωの不幸は蜜の味

grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。 Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。 そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。 何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。 6千文字程度のショートショート。 思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。

表情筋が死んでいる

白鳩 唯斗
BL
無表情な主人公

処理中です...