262 / 484
第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅡ 7 ③
しおりを挟む
成瀬の声に露骨なまでの険が混ざったことに気づいて、皓太は手を止めた。存在を消そうとしていことを忘れて、視線を向ける。珍しかったからだ。
その横顔は、いつもと変わらないものに見えたけれど、どちらにしても、珍しい。
――揉めた相手って、本尾先輩だったのかな、もしかして。
仲が良いとは口が裂けても言わないが、わかりやすくパフォーマンスでない喧嘩をする人ではないはずなのだが。
各委員会の代表が集まる臨時の代表会議だったのだから、同席していても不思議はなにもないのだけれど。そこまで険悪になるような議題、と考えたところで、皓太はぎこちなく視線を動かした。
向原は先ほど見たときといっさい変わらない、――話を聞いているのかいないのかわからない態度で、淡々とファイルを眺めている。
そう、本当にふたりともいつもどおりではあるのだ。少なくとも、表面上は。
ただなぁ、と思ってしまうのは、耳にしたばかりの露骨な声がいい例で、成瀬の長いはずの導火線が短くなっている気がするからだ。向原は向原で、と思ったところで、ふっと向原が笑った。
「なら、もっとわかりやすく庇ってやろうか?」
その瞬間、成瀬の顔から笑みが消えた。普段との落差も相まって、目が怖い。
――本気できてるな、これ。
導火線が短くなっているような、云々という話ではなく。
幼いころから知っているから、よくわかってしまった。
そうすべきだという判断のもと、いかにもアルファらしい威圧的な振る舞いをすることはあっても、感情的に怒るようなことはほとんどない人だったので。
つまるところ、抜群に感情コントロールがうまいのだ。とりわけ、自分がそばにいるときは。
それが、これである。完全に成瀬の中で自分の存在が抜け落ちている。
何度目になるのかわからない溜息を呑み込んで、皓太は傍観を決め込んだ。みささぎ祭のときに、本尾と揉めている場面に遭遇したことがあったが、あのときの数倍は嫌だ。
「向原」
気を取り直したように、にこりと成瀬がほほえむ。
「俺がいるって言うと思ってる?」
うわ、こわ。一瞬で吹き荒れたブリザードに、篠原に「どうにかしてくれ」と目で訴える。
巻き込まれたくない気持ちはわかるが、もとはと言えば篠原にも原因はあると思う。無言の攻防の末に、篠原がしかたなさそうに「成瀬」と声をかけた。その指先が、存在を主張するように机をたたく。
「なに……」
「皓太」
「……」
「忘れてただろ、おまえ」
沈黙のあとに向けられた気まずげな笑みが答えだった。忘れてた。忘れてた、か。
自分でも、そうだろうなとは思っていたけれど。
「どうかしたんですか?」
会議でなにかあった、とか。当たり障りのなさそうなところを選んで、皓太はそう問いかけた。場の空気を変えたかっただけだ。
けれど、成瀬からまともな応えは返ってこなかった。
「なんでもない」
気まずさの消えたいつもの笑顔で言い切って、「皓太が気にすることじゃないよ」と続ける。まったくのいつもどおりであることが、逆にものすごく空々しい。
どうとも言えないでいるうちに、成瀬が席を立った。
「ちょっと頭冷やしてくる」
「おい、成瀬」
「廊下」
振り返りもしないまま篠原に告げたのを最後に、ドアが閉まる。取り残されるかたちになって、皓太はちらりとふたりを見比べた。
静かにファイルに目を通している横顔からは、なにを考えているのかは読み取れそうになかった。その向原に対しても、篠原が呆れた声を向ける。
「向原。おまえも、あいつ最近ピリピリしてんだから、あんまり挑発して遊んでやるなよ」
もっともだなと思ったのだが、向原は「だからだろ」と言ってのけただけだった。視線は変わらず手元にばかり注がれている。
「だからって……」
「まぁ、なんというか、いいかげん見飽きたんだよな、あの顔」
「そりゃ五年も見てたらどんな顔でも見飽きるだろうよ」
「そうじゃねぇよ」
疲れたような突っ込みを一蹴して、向原はただ淡々と続けた。
「あの似非くさい顔。潰したい」
その横顔は、いつもと変わらないものに見えたけれど、どちらにしても、珍しい。
――揉めた相手って、本尾先輩だったのかな、もしかして。
仲が良いとは口が裂けても言わないが、わかりやすくパフォーマンスでない喧嘩をする人ではないはずなのだが。
各委員会の代表が集まる臨時の代表会議だったのだから、同席していても不思議はなにもないのだけれど。そこまで険悪になるような議題、と考えたところで、皓太はぎこちなく視線を動かした。
向原は先ほど見たときといっさい変わらない、――話を聞いているのかいないのかわからない態度で、淡々とファイルを眺めている。
そう、本当にふたりともいつもどおりではあるのだ。少なくとも、表面上は。
ただなぁ、と思ってしまうのは、耳にしたばかりの露骨な声がいい例で、成瀬の長いはずの導火線が短くなっている気がするからだ。向原は向原で、と思ったところで、ふっと向原が笑った。
「なら、もっとわかりやすく庇ってやろうか?」
その瞬間、成瀬の顔から笑みが消えた。普段との落差も相まって、目が怖い。
――本気できてるな、これ。
導火線が短くなっているような、云々という話ではなく。
幼いころから知っているから、よくわかってしまった。
そうすべきだという判断のもと、いかにもアルファらしい威圧的な振る舞いをすることはあっても、感情的に怒るようなことはほとんどない人だったので。
つまるところ、抜群に感情コントロールがうまいのだ。とりわけ、自分がそばにいるときは。
それが、これである。完全に成瀬の中で自分の存在が抜け落ちている。
何度目になるのかわからない溜息を呑み込んで、皓太は傍観を決め込んだ。みささぎ祭のときに、本尾と揉めている場面に遭遇したことがあったが、あのときの数倍は嫌だ。
「向原」
気を取り直したように、にこりと成瀬がほほえむ。
「俺がいるって言うと思ってる?」
うわ、こわ。一瞬で吹き荒れたブリザードに、篠原に「どうにかしてくれ」と目で訴える。
巻き込まれたくない気持ちはわかるが、もとはと言えば篠原にも原因はあると思う。無言の攻防の末に、篠原がしかたなさそうに「成瀬」と声をかけた。その指先が、存在を主張するように机をたたく。
「なに……」
「皓太」
「……」
「忘れてただろ、おまえ」
沈黙のあとに向けられた気まずげな笑みが答えだった。忘れてた。忘れてた、か。
自分でも、そうだろうなとは思っていたけれど。
「どうかしたんですか?」
会議でなにかあった、とか。当たり障りのなさそうなところを選んで、皓太はそう問いかけた。場の空気を変えたかっただけだ。
けれど、成瀬からまともな応えは返ってこなかった。
「なんでもない」
気まずさの消えたいつもの笑顔で言い切って、「皓太が気にすることじゃないよ」と続ける。まったくのいつもどおりであることが、逆にものすごく空々しい。
どうとも言えないでいるうちに、成瀬が席を立った。
「ちょっと頭冷やしてくる」
「おい、成瀬」
「廊下」
振り返りもしないまま篠原に告げたのを最後に、ドアが閉まる。取り残されるかたちになって、皓太はちらりとふたりを見比べた。
静かにファイルに目を通している横顔からは、なにを考えているのかは読み取れそうになかった。その向原に対しても、篠原が呆れた声を向ける。
「向原。おまえも、あいつ最近ピリピリしてんだから、あんまり挑発して遊んでやるなよ」
もっともだなと思ったのだが、向原は「だからだろ」と言ってのけただけだった。視線は変わらず手元にばかり注がれている。
「だからって……」
「まぁ、なんというか、いいかげん見飽きたんだよな、あの顔」
「そりゃ五年も見てたらどんな顔でも見飽きるだろうよ」
「そうじゃねぇよ」
疲れたような突っ込みを一蹴して、向原はただ淡々と続けた。
「あの似非くさい顔。潰したい」
11
お気に入りに追加
141
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
花婿候補は冴えないαでした
いち
BL
バース性がわからないまま育った凪咲は、20歳の年に待ちに待った判定を受けた。会社を経営する父の一人息子として育てられるなか結果はΩ。 父親を困らせることになってしまう。このまま親に従って、政略結婚を進めて行こうとするが、それでいいのかと自分の今後を考え始める。そして、偶然同じ部署にいた25歳の秘書の孝景と出会った。
本番なしなのもたまにはと思って書いてみました!
※pixivに同様の作品を掲載しています
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
金の野獣と薔薇の番
むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。
彼は事故により7歳より以前の記憶がない。
高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。
オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。
ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。
彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。
その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。
来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。
皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……?
4/20 本編開始。
『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。
(『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。)
※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。
【至高のオメガとガラスの靴】
↓
【金の野獣と薔薇の番】←今ココ
↓
【魔法使いと眠れるオメガ】
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
Ωの不幸は蜜の味
grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。
Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。
そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。
何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。
6千文字程度のショートショート。
思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
サンタからの贈り物
未瑠
BL
ずっと片思いをしていた冴木光流(さえきひかる)に想いを告げた橘唯人(たちばなゆいと)。でも、彼は出来るビジネスエリートで仕事第一。なかなか会うこともできない日々に、唯人は不安が募る。付き合って初めてのクリスマスも冴木は出張でいない。一人寂しくイブを過ごしていると、玄関チャイムが鳴る。
※別小説のセルフリメイクです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる