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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅡ 2 ⑦
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でも、と成瀬は淡々と言い諭すように続けた。
「おまえも知ってるだろ。向原は、納得しないことは絶対にやらない。だから、怒ってはいても、今のこれには、ある程度納得してると思うよ」
それが利害の一致、とほほえむと、いろんなものを呑み込んだような溜息を吐かれてしまった。楓寮のことといい、気苦労ばかりで大変そうだ。べつに、自分たちのことについては心配してもらう必要はないのだが。
もういいだろうと話を終わらせることに決めて、前を向く。あと五分ほどでチャイムが鳴るという時間だった。
興味本位の視線なんてなにひとつも気にしていない、という態度をとることも、ずっと得意だった。けれど、今の自分は、近寄りづらい顔をしているかもしれない。
――まぁ、いいんだけど、べつに、それも。
第三者の目に映る自分が強いアルファでさえあれば、問題はないのだ。こぼれそうになった溜息を呑み込む。ふと頭に過ったのは、昨日の夜のことだった。
昨日の夜、たしかに向原と話はした。
茅野が望んだような「話し合い」ではなかっただろうし、篠原が言った「一方的なもの」に近かったかもしれない。
ただ、自分としては最低限の誠意は果たしたつもりでいる。最低限の誠意として、自分の本音に近いものを伝えた。それをどう判断するかは、向こうがすることだ。
俺はここで折れるわけにはいかない、と告げたとき、同席していた茅野は呆れた顔を隠さなかったし、珍しくハラハラした顔もしていた。向原が切れ出さないか、気が気ではなかったのだろう。
言葉は選べと言いたげな視線は無視して、成瀬は言い募った。そもそもで言えば、同席も自分が頼んだことではない。大喧嘩をされてはかなわないというから、提案を受け入れたというだけだ。
「一応、俺の都合しか言ってない自覚はあるから、悪いとは思ってる」
「とは」
「そう。とは。思ってはいる。でも、意見を変えるつもりもない」
ここで言った、折れる、ということは、自分がアルファではないことを認める、という意味に近かった。
いまさらだろうと思われていたとしても、認めることはどうしたって自分にはできない。アルファではない自分は、自分ではないからだ。
だから、と一言も発す気のない態度の男に向かって、改めて告げる。
「前にも言ったとおり、俺はアルファとしてここを卒業する」
絶対に成し遂げないとならないことで、何度か言った覚えもあるものだった。そのために力を貸してくれていたことも、知っていた。
じっとこちらを見ていた冷めた瞳が呆れたふうに逸れていって、堪え切れなかったように失笑する。返事はそれだけだった。
刺激されたのは、自分の中に残っていたわずかな罪悪感だった。
判断をするのは向こうで、自分は伝えるだけ。そう考えていたきれいごとの裏側で、「断られない」と踏んでいたことも、すべて見透かされている気がした。
――俺が、おまえを好きだから?
――おまえ、なんだかんだ言って高括ってるよな、俺がなにもしないって。
あぁ、思ってるよ。心のうちで、そう答える。言われたときに答えられなかったのは、まちがいなく図星だったからだ。
打算ばかりで生きている俺と違って、おまえは優しいから。それで、――俺は、ずっとそれに甘えていた。その自覚も、一応はあった。長いあいだ目を背けていた、というだけで。
――アルファだったらよかったのにな、おまえも。
皮肉まじりだったそれも、自分が言わせたものだとわかっていた。本当にそうだったらよかった、とは心の底から思っているけれど。もし、そうだったら、きっとこんな歪な関係にはなっていなかった。
俺だって、こんな関係になりたかったわけじゃなかった。
溜息を呑み込んで、空席が目立つままの教室にもう一度目を向ける。この分だと、今日はもう教室には戻ってこないつもりかもしれない。
自分にないものすべてを持っている男。成瀬は向原のことをずっとそう思っていた。
自分が望まれて、けれど成し得なかったもの、すべて。
誰の目から見てもそうであるはずなのに、茅野も、篠原も、「そんなことはない」と何度も諭すように言ってくる。そういった一面もたしかにあるかもしれないが、それだけではないだろう、と。
適当に受け流し続けていたが、その台詞を聞くのはあまり好きではなかった。まるで、アルファだから、ということではなく、一個人として見てやれ、と説教されているみたいで。
――でも、そんなことを言えるのは、あいつと同じ側だからだろ。
だから、余裕があるから、そんなことが言えるのだ。そんなふうに一個人としてのことなんて、考えたくもない。余計なことは、なにひとつ。
――あいつが。
思い切るように、あるいは言い聞かせるように。成瀬は自身に繰り返した。なにも考えたくはない。
あいつがなにを求めているのかなんて、俺は知りたくもないし、考えたくもない。
「おまえも知ってるだろ。向原は、納得しないことは絶対にやらない。だから、怒ってはいても、今のこれには、ある程度納得してると思うよ」
それが利害の一致、とほほえむと、いろんなものを呑み込んだような溜息を吐かれてしまった。楓寮のことといい、気苦労ばかりで大変そうだ。べつに、自分たちのことについては心配してもらう必要はないのだが。
もういいだろうと話を終わらせることに決めて、前を向く。あと五分ほどでチャイムが鳴るという時間だった。
興味本位の視線なんてなにひとつも気にしていない、という態度をとることも、ずっと得意だった。けれど、今の自分は、近寄りづらい顔をしているかもしれない。
――まぁ、いいんだけど、べつに、それも。
第三者の目に映る自分が強いアルファでさえあれば、問題はないのだ。こぼれそうになった溜息を呑み込む。ふと頭に過ったのは、昨日の夜のことだった。
昨日の夜、たしかに向原と話はした。
茅野が望んだような「話し合い」ではなかっただろうし、篠原が言った「一方的なもの」に近かったかもしれない。
ただ、自分としては最低限の誠意は果たしたつもりでいる。最低限の誠意として、自分の本音に近いものを伝えた。それをどう判断するかは、向こうがすることだ。
俺はここで折れるわけにはいかない、と告げたとき、同席していた茅野は呆れた顔を隠さなかったし、珍しくハラハラした顔もしていた。向原が切れ出さないか、気が気ではなかったのだろう。
言葉は選べと言いたげな視線は無視して、成瀬は言い募った。そもそもで言えば、同席も自分が頼んだことではない。大喧嘩をされてはかなわないというから、提案を受け入れたというだけだ。
「一応、俺の都合しか言ってない自覚はあるから、悪いとは思ってる」
「とは」
「そう。とは。思ってはいる。でも、意見を変えるつもりもない」
ここで言った、折れる、ということは、自分がアルファではないことを認める、という意味に近かった。
いまさらだろうと思われていたとしても、認めることはどうしたって自分にはできない。アルファではない自分は、自分ではないからだ。
だから、と一言も発す気のない態度の男に向かって、改めて告げる。
「前にも言ったとおり、俺はアルファとしてここを卒業する」
絶対に成し遂げないとならないことで、何度か言った覚えもあるものだった。そのために力を貸してくれていたことも、知っていた。
じっとこちらを見ていた冷めた瞳が呆れたふうに逸れていって、堪え切れなかったように失笑する。返事はそれだけだった。
刺激されたのは、自分の中に残っていたわずかな罪悪感だった。
判断をするのは向こうで、自分は伝えるだけ。そう考えていたきれいごとの裏側で、「断られない」と踏んでいたことも、すべて見透かされている気がした。
――俺が、おまえを好きだから?
――おまえ、なんだかんだ言って高括ってるよな、俺がなにもしないって。
あぁ、思ってるよ。心のうちで、そう答える。言われたときに答えられなかったのは、まちがいなく図星だったからだ。
打算ばかりで生きている俺と違って、おまえは優しいから。それで、――俺は、ずっとそれに甘えていた。その自覚も、一応はあった。長いあいだ目を背けていた、というだけで。
――アルファだったらよかったのにな、おまえも。
皮肉まじりだったそれも、自分が言わせたものだとわかっていた。本当にそうだったらよかった、とは心の底から思っているけれど。もし、そうだったら、きっとこんな歪な関係にはなっていなかった。
俺だって、こんな関係になりたかったわけじゃなかった。
溜息を呑み込んで、空席が目立つままの教室にもう一度目を向ける。この分だと、今日はもう教室には戻ってこないつもりかもしれない。
自分にないものすべてを持っている男。成瀬は向原のことをずっとそう思っていた。
自分が望まれて、けれど成し得なかったもの、すべて。
誰の目から見てもそうであるはずなのに、茅野も、篠原も、「そんなことはない」と何度も諭すように言ってくる。そういった一面もたしかにあるかもしれないが、それだけではないだろう、と。
適当に受け流し続けていたが、その台詞を聞くのはあまり好きではなかった。まるで、アルファだから、ということではなく、一個人として見てやれ、と説教されているみたいで。
――でも、そんなことを言えるのは、あいつと同じ側だからだろ。
だから、余裕があるから、そんなことが言えるのだ。そんなふうに一個人としてのことなんて、考えたくもない。余計なことは、なにひとつ。
――あいつが。
思い切るように、あるいは言い聞かせるように。成瀬は自身に繰り返した。なにも考えたくはない。
あいつがなにを求めているのかなんて、俺は知りたくもないし、考えたくもない。
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