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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅡ 1 ④
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無意味だ、と言い捨てた向原の声が思い浮かんで、思わず成瀬に目を向ける。なにがあったのかは知らない。けれど、今の彼の言葉には過大なプラスの感情もマイナスの感情もなにも含まれていなかった。
さらりとした口調のまま、言い諭すように成瀬が続ける。
「入学して、まだ三ヶ月だもんね。知らなくてもしかたがないけど、そういう噂は、ここでは昔から好き勝手に流れてるんだ。まぁ、あまり趣味がいいとは思わないけど」
「好き勝手に流れる噂、ですか」
「そう。だから、真に受け過ぎないほうがいいよ。きみと本尾がなにを話そうがどうでもいいけどね」
「どうでもいいって、なんだか冷たい言い方ですね、会長」
「そうかな」
「そうですよ」
僕のことが嫌いだからそういう言い方をするんでしょう。そう水城が匂わせても、成瀬は対応を変えなかった。「じゃあ、そうだな」と苦笑まじりに口を開く。
「そこまで言うなら、ひとつだけ冷たくないお節介をしようかな。俺はね、きみの同好会と風紀がどう結託しようが一線を超えない限りは口を出す気はなかったんだ」
でもね、と優しいとすら思える口調のまま、彼は言い切った。
「きみじゃ無理だ」
「……どういうことですか」
「痛い目を見るのはきみになると忠告してる。前にも言ったと思うけど、あまり自分を過信しないほうがいい。アルファを操れる、なんていうふうにね」
口元に笑みをたたえたまま、水城はじっと成瀬を見つめていた。その瞳からは、先ほどまでの悲しそうな色はすっかりと立ち消えている。
行人は、アルファを操れるなんて考えたこともなかった。だって、オメガはアルファには敵わない生き物だから。アルファは恐ろしい存在だから。
大半のオメガは自分と同じ思いのはずだ。けれど、水城はそうではない。あの入学式の朝、自分のことを堂々とオメガだと宣言してみせた水城は違う。
捕食されるだけの存在になるつもりなんてなかったから、公言することができたのだ。
「あいつは、きみの言うことならなんでも聞く忠実なきみのアルファとは同じじゃない」
「会長は、随分と高く本尾先輩のことを買ってらっしゃるんですね。でも、ご心配なく。僕たちとても仲良くやってるんです」
だから、と水城はにこりとほほえんだ。
「その本尾先輩が教えてくれたことだから、てっきり事実だとばかり。それに、――あなたからはずっと僕と同じ匂いがすると思ってましたから」
「同じ匂い?」
「えぇ。同じ仲間のことは匂いですぐにわかるんです。でも、違ったのなら謝ります。失礼なことを言いました」
「違う、違わないなんて話は、俺はしてないよ。そもそもとして、オメガだったら失礼だというのもおかしな話だと思うし」
成瀬の受け答えは一貫して穏やかなものだった。水城が買わせようとしている喧嘩にもいっさいの反応を示していない。
それなのに、なぜだか心がざわついてしかたがなかった。言葉の節々で「本当はオメガのくせに」と匂わせている水城に対する苛立ちや怒りではない。ひっそりと、けれど確実に自分は恐れを感じている。いつも穏やかで公正で優しい人であるはずの、成瀬に。
「俺が気に食わないのは、きみが失礼だと思ってる――世間一般的に見てもデリケートだとされる問題を、わざわざ人目のある場所を選んで尋ねてくる、無神経さかな」
「そんな……!」
傷ついた表情を隠さず、水城が下を向く。それでも、成瀬は言葉をゆるめなかった。
「無神経だという言い方が不本意なら、姑息だと言い換えてもいいけど」
うつむいたままの水城の肩に、近くにいた生徒が慰めるように手を伸ばそうとする。その手を打ち払うようなタイミングで、水城は顔を上げた。
まっすぐに成瀬を見据える瞳に傷つきはどこにもない。あるのは、冷たい嫌悪だけだった。
「あなたにとって、オメガは随分と下等な生き物のようですね」
「大嫌いだよ。オメガだろうが、アルファだろうが、第二の性を盾に好き勝手に画策する人間はね」
ぴたりと雑音が消えた気がした。ほかの生徒たちと同じように、成瀬を見つめることしかできない。
中等部に入ってすぐのころから、行人はずっと成瀬を見ていた。追いかけていた。けれど、この人が、こんなふうに特定の誰かを糾弾する場面を見たことは一度もなかった。見ることもないと思っていた。
今、この瞬間までは。
さらりとした口調のまま、言い諭すように成瀬が続ける。
「入学して、まだ三ヶ月だもんね。知らなくてもしかたがないけど、そういう噂は、ここでは昔から好き勝手に流れてるんだ。まぁ、あまり趣味がいいとは思わないけど」
「好き勝手に流れる噂、ですか」
「そう。だから、真に受け過ぎないほうがいいよ。きみと本尾がなにを話そうがどうでもいいけどね」
「どうでもいいって、なんだか冷たい言い方ですね、会長」
「そうかな」
「そうですよ」
僕のことが嫌いだからそういう言い方をするんでしょう。そう水城が匂わせても、成瀬は対応を変えなかった。「じゃあ、そうだな」と苦笑まじりに口を開く。
「そこまで言うなら、ひとつだけ冷たくないお節介をしようかな。俺はね、きみの同好会と風紀がどう結託しようが一線を超えない限りは口を出す気はなかったんだ」
でもね、と優しいとすら思える口調のまま、彼は言い切った。
「きみじゃ無理だ」
「……どういうことですか」
「痛い目を見るのはきみになると忠告してる。前にも言ったと思うけど、あまり自分を過信しないほうがいい。アルファを操れる、なんていうふうにね」
口元に笑みをたたえたまま、水城はじっと成瀬を見つめていた。その瞳からは、先ほどまでの悲しそうな色はすっかりと立ち消えている。
行人は、アルファを操れるなんて考えたこともなかった。だって、オメガはアルファには敵わない生き物だから。アルファは恐ろしい存在だから。
大半のオメガは自分と同じ思いのはずだ。けれど、水城はそうではない。あの入学式の朝、自分のことを堂々とオメガだと宣言してみせた水城は違う。
捕食されるだけの存在になるつもりなんてなかったから、公言することができたのだ。
「あいつは、きみの言うことならなんでも聞く忠実なきみのアルファとは同じじゃない」
「会長は、随分と高く本尾先輩のことを買ってらっしゃるんですね。でも、ご心配なく。僕たちとても仲良くやってるんです」
だから、と水城はにこりとほほえんだ。
「その本尾先輩が教えてくれたことだから、てっきり事実だとばかり。それに、――あなたからはずっと僕と同じ匂いがすると思ってましたから」
「同じ匂い?」
「えぇ。同じ仲間のことは匂いですぐにわかるんです。でも、違ったのなら謝ります。失礼なことを言いました」
「違う、違わないなんて話は、俺はしてないよ。そもそもとして、オメガだったら失礼だというのもおかしな話だと思うし」
成瀬の受け答えは一貫して穏やかなものだった。水城が買わせようとしている喧嘩にもいっさいの反応を示していない。
それなのに、なぜだか心がざわついてしかたがなかった。言葉の節々で「本当はオメガのくせに」と匂わせている水城に対する苛立ちや怒りではない。ひっそりと、けれど確実に自分は恐れを感じている。いつも穏やかで公正で優しい人であるはずの、成瀬に。
「俺が気に食わないのは、きみが失礼だと思ってる――世間一般的に見てもデリケートだとされる問題を、わざわざ人目のある場所を選んで尋ねてくる、無神経さかな」
「そんな……!」
傷ついた表情を隠さず、水城が下を向く。それでも、成瀬は言葉をゆるめなかった。
「無神経だという言い方が不本意なら、姑息だと言い換えてもいいけど」
うつむいたままの水城の肩に、近くにいた生徒が慰めるように手を伸ばそうとする。その手を打ち払うようなタイミングで、水城は顔を上げた。
まっすぐに成瀬を見据える瞳に傷つきはどこにもない。あるのは、冷たい嫌悪だけだった。
「あなたにとって、オメガは随分と下等な生き物のようですね」
「大嫌いだよ。オメガだろうが、アルファだろうが、第二の性を盾に好き勝手に画策する人間はね」
ぴたりと雑音が消えた気がした。ほかの生徒たちと同じように、成瀬を見つめることしかできない。
中等部に入ってすぐのころから、行人はずっと成瀬を見ていた。追いかけていた。けれど、この人が、こんなふうに特定の誰かを糾弾する場面を見たことは一度もなかった。見ることもないと思っていた。
今、この瞬間までは。
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