パーフェクトワールド

木原あざみ

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第三部

パーフェクト・ワールド・エンド19 ①

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[19]


 甘い、匂いがする。大嫌いなオメガの、甘い香り。

 鼻についたその匂いに、向原は目を眇めた。無作為にアルファを誘うフェロモンは、着色料まみれの菓子に似ている。
 胸やけを起こしそうな甘ったるい香りが、昔から好きではなかった。その匂いを利用して近づいてくるオメガも嫌いで、いつしか警戒することを覚えた。
 だから、なのだろうか。それとも持って生まれた特性だったのだろうか。どちらかは知れないが、自分はオメガを嗅ぎ分ける能力が高かったらしい。……ということを、向原はこの学園に入ってから知った。
 アルファのくせに、オメガをすぐに判別できない人間が馬鹿みたいにいたからだ。
 ベータならまだしも、アルファが、オメガの男を「あいつはアルファだ」と言う。
 馬鹿だろう、と心底呆れた。もう五年以上前のことだ。けれど、それだけで、それ以上のなにかをする気は少しもなかったのだ。
 自分に害がないのなら、どうでもよかったから。

 ――どうでもいいままでいたほうが、よかったんだろうけどな。

 そうしたら、変わらず楽なままだっただろうに。自分自身にうんざりとしながらも、向原は足を止めた。
 こちらに近づいてきているのは、よく知る匂いだった。

 不自然に一度途切れた足音に、向原は唇をゆがめた。この距離になるまでこちらの気配に気づいていなかったことに、単純に呆れたからだ。

 ――どこに敵がいてもおかしくないって考えないから、そうなるんだろうが。

 苛立ちを抱えたまま、胸中で吐き捨てる。
 激しい劣等感の裏返しのように、並みのアルファに負けないと思い込んでいる。だから自分は大丈夫なのだという主張は、こちらがなにを諭そうとも覆らなかった。
 問題はないと繰り返すばかりの頑なな笑顔を前に、そんなわけはないだろうと思っていたけれど。
 たしかに、通常であれば問題はないかもしれない。けれど、そうでない場合もあるはずだ。たとえば、――フェロモンのコントロールを失ったときだとか。
 だから、気をつけろと言っていたのだ。その忠告をまともに受け取ろうともしなかった男に向かって、向原は静かに呼びかけた。

「成瀬」

 半ば呆然とこちらを凝視していた視線が、そこでようやく足元に逸れる。

「っ、なんで、こう……会いたくないやつばっかり」

 心底いやそうに呟いて踵を返そうとした成瀬に手を伸ばす。掴んだ腕は異常に熱かった。その腕が手の中でかすかに震える。
 らしくなさに驚いたのは、本人も同じだったらしい。落ち着けるように小さく息を吐く。続いたのは感情を押し殺した低い声だった。

「離せ」
「それでおまえはどこに行くって?」
「おまえが……」

 呆れたように言ってやっても、視線は一度も合わなかった。

「おまえがいないところだったら、どこでもいい」

 掴んでいた指先に、ぐっと力が入る。けれど、前髪の隙間からのぞいた表情は、なにひとつ変わっていなかった。
 最後の意地だと言わんばかりの、抑えた声音が要求を繰り返す。

「だから、離せって」
「成瀬」
「関係ねぇだろ、おまえには」

 この状況で、よくそういうこと言えるよな。呆れ切ったまま、向原はもう一度呼びかけた。

「……だから、なんなんだよ」

 少しの間のあとで、成瀬が顔を上げる。いかにも億劫そうであった以外は、いつもと同じだった。同じ、アルファの生徒会長の顔。見分するように視線を滑らせて、「来い」と言い放つ。
 もううんざりだった。
 あからさまな命令口調に、不快そうに成瀬が眉を寄せる。口を開こうとしたのを遮って、向原は言葉を重ねた。

「担ぎ上げられたくなかったら、着いてこいって言ってんだよ」

 それとも、と脅すように周囲を見渡す。授業中だといっても、完全に人がいないわけではない。

「ここで揉めたいのか」

 馬鹿みたいにプライドの高いこの男が、そんな状況を望むわけがないと知っていた。
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