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第三部
パーフェクト・ワールド・エンド15 ①
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[15]
「あなたは私と同じだと思っていたから、少し驚いちゃったわ」
咎める軽やかな声に、向原は小さく苦笑を返した。頼りない外灯が照らす薄暗い夜道に、ヒールの音が響く。
昔と違って夜に抜け出すような生徒もいない今、外はひどく静かだった。
「ご期待に沿えなかったのなら、申し訳なかったですね」
「いいのよ。でも、私がなにを考えているのか、わかってはいるでしょう?」
謎解きのような言葉と一緒に、足音が止まった。車を待たせている、という門扉のすぐ近くだ。くるりと振り向いた顔には、自信に満ちたアルファそのものの笑みが浮かんでいた。
「私は、オメガが大嫌い。なぜだかわかる?」
「アルファに依存しないと、生きていけない生き物だからでしょう」
直接聞いたことはない。あの男は、アルファもオメガも平等だという態度を最後まで崩さなかったから。けれど、そう思っていることは、知っていた。
そうよ、と満足そうに頷く表情は、やはり、よく似ていた。
「優秀なアルファを捕まえて幸せにしてもらうことはできても、自分の力では幸せになれないの。そんな弱い生き物は大嫌い」
「そうなんでしょうね」
「そうなの。でもね、自分が産んだ子どもに対しての愛情はあるし、責任もある。だから、私が思う最善を与え続けているのよ」
だから、オメガでも見捨てずにいてやっている、とでも言いたいのだろうか。見捨てなかったのは、あれが、「アルファ」として生きていくことのできる器だったからだろう。少なくとも、成瀬本人はそう思っているはずだ。
「最善、ですか」
「そう。最善。と言っても、私は提示しただけで、選んだのはあの子自身。あの子が自分の意志で実践してきたの」
ふふ、と幸福そうに暗がりのなかで彼女はほほえんでみせた。
「今でも覚えてるわ。私、本当にうれしかったの。なんで、どうしてって、そればっかりで目の前が真っ暗だった私に、あの子がこう言ってくれたとき」
それもまた簡単に想像がついた。対峙する相手が求めているものを察する能力は、高かったから。
「アルファになる。誰にも負けない、強いアルファになるって」
「体現できる器でよかったですね」
「本当に。そこは私の血だわ」
笑顔で首肯してみせてから、でもね、と目を伏せる。続いたのはいかにも意味深長な声音だった。
「いつか無理がくることはわかっていたの」
無理がくる。たしかにそれはわかっていたことで、現実だった。だから、その寂しげな仮面を見つめたまま、向原は問いかけた。
「新しい最善は見つかったんですか」
誰にも負けないアルファを望めなくなった場合の、代替え案。ただの気まぐれで、こんな僻地に足を運ぶはずがない。
「ほら、やっぱり。わかってるじゃない」
一転してくすくすとほほえむ表情は、不思議と少女めいていた。自分の望みはすべて叶うと信じている無邪気な傲慢さが、そう見せているのだ。
認めないだろうが、成瀬があの編入生を嫌う理由の一端は、これと似ているからだと向原は思っていた。
「でも、念のために言っておくわね。あなたに誤解されたくはないもの」
「誤解」
「そう、誤解よ。あの子が私のことをどう言っているかの想像はついているけど、私は私なりにかわいがっているし、大事にしているの」
母親だもの、という台詞に、向原は苦笑をこぼした。自分に有用なアクセサリーであるうちは、きっとそうなのだろう。
「だから、これからも最善をおぜん立てしてあげたいのよ。それだけ。そこに悪意なんて、なにひとつないわ」
去っていく寸前、にこりとほほえんだ顔は、この世界の頂点に立つことに慣れたアルファの見本のようなものだった。
夜闇の向こうに消えた車を見届けて、後方を振り返る。
「おまえ、あれだけ面倒だって言ってる親の相手、他人に押しつけるなよ」
半分呆れていたのは事実で、感情そのままの声になった。成瀬と呼びかけると、かすかに土を踏む音がした。
「たしかに押しつけてたな、ごめん」
木の影から出てきた成瀬の足が、すぐ近く止まる。申し訳ないといったふうな表情は、完全にいつもどおりのもので。
諍いがある現状も、このあいだの夜のことも、なにもかもがなかったことにされているようだった。
「見物してたわけじゃないんだけど、会いたくなかったし、あと、向原なら適当にあしらってくれるだろうなと思って」
あの人、おまえのこと気に入ってるから、と成瀬が笑う。
「でも、こんなに早くやってくるとは思ってなかったから、ちょっと驚いた。寮のほうで迷惑かけなかった?」
「かかってたとしたら、皓太と茅野だな」
「そっか。応対してくれたのは助かったけど、皓太には悪いことしたな」
「べつに大丈夫だろ」
「なら、いいんだけど。――あ、向原にも悪いことしたと思ってるよ。ごめん。迷惑かけて」
「いまさらだろ」
成瀬と同じ、なにもなかったころの調子を選んで応じてやると、少し間が空いた。
「放っておいてくれてよかったのに」
完璧だった外面に苦笑いを刻んでから、ごめん、と成瀬は繰り返した。そうして、ふらりと歩き出す。帰る場所は、どうせ同じなのだ。
そのあとを追って、向原も足を進めた。もう何年も前のことだ。まだこの学園を卒業する未来図が遠かったころ。
長期休みが明けると、成瀬はいつもうれしそうだった。家よりも、この学園の寮のほうが、帰ってきた、という感じがすると言っていた。そのことを、向原はよく覚えている。
「あなたは私と同じだと思っていたから、少し驚いちゃったわ」
咎める軽やかな声に、向原は小さく苦笑を返した。頼りない外灯が照らす薄暗い夜道に、ヒールの音が響く。
昔と違って夜に抜け出すような生徒もいない今、外はひどく静かだった。
「ご期待に沿えなかったのなら、申し訳なかったですね」
「いいのよ。でも、私がなにを考えているのか、わかってはいるでしょう?」
謎解きのような言葉と一緒に、足音が止まった。車を待たせている、という門扉のすぐ近くだ。くるりと振り向いた顔には、自信に満ちたアルファそのものの笑みが浮かんでいた。
「私は、オメガが大嫌い。なぜだかわかる?」
「アルファに依存しないと、生きていけない生き物だからでしょう」
直接聞いたことはない。あの男は、アルファもオメガも平等だという態度を最後まで崩さなかったから。けれど、そう思っていることは、知っていた。
そうよ、と満足そうに頷く表情は、やはり、よく似ていた。
「優秀なアルファを捕まえて幸せにしてもらうことはできても、自分の力では幸せになれないの。そんな弱い生き物は大嫌い」
「そうなんでしょうね」
「そうなの。でもね、自分が産んだ子どもに対しての愛情はあるし、責任もある。だから、私が思う最善を与え続けているのよ」
だから、オメガでも見捨てずにいてやっている、とでも言いたいのだろうか。見捨てなかったのは、あれが、「アルファ」として生きていくことのできる器だったからだろう。少なくとも、成瀬本人はそう思っているはずだ。
「最善、ですか」
「そう。最善。と言っても、私は提示しただけで、選んだのはあの子自身。あの子が自分の意志で実践してきたの」
ふふ、と幸福そうに暗がりのなかで彼女はほほえんでみせた。
「今でも覚えてるわ。私、本当にうれしかったの。なんで、どうしてって、そればっかりで目の前が真っ暗だった私に、あの子がこう言ってくれたとき」
それもまた簡単に想像がついた。対峙する相手が求めているものを察する能力は、高かったから。
「アルファになる。誰にも負けない、強いアルファになるって」
「体現できる器でよかったですね」
「本当に。そこは私の血だわ」
笑顔で首肯してみせてから、でもね、と目を伏せる。続いたのはいかにも意味深長な声音だった。
「いつか無理がくることはわかっていたの」
無理がくる。たしかにそれはわかっていたことで、現実だった。だから、その寂しげな仮面を見つめたまま、向原は問いかけた。
「新しい最善は見つかったんですか」
誰にも負けないアルファを望めなくなった場合の、代替え案。ただの気まぐれで、こんな僻地に足を運ぶはずがない。
「ほら、やっぱり。わかってるじゃない」
一転してくすくすとほほえむ表情は、不思議と少女めいていた。自分の望みはすべて叶うと信じている無邪気な傲慢さが、そう見せているのだ。
認めないだろうが、成瀬があの編入生を嫌う理由の一端は、これと似ているからだと向原は思っていた。
「でも、念のために言っておくわね。あなたに誤解されたくはないもの」
「誤解」
「そう、誤解よ。あの子が私のことをどう言っているかの想像はついているけど、私は私なりにかわいがっているし、大事にしているの」
母親だもの、という台詞に、向原は苦笑をこぼした。自分に有用なアクセサリーであるうちは、きっとそうなのだろう。
「だから、これからも最善をおぜん立てしてあげたいのよ。それだけ。そこに悪意なんて、なにひとつないわ」
去っていく寸前、にこりとほほえんだ顔は、この世界の頂点に立つことに慣れたアルファの見本のようなものだった。
夜闇の向こうに消えた車を見届けて、後方を振り返る。
「おまえ、あれだけ面倒だって言ってる親の相手、他人に押しつけるなよ」
半分呆れていたのは事実で、感情そのままの声になった。成瀬と呼びかけると、かすかに土を踏む音がした。
「たしかに押しつけてたな、ごめん」
木の影から出てきた成瀬の足が、すぐ近く止まる。申し訳ないといったふうな表情は、完全にいつもどおりのもので。
諍いがある現状も、このあいだの夜のことも、なにもかもがなかったことにされているようだった。
「見物してたわけじゃないんだけど、会いたくなかったし、あと、向原なら適当にあしらってくれるだろうなと思って」
あの人、おまえのこと気に入ってるから、と成瀬が笑う。
「でも、こんなに早くやってくるとは思ってなかったから、ちょっと驚いた。寮のほうで迷惑かけなかった?」
「かかってたとしたら、皓太と茅野だな」
「そっか。応対してくれたのは助かったけど、皓太には悪いことしたな」
「べつに大丈夫だろ」
「なら、いいんだけど。――あ、向原にも悪いことしたと思ってるよ。ごめん。迷惑かけて」
「いまさらだろ」
成瀬と同じ、なにもなかったころの調子を選んで応じてやると、少し間が空いた。
「放っておいてくれてよかったのに」
完璧だった外面に苦笑いを刻んでから、ごめん、と成瀬は繰り返した。そうして、ふらりと歩き出す。帰る場所は、どうせ同じなのだ。
そのあとを追って、向原も足を進めた。もう何年も前のことだ。まだこの学園を卒業する未来図が遠かったころ。
長期休みが明けると、成瀬はいつもうれしそうだった。家よりも、この学園の寮のほうが、帰ってきた、という感じがすると言っていた。そのことを、向原はよく覚えている。
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