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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅨ ⑤
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「珍しいこと言うんだな」
「べつに……」
からかうような声に、視線が窓の外に向いた。まるで、拗ねているみたいだ。こんな言動、もっと小さかったころにも取ったことはなかったのに。
「俺だって、そう思うときくらいあるってだけ」
いつも自分が正しいだなんて、さすがに思っていない。こうありたいと望んだもののために、道を切り開いてきたつもりではあるけれど。
オメガもアルファもベータも、誰もが平等で、安心して暮らせる場所をつくりたい。世間一般的に見て、おかしなものではないと思う。尊ばれるべきものでもあると思う。
けれど、それは、自身の持つオメガという性への劣等感が望ませた世界ではないかと思うことがある。
この学園に在籍している、恵まれた大多数のアルファの望みとはかけ離れた世界になろうとしているのではないかと。
「正しい、正しくない、なんて、結局ぜんぶ口にする人間の主観でしかないだろ」
「……それは、そうかもしれないけど」
「言っただろ、前に」
頑なさを宥めるような、苦笑まじりの声。自分のように、わかりやすく優しいことを言うわけでも、優しく響く声を出すわけでもない。それなのに、その声はいつも自分を安心させて、背を押してくれていた。
「おまえがしたいなら、手伝ってやるって」
「うん。聞いた」
「だから、安心しろ」
どうして、自分が欲しい言葉ばかりくれるのだろう。顔は見れなくて、窓の外を眺めたまま、成瀬は頷いた。
うれしいとは思う。けれど、同時に恐ろしくもあった。このままこのぬるま湯になれてしまえば、いつかひとりで立てなくなってしまうかもしれない。
そんなことは、許されないのに。ひとりで生きていかないといけないのに。
そのことをあたりまえだとは思っても、苦だと感じたことは一度もないはずだった。
「なぁ」
そうであったのに、どうして会話を続けようとしたのか。自分でもよくわからなかった。甘えていたのかもしれない。
「なんで、そんなこと言ってくれるの」
このときの自分は、どんな答えを期待していたのだろう。向原は笑っただけで、なにも言わなかった。
本当は、わかっていたのだ。自分たちの関係は、なにかの弾みでおかしくなっても不思議ではないものだということは。
向原がこの状況を許容してくれているから、今が成り立っているのだということは。
だから、――だから、わかっていた。
もし、いつか、自分たちが道を違えることがあるとすれば、原因は自分なのだということも。
ずっと、見ないふりをしていたことがあった。気がつかないふりを押し通そうとしていたことがあった。
自分だけが特別なのだというように、向原が優しくしてくれるのは、好意があるからだ。あたりまえのことだった。
べつに、好意を抱かれることははじめてではない。目立っている自覚はあるし、他人にやさしく接している自負もある。そんな自分を好きだと言ってくる人間は、掃いて捨てるほどいた。
そういったとき、成瀬は適当に距離を取って、利用できる好意は利用していた。罪悪感なんてものは微塵もなかった。向こうだって、つくりものの自分に惑わされているだけなのだ。
けれど、なぜか向原に対してはできなかった。
つくりものではない自分を知っていて、それでも好意を向けてくれていたからなのか。理由はわからなかったけれど、だから、なにも知らないふりを通した。
それが、「これまで」と「今から」を守る唯一だとわかっていたから。
――ほんと、ずるいよな。
行人にも言われた。自分でもわかっている。改めるつもりはないけれど。
そうだ。自分はずるい。だからこそ、こうなってからも思うことがある。もしも、自分がアルファだったら。アルファである自分に、アルファである向原が好意を向けてくれていたのだとしたら、もっと素直に受け止めることもできたかもしれない。
対等な関係だと思うこともできたかもしれない。
第二の性なんて関係ないと、頑ななまでに言い続けてきた。まるで唱え続ければ、自分の中で真実になるかもしれないとでもいうように。
第二の性なんて、大嫌いだ。アルファも、ベータも、オメガも。オメガである自分も。この年になっても、アルファになれなかったことに固執して、身動きの取れないでいる自分も。
いつも前に立ちふさがる、なんでもできる、なんでも持っているアルファの男も。
「べつに……」
からかうような声に、視線が窓の外に向いた。まるで、拗ねているみたいだ。こんな言動、もっと小さかったころにも取ったことはなかったのに。
「俺だって、そう思うときくらいあるってだけ」
いつも自分が正しいだなんて、さすがに思っていない。こうありたいと望んだもののために、道を切り開いてきたつもりではあるけれど。
オメガもアルファもベータも、誰もが平等で、安心して暮らせる場所をつくりたい。世間一般的に見て、おかしなものではないと思う。尊ばれるべきものでもあると思う。
けれど、それは、自身の持つオメガという性への劣等感が望ませた世界ではないかと思うことがある。
この学園に在籍している、恵まれた大多数のアルファの望みとはかけ離れた世界になろうとしているのではないかと。
「正しい、正しくない、なんて、結局ぜんぶ口にする人間の主観でしかないだろ」
「……それは、そうかもしれないけど」
「言っただろ、前に」
頑なさを宥めるような、苦笑まじりの声。自分のように、わかりやすく優しいことを言うわけでも、優しく響く声を出すわけでもない。それなのに、その声はいつも自分を安心させて、背を押してくれていた。
「おまえがしたいなら、手伝ってやるって」
「うん。聞いた」
「だから、安心しろ」
どうして、自分が欲しい言葉ばかりくれるのだろう。顔は見れなくて、窓の外を眺めたまま、成瀬は頷いた。
うれしいとは思う。けれど、同時に恐ろしくもあった。このままこのぬるま湯になれてしまえば、いつかひとりで立てなくなってしまうかもしれない。
そんなことは、許されないのに。ひとりで生きていかないといけないのに。
そのことをあたりまえだとは思っても、苦だと感じたことは一度もないはずだった。
「なぁ」
そうであったのに、どうして会話を続けようとしたのか。自分でもよくわからなかった。甘えていたのかもしれない。
「なんで、そんなこと言ってくれるの」
このときの自分は、どんな答えを期待していたのだろう。向原は笑っただけで、なにも言わなかった。
本当は、わかっていたのだ。自分たちの関係は、なにかの弾みでおかしくなっても不思議ではないものだということは。
向原がこの状況を許容してくれているから、今が成り立っているのだということは。
だから、――だから、わかっていた。
もし、いつか、自分たちが道を違えることがあるとすれば、原因は自分なのだということも。
ずっと、見ないふりをしていたことがあった。気がつかないふりを押し通そうとしていたことがあった。
自分だけが特別なのだというように、向原が優しくしてくれるのは、好意があるからだ。あたりまえのことだった。
べつに、好意を抱かれることははじめてではない。目立っている自覚はあるし、他人にやさしく接している自負もある。そんな自分を好きだと言ってくる人間は、掃いて捨てるほどいた。
そういったとき、成瀬は適当に距離を取って、利用できる好意は利用していた。罪悪感なんてものは微塵もなかった。向こうだって、つくりものの自分に惑わされているだけなのだ。
けれど、なぜか向原に対してはできなかった。
つくりものではない自分を知っていて、それでも好意を向けてくれていたからなのか。理由はわからなかったけれど、だから、なにも知らないふりを通した。
それが、「これまで」と「今から」を守る唯一だとわかっていたから。
――ほんと、ずるいよな。
行人にも言われた。自分でもわかっている。改めるつもりはないけれど。
そうだ。自分はずるい。だからこそ、こうなってからも思うことがある。もしも、自分がアルファだったら。アルファである自分に、アルファである向原が好意を向けてくれていたのだとしたら、もっと素直に受け止めることもできたかもしれない。
対等な関係だと思うこともできたかもしれない。
第二の性なんて関係ないと、頑ななまでに言い続けてきた。まるで唱え続ければ、自分の中で真実になるかもしれないとでもいうように。
第二の性なんて、大嫌いだ。アルファも、ベータも、オメガも。オメガである自分も。この年になっても、アルファになれなかったことに固執して、身動きの取れないでいる自分も。
いつも前に立ちふさがる、なんでもできる、なんでも持っているアルファの男も。
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