パーフェクトワールド

木原あざみ

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第三部

パーフェクト・ワールド・エンドⅠ ②

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「校内での風紀の権限を消し去りたいだけじゃねぇか。あいからずよくもまぁ、さも正論ですって顔で口が回るもんだ」

 八割がた自分に向けられた皮肉だろうなと内心で苦笑しながらも、成瀬は反応しなかった。
 少しの間のあとで続いたのは、予想していたよりもずっとあっさりとした了承だった。

「まあ、でも、べつにいい。ただ、寮生委員を呼ぶ気があっても、間に合わないこともあるかもしれない。それはしかたないよな」
「そういうことは、ないようにしてくれ」
「努力はしてやる。おまえらにこれ以上好き勝手に悪評立てられたくはないからな」
「なら……」
「その代わり、ひとつ共有させろよ。おまえの言うところの、合理的な話だ」

 切り上げかけたところに被さった言葉に、「なにをだ」と茅野が問い返した。長引きそうだと思ったのか、声に面倒くさそうなものが混ざり始めている。
 その反応を気にも留めず、本尾がどこか楽しそうに目を細めた。

「昨日の櫻寮の話だ。いつもは似非くさいくらい寛容なおまえが、えらく物々しい雰囲気だったらしいじゃねぇか。おまけに、特別フロア全面立ち入り禁止だったんだって?」

 おざなりになりかけていた茅野の雰囲気が固いものに変わる。

 ――さすがに、早すぎるな。

 いつかは耳に入るだろうとわかってはいた。けれど、この早朝の時間帯だ。
 誰かが積極的に情報を流したとしか思えない。茅野もきっとそう考えている。

「なにしてたんだ? おまえ言ってたよな。風紀が権限を利用してオメガを襲っているだのなんだと言われるのは不本意だろうって。おまえも言われたくはないんじゃないのか。櫻寮で発情期のオメガを囲って好き勝手してた、なんてことは」
「好き好んで邪推されたくはないから、俺もはっきりと言っておくが」

 気を静めるように言葉を切って、茅野はこう言い切った。

「規律に反するようなことはなにもしていないし、起きていない。が、今後もし同じようなことがあれば、寮生委員だけではなく風紀委員も動員しよう。そういう約束だ」
「そうあからさまに誤魔化すなよ、余計気になるだろ」

 わざとらしく肩をすくめてみせてから、「なぁ」と畳みかけてくる。

「なにを隠してたんだ?」
「意味がわからないな」

 挑発をさらりとかわして、茅野はそう答えた。

「隠したもなにも、榛名には気の毒だが、もう知れ渡ったことだ。隠しようがない」
「もうひとつのほうだ。昨日の今日でも噂になってる。櫻寮から複数のオメガのフェロモンがしてたってな」
「噂だろう。それに、そもそもとして第二の性は大っぴらに公表するようなものじゃない」
「ま、それはそうかもな」
 
 かたちばかり納得したふうに頷いてから、でもな、と本尾が言う。

「オメガは危険因子だ。昨日みたいな事態をいつ引き起こしてもおかしくない。その因子の存在は、素早い対応のためにも共有されるべきだろう」
「またそれか。その議論は中等部の時にやりつくしただろう。第二の性はむやみに公表されるべきではない。そういう結論に達したはずだ」
「むやみに、じゃねぇだろ。そのオメガと、周囲のアルファの安全のために知っておく必要があるって言ってんだ。誰だって好き好んで間違いを犯したいわけじゃない」

 もし、オメガがいたらどうするんだ。校内で問題が起こる前に、第二の性は公表されるべきだ。オメガがいないとわかれば、それでいい。いるのならば、なにかしらの対策を取る必要がある。
 茅野の言ったとおりで、過去に何度も持ち上がったことのある議題のひとつだった。
 公表すべきだとする意見の筆頭だった男が、ふっと馬鹿にしたように笑う。

「それに、強引にその結論に持ち込んだのは、おまえとそこの会長様だった覚えがあるんだけどな。それでこのざまだ。さっきは偉そうに責任は取ると言ってたが、この責任は、どう取るんだ? せめて今ここで明かして帰れよ」
「断る」

 先ほどまでとは違う感情の混ざった声だった。苛立ちや怒りや、そういったもの。ちらりと見やった横顔は、いつもと変わらない真面目なそれだったけれど。

「俺は、今も結論を誤ったとは思っていないからな」

 第二の性を公表する必要なんてない。この学園にいるあいだは、アルファだとか、オメガだとか、そんなことは関係がないのだから。誰でも平和な学園生活を送る権利がある。
 それが、自分が掲げた理想だった。間違っていたとは成瀬も思っていない。――けれど。

「うちの寮の噂も、たかが噂だ。証拠があるというなら、それを出してからにしてくれ。あるわけがないと思うが」
「おまえも成瀬も、自分が正しいって顔して、いい身分だよな、本当」

 呆れ切った顔で、本尾が吐き捨てる。

「合理的だの、公平だの、馬鹿みたいにきれいごと並べてるけどな。おまえらふたりが組んでる時点で不均衡なんだよ。おまえらの思うところの正論ばかりがまかり通ってる。おかしいだろ」
「通ったというなら、そのおまえがおかしいと思う正論が多数派だったということだろう」
「いかにもおまえが好きそうな民主的な理論だ」

 馬鹿にするような笑みを浮かべていた本尾が、そこでふと真顔になった。試すようにじっとりと見つめてから、こう続ける。

「なぁ、茅野。だったら、それがひっくり返っても、文句は言えねぇよな」
「ひっくり返ったらな」

 応じるなり、茅野が風紀たちに背を向けた。「用は済んだだろう、帰るぞ」

「あぁ、うん」

 盛大に揉めたくなかったから頼んだのに、結局自分がするのと似たような結果になってしまった。

 ――まぁ、昨日の今日だ。苛々はしてるよな。

 昨夜はずっと寮内で目を光らせてくれていたようだし、疲れてもいるだろう。しかたない、と苦笑ひとつでそのあとに続く。呼び止める声がかかったのは、廊下に出ようとしたときだった。

「成瀬。昨日顔貸せって言ったの、これでチャラにする気じゃねぇだろうな。チャラにする気があるなら、たまにはお守りなしでやってこいよ」

 扉に手をかけたまま、成瀬はここぞとほほえんでみせた。この顔も、この笑顔も、嫌がられていると十分に承知の上で。

「ふたりきりじゃないと話せないようなことがあるなら、いくらでも」
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