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第二部
パーフェクト・ワールド・レインxx ⑤
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「盗られたってこと? あの日に?」
なんで言わねぇんだよ。そう言ってやりたい衝動が突き抜けたが、「ベータ」と偽っている以上、無理な話だ。
そう思い直すことで気を静めてから、皓太は首を捻った。盗られたのだとしても、誰がそんなことをしたのだろう。盗んだ人物は、榛名がオメガだと知っていたのだろうか。それともたまたま忍び込んだ寮室で薬を見つけたのだろうか。いや、それでは話ができすぎている。
廊下で水城に食ってかかっていた榛名の声を思い出したとき、ピースがすべて繋がった気がした。
「水城?」
成瀬はなにも言わない。その沈黙が正解であることを告げていた。
「なんで、あいつ、そんなこと」
「薬にはいろんなものがある。それと同じで、みんな体質も違うだろ。皓太も……、ごめん。皓太はあんまり薬飲んだことないよな。昔から健康だし」
「祥くん」
なんの返答にもなっていないものを咎めると、「ごめん」ともう一度彼が言った。
「誤魔化したわけじゃなかったんだけど。でも、そうだな。聞いておいて損はない話だと思うから、ちゃんと説明する」
「榛名がどうやって、今までやりすごしてきたかっていう話?」
同じ部屋で生活する中で、毎朝誰よりも早く起きていることは知っていた。なにかを手にどこかに消えていくことも。
もしかしたらと思う瞬間があっても、知らないふりを通してきた。
そのことを責められているようで心苦しかったが、成瀬は静かな声で続けただけだった。
「たしかに今回は服薬期間が途切れたことが要因だと思う。でも、じゃあ、ずっと薬を飲んでいたら大丈夫なのかというと、また別の問題になりかねないんだ」
「別の問題?」
「たとえば、そうだな。頭痛薬を飲んだら頭の痛みは取れる。でも睡魔が襲ってくる。そういった副作用は、どんな薬にも付きものなんだ。それで、――抑制剤を飲んでいれば、行人はベータとして生きていけるかもしれない。でも」
そこで、成瀬は言葉を切った。
「毎日毎日、何年間も、身体に薬を取り込み続けるんだ。影響がないほうがおかしい」
言いにくそうに彼が告げた言葉の意味が、頭にゆっくりと浸透していく。
――痛いなら、無理しないで鎮痛剤でもなんでも飲めばいいのに。
半ば呆れたふうに、そう言ったことがある。言った相手は榛名で、みささぎ祭の前日のことだった。片頭痛がひどいのだと伏せっていた榛名に、――今になって思えば、片頭痛ですらなく薬の副作用だったのかもしれないが、――とにかく、そう言ったのだ。
そのとき榛名は、怒りもせずにこう答えた。
どんな薬でも飲み続けるのはいいことじゃねぇよ、と。
ぜんぶ、そうだったのかもしれない。あれだけ早起きするくせにいつも眠そうなのも、自分でもコントロールできないというような苛々を持て余していたことも、ぜんぶ。
「できるだけ早くつがいをつくったほうがいいって言われてるのは、これが理由。服薬期間は短いに越したことはない。もちろん、決めるのは行人だけど」
「だから、榛名は」
成瀬から視線を外したまま、必死に言い募る。
「その相手は祥くんが」
「できない」
きっぱりと否定したのは、いつもと同じ穏やかな声だった。言葉にならない苛立ちがあふれそうになって、皓太は深く息を吸った。
できないって、なんだよ。
いや、違う。これはただの八つ当たりだ。つがいの契約は、簡単にしていいものではない。一生のものだ。一生の関係を結ぶ気がないのなら、成瀬の対応はなにも間違っていないし、オメガにとっても誠実なものだ。わかる。でも。
「もう少し落ち着いたら、きっと行人は皓太を呼ぶと思うよ」
その言葉に、勢いよく顔を上げる。成瀬は、残酷なほどにいつもと変わらない顔をしていた。
「皓太が間違えるとは俺には思えないから、ぜんぶ任せる」
――なんだよ、それ。
やりどころのない怒りをぶつけるように、手を握りしめる。否とも応とも言えなかった。
成瀬も答えを待たなかった。黙ったままの皓太を置いて、歩き去っていく。ここは成瀬の部屋なのに。気を使ったつもりなのだろうか。中でなにをしてもご自由にと、そう。
握りしめたままだった拳を廊下に打ち落とそうとして、――寸前で止めた。中に響くかもしれないと思ってしまったからだ。
中途半端に宙に浮いた拳をゆっくりと解いてから、ひとりごちる。
「どうしろって言うんだよ、俺に」
なにをどうしたところで、今までどおりには戻れない。どうするのが最善なのか、わからない。なんで間違えない、なんて言えるのかわからなかった。
噂が、噂でなくなってしまう。そうなったときに、自分はしっかり榛名を庇ってやれるのだろうか。この学園で居場所を守って、ほかのアルファを弾く壁になってやれるのだろうか。
榛名はそんなことを求めていないだろうが、ほうっておけない。
だって、成瀬があれだけはっきり「できない」と口にしたのだから。
アルファだとか、オメガだとか、そういった第二の性の話が嫌いだった。この学園にいるあいだは、そんなことなにも関係がないと思っていたかった。
思ったままで、いたかった。
ガチャリと静かにドアが開く音がした。
[パーフェクトワールド・レイン 完]
なんで言わねぇんだよ。そう言ってやりたい衝動が突き抜けたが、「ベータ」と偽っている以上、無理な話だ。
そう思い直すことで気を静めてから、皓太は首を捻った。盗られたのだとしても、誰がそんなことをしたのだろう。盗んだ人物は、榛名がオメガだと知っていたのだろうか。それともたまたま忍び込んだ寮室で薬を見つけたのだろうか。いや、それでは話ができすぎている。
廊下で水城に食ってかかっていた榛名の声を思い出したとき、ピースがすべて繋がった気がした。
「水城?」
成瀬はなにも言わない。その沈黙が正解であることを告げていた。
「なんで、あいつ、そんなこと」
「薬にはいろんなものがある。それと同じで、みんな体質も違うだろ。皓太も……、ごめん。皓太はあんまり薬飲んだことないよな。昔から健康だし」
「祥くん」
なんの返答にもなっていないものを咎めると、「ごめん」ともう一度彼が言った。
「誤魔化したわけじゃなかったんだけど。でも、そうだな。聞いておいて損はない話だと思うから、ちゃんと説明する」
「榛名がどうやって、今までやりすごしてきたかっていう話?」
同じ部屋で生活する中で、毎朝誰よりも早く起きていることは知っていた。なにかを手にどこかに消えていくことも。
もしかしたらと思う瞬間があっても、知らないふりを通してきた。
そのことを責められているようで心苦しかったが、成瀬は静かな声で続けただけだった。
「たしかに今回は服薬期間が途切れたことが要因だと思う。でも、じゃあ、ずっと薬を飲んでいたら大丈夫なのかというと、また別の問題になりかねないんだ」
「別の問題?」
「たとえば、そうだな。頭痛薬を飲んだら頭の痛みは取れる。でも睡魔が襲ってくる。そういった副作用は、どんな薬にも付きものなんだ。それで、――抑制剤を飲んでいれば、行人はベータとして生きていけるかもしれない。でも」
そこで、成瀬は言葉を切った。
「毎日毎日、何年間も、身体に薬を取り込み続けるんだ。影響がないほうがおかしい」
言いにくそうに彼が告げた言葉の意味が、頭にゆっくりと浸透していく。
――痛いなら、無理しないで鎮痛剤でもなんでも飲めばいいのに。
半ば呆れたふうに、そう言ったことがある。言った相手は榛名で、みささぎ祭の前日のことだった。片頭痛がひどいのだと伏せっていた榛名に、――今になって思えば、片頭痛ですらなく薬の副作用だったのかもしれないが、――とにかく、そう言ったのだ。
そのとき榛名は、怒りもせずにこう答えた。
どんな薬でも飲み続けるのはいいことじゃねぇよ、と。
ぜんぶ、そうだったのかもしれない。あれだけ早起きするくせにいつも眠そうなのも、自分でもコントロールできないというような苛々を持て余していたことも、ぜんぶ。
「できるだけ早くつがいをつくったほうがいいって言われてるのは、これが理由。服薬期間は短いに越したことはない。もちろん、決めるのは行人だけど」
「だから、榛名は」
成瀬から視線を外したまま、必死に言い募る。
「その相手は祥くんが」
「できない」
きっぱりと否定したのは、いつもと同じ穏やかな声だった。言葉にならない苛立ちがあふれそうになって、皓太は深く息を吸った。
できないって、なんだよ。
いや、違う。これはただの八つ当たりだ。つがいの契約は、簡単にしていいものではない。一生のものだ。一生の関係を結ぶ気がないのなら、成瀬の対応はなにも間違っていないし、オメガにとっても誠実なものだ。わかる。でも。
「もう少し落ち着いたら、きっと行人は皓太を呼ぶと思うよ」
その言葉に、勢いよく顔を上げる。成瀬は、残酷なほどにいつもと変わらない顔をしていた。
「皓太が間違えるとは俺には思えないから、ぜんぶ任せる」
――なんだよ、それ。
やりどころのない怒りをぶつけるように、手を握りしめる。否とも応とも言えなかった。
成瀬も答えを待たなかった。黙ったままの皓太を置いて、歩き去っていく。ここは成瀬の部屋なのに。気を使ったつもりなのだろうか。中でなにをしてもご自由にと、そう。
握りしめたままだった拳を廊下に打ち落とそうとして、――寸前で止めた。中に響くかもしれないと思ってしまったからだ。
中途半端に宙に浮いた拳をゆっくりと解いてから、ひとりごちる。
「どうしろって言うんだよ、俺に」
なにをどうしたところで、今までどおりには戻れない。どうするのが最善なのか、わからない。なんで間違えない、なんて言えるのかわからなかった。
噂が、噂でなくなってしまう。そうなったときに、自分はしっかり榛名を庇ってやれるのだろうか。この学園で居場所を守って、ほかのアルファを弾く壁になってやれるのだろうか。
榛名はそんなことを求めていないだろうが、ほうっておけない。
だって、成瀬があれだけはっきり「できない」と口にしたのだから。
アルファだとか、オメガだとか、そういった第二の性の話が嫌いだった。この学園にいるあいだは、そんなことなにも関係がないと思っていたかった。
思ったままで、いたかった。
ガチャリと静かにドアが開く音がした。
[パーフェクトワールド・レイン 完]
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